日本原子力学会シニアネットワーク連絡会(SNW)第7回シンポジウム報告書

 

原子力コミュニケーシオンのあり方を問う

―社会と原子力界の相互信頼を求めてー

 

日時:200834日(火) 10:0017:10

場所:東京大学武田先端知ビル

主催:(社)日本原子力学会シニアネットワーク連絡会(SNW

共催:エネルギー問題に発言する会、エネルギー戦略研究会(EEE会議)

後援:日本原子力技術協会、日本原子力産業協会、日本原子力文化振興財団

参加者総数:約200

 

備考 報告書本文中では敬称略とさせていただきました。

 

目  次

開会挨拶

原子力学会シニアネットワーク会長 竹内哲夫

SNW他共催団体のH19年度活動

原子力学会シニアネットワーク幹事 金氏 顕

第1部       基調講演と「広報・報道を巡る対談」

座長 林勉(エネルギー問題に発言する会代表幹事、元日立原子力事業部長)

講演1 原子力の広報活動を振り返ってーその課題および社会の新たな信頼関係づくりへの提言

桝本晃章(東京電力顧問)

講演2 報道における原子力の扱い方―“社会からの木鐸”と“社会への木鐸”という二つの使命をどう果たしてゆくか

新井光雄(ジャーナリスト)

広報・報道を巡る対談、質疑応答、討論

 

第2部       パネル討論:原子力コミュニケーションのあり方を問う

座長 宅間正夫(日本原子力産業協会顧問、元副会長)

パネリスト基調講演

1 社会と原子力界の相互信頼を求めて

竹内哲夫(SNW会長)

2 市民・生活者から見た原子力コミュニケーションの問題点

犬伏由利子(消費者科学連合会副会長)

3 安心と安全の狭間―本物でありつづけること

品田宏夫(刈羽村長)

4 信頼される規制当局の説明責任

佐々木宜彦(発電設備技術検査協会理事長)

5 市民と原子力専門家の「ダイアローグ」実現に向けて

北村正彦(東北大学名誉教授)

6 午前の講演者からのコメント

桝本晃章(東京電力顧問)

7 欧州の規制調査報告(フランス)

三谷信次(JNES

フロアとの対談と討論

座長のまとめ

閉会挨拶

金子熊夫(エネルギー戦略研究会、EEE会議主催者)

司会進行

金氏 顕(SNW幹事)

 

付録(項目をクリックすると資料が参照できます)

1 講演資料(各講演の概要欄からも参照できます)
   1.1       主催・共催3団体の活動報告(PDF)
   1.2       原子力広報を振り返って(桝本晃章)(PDF)
   1.3       報道における原子力の扱い方(新井光雄)(PDF)
   1.4       社会と原子力界との相互信頼を求めて(竹内哲夫)(PDF)
   
1.5       市民から見た原子力コミュニケーションに関する課題(犬伏由利子)(PDF)
   1.6       安全と安心の狭間―本物でありつづけること(品田宏夫)(PDF)
   1.7       信頼され尊敬される規制当局の説明責任(佐々木宜彦) (PDF)
   1.8       市民と原子力専門家の「ダイアローグ」実現へ向けて(北村正彦) (PDF)
   1.9       欧州の規制改善政策「欧州規制調査1(フランス)」(三谷信次) (PDF)
2 シニアネットワーク第7回シンポジューム・アンケート結果

 

議事要約

 

第1部       基調講演と「広報・報道を巡る対談」

座長 林勉(エネルギー問題に発言する会代表幹事、元日立原子力事業部長)

 

講演1 原子力の広報活動を振り返ってーその課題および社会の新たな信頼関係づくりへの提言

桝本晃章(東京電力顧問)

