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倫理規程

規程制定の経緯

日本原子力学会での倫理規程制定に向けての取り組みは1998年11月の理事会から始まった。1995年12月の高速増殖原型炉もんじゅ2次主冷却系配管からのナトリウム漏洩事故における不適切な対応や、1998年10月に明らかとなった使用済燃料輸送容器のデータ問題などから、原子力関係者の倫理が問われていた時期である。1999年9月には倫理規程制定のための準備会が開かれ、内規を制定、委員会が発足した。(委員会名は「倫理規定制定」委員会であるが、あくまで原案を検討する組織である。また、学会の他の規程類との整合性などへの配慮から、理事会や総会を経て制定されたのは「倫理規定」ではなく「倫理規程」である。)倫理規定制定委員会の第1回会合は1999年10月22日に開催されている。準備会から第1回会合までの間、1999年9月30日には東海村JCO臨界事故が発生している。
この当時、多くの工学系学会において倫理規程制定の動きが進んでいた。その理由の一つに国際化への対応がある。欧米においては、専門家集団は高い地位と自治権を与えられる代わりに、倫理規程により自らを律するという伝統がある。したがって工学系学協会の多くが倫理規程を制定している。1995年のAPEC首脳会議で技術移転のための国境を越えた技術者の移動促進が決議され、技術者資格の相互承認制度の検討が始まった。APECエンジニアに該当する我が国の技術者資格は技術士などであるが、その資格を有する技術者は欧米に比べ少ない。このため技術士制度の改革も始まった。米国には大学の工学教育カリキュラムを認定するABET(米国工学技術教育認定委員会)という組織がある。認定されたカリキュラムを修了した学生には、PE(プロフェッショナル・エンジニア)資格取得の第一段階であるFE(ファンダメンタル・エンジニア)受験資格が与えられる。これに倣い我が国でもJABEE(日本技術者教育認定機構)が1999年11月に設立された。そこが要求する技術者の能力の一つとして「社会に対する責任を自覚する能力」が明記されたが、これは欧米に倣ったというより技術者として当然のことであろう。ただ、JABEEの認定を受けるためにも大学での技術倫理教育が必須となり、各分野で要求される倫理観を明確にするため我が国の工学系学会での倫理規程制定が進んだことも一面の事実である。
日本原子力学会倫理規定制定委員会はほぼ毎月1回というペースで倫理規程原案の審議を行った。そればかりでなく、メールでの意見交換も盛んに行われた。JCO事故の反省などもあり、おざなりのものは作りたくないという意識を委員が共有していたからである。倫理規程原案の検討にあたり最初に参考とされたのは当時ABETがホームページで公開していた倫理綱領である。これは工学系学協会の倫理規程を集大成したものとなっており、憲章の部分だけなら、それを原子力向けにアレンジするだけで、もっともらしいのを作ることも可能であった。しかし倫理規定制定委員会はその道は選ばなかった。検討は憲章の部分から始められたが、その条文一つ一つについて徹底した議論が行われた。議論の過程で出された意見を書きとめたものが行動の手引となっていった。(当初は行動指針としていたが、指針は非常に強い拘束力を持つものという感じがするとの意見があり、行動の手引と名称を変えて制定された。)さらに議論の精神をまとめたものとして前文ができていった。倫理規定制定委員会において、前文・憲章・行動の手引というフルセットの倫理規程を策定しようという合意が最初からあったわけではない。しかし議論していくうちに、短い、どのようにも解釈できる憲章の制定だけでは不十分という認識で委員会内は一致していった。
倫理規定制定委員会では2000年の日本原子力学会誌11月号の会告に倫理規程案(当時は倫理規定案としていた)を掲載するとともに、ホームページも用いて、学会内外に広く意見を募集した。その結果20件を超える意見が会員や一般市民、有識者などから寄せられた。これを受けて委員会ではさらなる検討を行い、2001年3月21日付けで改訂された倫理規程案をホームページ上で発表するとともに、意見提出者には個別に回答した。なお、委員には文書以外の形でもいろいろな意見が届いていたことから、それを集約し、代表的な意見とそれに対する回答の形でのまとめも行った。改訂内容および代表的な意見とそれに対する回答は2001年の日本原子力学会誌4月号に掲載されている。また寄せられた個別の意見とそれへの回答のうち、意見提出者の許可があったものはホームページに掲載した。さらに2001年3月28日には学会春の年会で総合報告を行い、多くの会員と意見交換した。春の年会で交わされた議論やその後直接学会に届いた意見を参考にして、倫理規定制定委員会は倫理規程のさらなる推敲を重ね、改訂案を同年5月23日の理事会に提出した。理事会において前文と憲章だけは承認されたが、行動の手引はさらに推敲することが求められた。(前文と憲章については理事会の承認だけでなく6月27日の総会で決定されている。)倫理規程、特に行動の手引について会員の理解が十分得られていない状況を受け、倫理規定制定委員会は2001年の日本原子力学会誌8月号に行動の手引案を含む解説記事を掲載した。さらに9月19日、学会秋の大会で再度報告を行うとともに、会員との意見交換も実施した。こうして行動の手引も2001年9月25日の理事会で承認され(これについては総会での決定は行わないこととなった)、ようやく前文・憲章・行動の手引というフルセットでの倫理規程の制定にまで漕ぎつくことができた。
以上のように、日本原子力学会の倫理規程制定は、倫理規定制定委員会の多大な努力の産物であった。

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