<講演資料はココをクリックすると参照できます>

私の原子力との係りは1970年、東京電力原子力部原子力業務課で広報関係の仕事に就いた時から始まった。折しも日本で軽水炉がスタートを切った時であった。

その後、広報部へ異動したが、今のように広報戦略も整っておらず、外から聞かれる事に対応するといった毎日であった。また、原子力関係の問題は必ずしも原子力部が情報を開示してくれない事もあり、又説明で使われる言葉も難しく、いろいろと苦労した。

1986年のチェルノブイリ事故の際は電事連で広報担当をしており、その際、メディア・記者側に問題はあるものの、自分達にも問題があるように感じた。

1972年に日本社会党が原子力反対宣言を政府に提出した事に対し、電事連で反論の小雑誌を作る手伝いをしたが、この時も使っている“言葉”が判り辛いと思った。

原子力の広報は一般の広報と違い“世論獲得競争”であるように思う。当時の原子力関係者は“エネルギー・原子力は正義”と思い込み仕事をしていた。原子力の開発に対しては当初から常に異論・異説はあったが、その頃は“異論や反対は良くない”と思っている関係者が多かったが、それは間違いで、世の中にはいろいろな考えを持った人が居る事をまずは認識すべきである。むしろその方が健全であると思う。

“理屈で理解させよう”、“力任せの説得”は間違いである。目指すべきは“共感・納得”を得る事だと思う。勿論これには説明する人の“全人格的要素”も試される。

1986年のチェルノイリ事故以降、反対運動は大きく変化していった。穀物等への汚染が検疫で発覚し、原子力の事故が一般家庭の食の安全問題と結びつき、以前とは違い社会的反応が出始めた。19882月の四国電力伊方1号機の出力調整運転阻止から始まった市民型の反対運動では、過去に経験したことのない「うねり」といった現象が全国に広がっていった。特に反対の人たちのキャッチフレーズ。私が覚えているだけでも結構ある。当時流行詩人であった俵まち氏の作品「サラダ記念日」をもじり“原発さよなら記念日”、また、北海道電力泊発電所が運開する時期であったこともあり“とまり(泊)とめれ(止)ばミナ(37、当時泊が国内で37機目だった)とま(止)る”、更には、北陸電力の志賀1号立地(旧能登)の際の“ノット能登”と、非常に一般市民に判りやすく、頭に入りやすいキャッチフレーズを反対派は上手に活用していた。

それに比べ電力の説明はわかり辛く、市民の頭に残らなかった。電力サイドはメッセージを出す事で頭が一杯であった。市民に我々のメッセージをどのように出すか、そのためには、相手を知り、又己も知ることが大切である。その上で説明の仕方を考えるべきである。皆が共有出来る“単語”を使い、又、使う言葉は一つ一つチェックして行くべきである。また、説得や説明ではく、「ダイアローグ」、いわゆる「対話」がきわめて重要な要素であると感じる。

また、その対話を行うに当たっては、「信頼」がなければ相手にはどんな言葉も通じない。いかに信頼関係を維持した上で対話を行うか、これなくしてコミュニケーションは成立しない。人生経験や業務知識の豊富な皆さん方から、現役諸氏へいろいろとアドバイスをしてあげてほしい。

 

講演2 報道における原子力の扱い方―“社会からの木鐸”と“社会への木鐸”という二つの使命をどう果たしてゆくか

新井光雄(ジャーナリスト)

<講演資料はココをクリックすると参照できます>

ニュースとは“発信者”、“仲介者”と“受信者”で構成されているが、本日はメディア・記者の“仲介者”としての話を中心に進めたい。私は36年間余り新聞記者を務め、やめてから4年半が経過した。記者という仕事は“表現者”であると思う。入社時の教育で“表現する大切さを知れ”と教えられたのが心に残っている。

だから記者はその性格上、“人を出し抜いてでも特ダネを書きたい”という欲望を常に根っこにもっており、私もそうであった。大げさだが、新聞とテレビは大きく違う。“テレビ一言、新聞一面”ともよく言われるが、個人的には民放の報道は異質なものと考えている。

報道する立場からすると、「原子力」は“ニュースの宝庫”と言える。何でも記事になってしまう。原子力はそう云う存在であり、テーマであると考えてもらいたい。

しかし原子力報道の社内での複雑さは意外と知られていないと思う。原子力事故では地方部、社会部、科学部、外報部が関係し、エネルギー政策面は経済部が、更に整理部が係り、それらの各部内でもMETI記者クラブ、経団連にあるエネルギー記者クラブなどの間でもニュースの取り合いも起こる。

又、報道機関によっても、雰囲気的に各社の方針のようなものもあるようだ。単純ではないが、読売・サンケイは「原子力支持」、日経は「その時々に」、朝日・毎日・東京は「反対」といった感じがある。勿論それに記者の個性も関係して来る。朝日の記者も推進の論調といった人ももちろんいる。

日本のメディアは海外のメディアと少々違う気がする。一度、ある事案についての取材をし、報道内容が一つの方向に向き始めると、その流れにのって、全てのメディアが一斉に追随して行ってしまうといった特徴がある。これは、記者個人としておかしいと思ってもどうしようもない。いつも独特と感じる。

“もんじゅ”で事業者が“事象”と云う言葉を使って大問題に発展してしまった事もあった。社会部の記者は原子力の専門家ではない。このような遊軍団に対しては余程丁寧に説明して行かないと駄目である。本当は平時にいろんな情報を伝え、理解を得ておくべきだが、平時は原子力の取材の必要がなく、事件・事故の時にだけ取材となるから対応が大変、難しいのも確かであろう。

自然科学は理論的に9割は正しく、社会科学は五分五分、人文科学は混沌としていて、何でもありと言った事も理解しておくべきである。メディア、社会は人文科学の分野ではないだろうか。

受信者である「社会」は、原子力が難しすぎて理解出来ていない人達が殆どと思って良い。エネルギー教育は広報より大切だと思っている。

美浜では以前原子力の話はわざと避けて来たらしいが、最近原子力教育の重要性に気が付き、手を付け始めた由。立地点だから、原子力情報は溢れており、常に接してきていると考えるのは早計である、と改めて今回地元の人から、このような話を聞いて驚いた。

 

広報・報道を巡る対談、質疑応答、討論

 事業者の広報の立場から、桝本さんの経験を踏まえ反省を籠めた貴重なメッセージを皆さんに送って頂いた。更によりよいコミュニケーションを図るために、メディアを含め地元との対応との視点から、もっと配慮してほしいといった点についても若干補足をお願いしたい。

 

桝本 昭和45年ころから今日に至るまで、原子力の技術はかなり進んできている。米国で開発された技術を取り込んで、走りながら改善して来た。例えば暴走実験。ミニ・チェルノブイル事故のようなものを人工的に起こして、その危なさを十分踏まえ、それに対して安全施設を組み込んで来た。軽水炉開発の初期から、それなりの進歩があった。例えば燃料集合体は7x7が今では9x9に改良され、燃焼度、ウラン燃料から取り出すエネルギーの総量は大幅に改善された。燃料棒の品質の向上も素晴らしいものがある。かつては定検で蓋を明けると、燃料棒のピンホールの数がかなり有った。

軽水炉の改善には語るべきものが多い。しかし残念ながら、原子力は問題を発表した途端に蹴られるケースが多い。地道な努力、改善を言いにくい点がある。

メデイアの中にも、こうした技術改善に付いて関心を持って貰える人がいるに違いない。我々は技術の改善についてもキチンと説明し、或いは現場に来てもらい、多様な形で説明することが大切だ。メディアの皆さんにどうやって関心を持ってもらうかが、肝心なところだ。

一方でメディアとの信頼関係の問題について云えば、たった一つのトラブル対応の拙さでダメになる要素もある。例えば夫婦関係について云えば、10年前の浮気であってもそれがバレて、それまでの信頼関係がダメになるケースもあり得る。

我々は信頼関係を築く努力をしなければならないが、メディアの皆さんにもお願いしたい。同時に大事な場面で、メディアの皆さんにどういう情報を出し、どう理解して貰うか、この点も普段の努力と共に中々難しいところだ。メディアの人達にも、原子力発電所で働く人々の苦労する姿、或いは悩んでいる姿を見て頂き、共感し共に悩みを共有し合えることが肝心ではなかろうか。

 

 有難う御座いました。新井さんには、メディアの本質論をご紹介頂いた。木鐸が死語になっているとのご紹介もあったが、メディアの報道の偏りが気になり、この様な  ご講演のタイトルを付けさせて頂いた。例えば、原子力の健全な推進に関わる報道は、中々聞こえてこないのが現実だ。メディアは情報の発信者・事業者と、情報の受け手・国民の間の仲介者だとのお話であったが、仲介者を超えた視点の在り方について、  補足をお願いしたい。

 

新井 今日はどろどろしたメディアの実態を見て欲しいと願って、お話をさせて貰った。メディアも個々の人間の行動であり、それぞれに現場は異なる。報道への期待値と実態とは違うことを知っていてほしい。メディアの記者の、働く場での論理を知っておくことが重要だと思う。

例えば、スリーマイル島原発事故が発生した際、電事連の記者クラブに詰めていた記者連中は私も含めて、電事連会長のコメントを欲しかったが、当時、電事連の広報副部長であった桝本さんなどからどうしても出せないと断られた。原子力安全委員会も資源エネルギー庁の記者クラブも、それぞれトップのコメントを取っていたので、電事連会長のコメントが是非とも欲しかった。結果的に出ず、あの時、記者クラブでは抗議文を突き付け、揉めたことがあった。翌日になって東電広報部長名で謝りがあったが、記者の取材にはこんなドロドロした、バカバカしい話が付き纏う。桝本さんはこのあたりを広報メモをお纏めになっているので、今日はお話を伺いたい。

 

桝本 TMI事故が発生した際、日本のPWRでは大飯1号機だけが運転されていた。当時最大の関心事は、発電所の運転を継続するか停止するかであった。結果的には関西電力の判断で止めたが、メディアは「どうするのか?」と盛んに迫っていた。

事業者としての受け止め方は、「飽くまでPWRの問題であり、BWRには関係ない。PWRだけの問題」として閉じ込めておきたかった。当時、資源エネルギー庁公益事業部長室でも、また原子力安全委員会でも記者クラブとの間で電事連と同様に揉めて、公益事業部長室の扉を足蹴りにして記者がちん入するという事態もあった。私は平岩会長と連絡を取り合って、電事連では最後まで突っ張った。

ところが原子力安全委員長からも、公益事業部長からもコメントが出され、電事連だけが会長コメントが出さず、電事連記者クラブの記者は立場上、困り果てていた。

翌日になって電事連会長の記者会見が行われ、記者の質問に対して平岩会長は「PWRだけの問題ではなく、原子力全体の問題だと受け止めている」とのコメントを発表された。結果的に私は、電事連の広報副部長を首になったが、後日、平岩さんに東電広報部長にとりたてて頂いた。当時の記者とは血の出る様なやり取りだったが、今だに親しくお付き合いをさせて頂いている。

 

 事業者の広報は、相手の立場に立って分り易く説明することが大切だとのご指摘があったが、どの様に変わるべきか、桝本さん如何でしょう?

 

桝本 端的に云えば、責められる余地を一切残さないことが肝心だ。

如何に「全部出した」と言える状況を作れるか、透明に出してしまうことが大切だ。

このような状況がいま起こりつつある。勝俣社長は、「そうすることが逆に自分を律することになるのだ」と仰っている。発表に際しては、現場・本社・自治体・行政庁の4ヶ所からになるので、その間の調整が必要になり時間を要する。メディアは誠にせっかちだ。どちらを先にするか、ふん切りが大切だ。また、併せて実情説明が必要になる。何処まで話すか、何分以内に発表するかの約束が先行することになるが、事情の説明も大切だ。例えばプラントの中ですら、情報・状況把握には時間を要するが、急いでいる時には、それが言い訳になってしまう。従って普段からの説明が大切だ。中越沖地震の際には現状把握ですら大変だった。メディアは押しかけてきて、すぐ出せと迫って来る。事態が発生した時ではなく、普段からの事前の説明が大切な所以だ。

 

 緊急時・平常時何れの場合にも共通することであるが、信頼関係の確立が大切である。その為にも記者の皆さんに対して見学会、或いは説明会を国・事業者が実施すればよいと思うが、メディアの受け入れは如何が?

 

新井 メディアと一般の企業の人事の違いがある。同じメディアでも欧米のメディアの人事との決定的な違いは、日本の記者は早いと3か月、長くて2年ほどで担当を交代することもある。従ってメディア側としては専門的な知識が蓄えられないのが現実だ。例えば私がブリュッセル特派員であった時代、NATO担当の女性記者がいたが、彼女はNATO発足の時からずっと専門的に、NATOだけを取材しており、日本とは大違いだ。最近、対面取材が減少しているとの批判があるが、今の記者はFAXやメール、ネットで資料を取り寄せ、これを切り貼りして記事を書くので、記者の変質が目につく。対面取材とは違い、情報発信側との間に溝が出来やすい。考えて書く記者が少なくなっているのは確かだと思う。

 

桝本 広報側では、ご指摘の現実を前提にして、教えてやろうという傾向にあるのが気にかかる。記者会見で、質問に対して何故そのような質問をするのかと、逆に記者に質問する事例が見受けられる。記者とのやり取りを通じて記者の関心を忖度し、それに対応するのでなく、日本の事業者はレクチャー型の会見になりがちなのが気懸りだ。記者との対話が足りない。やり取りをしながら考えて行く中で、信頼関係が生まれることを大切にしたい。ジャーナリストは、自己表現したい人達ということを、よく踏まえる必要がある。情報を発信する側から変質する必要がる。情報を発信する側から積極的にアプローチし、聞いて呉れとの姿勢が大切だ。ダイアローグが大切だ。

中越沖地震の際の報道から貴重な教訓を得た。TVは文字のメディアとは決定的に違うということを、電力は勉強せねばならない。直観的であることを弁えて、どの様に報道して貰うかを真剣に考えねばならない。

 

 情報を発信する立場と、メディアの立場から貴重なご意見を伺った。

時間も迫って来たので、ここでフロアからのご意見を伺いたい。

 

前田 数年前に新聞記者との話しの中で、事実と真実とは違うということが話題になった。

記者は、メディアが報道したものが真実だと主張された。よく考えてみると、事実とは謂わば材料であり、これを基にした結論が真実かも知れない。ご意見を伺いたい。

 

新井 一つの例をご紹介したい。交通事故で負傷したケースを警察で取材する場合、神経質な記者で、事故の真実を確かめたいと車の運転手が飲酒運転でなかったか、車の整備は的確であったか、道路の状況はどうだったかなどが気懸になった。然しながら、逐一確認取材をすれば1週間程度の時間を要することが予想された。そこで警察の発表を基に記事を書く結果となった。

読者には事実を理解するリテラシーが求められること、新聞記事と真実との間には常にある種のギャップがあることも知っていてほしい。

 

久野 メディアの在り方についてご意見を伺いたい。昔、取材を受けて困惑した経験がある。こちらが話したことが記事になっていない。メディアは何をベースに取材に来ているのであろうか?社会へ真実を伝える使命感を放棄して、特ダネを目指し、予めシナリオを頭に描いて、都合の好い発言を編集しているのではないか?

 

新井 記者の自分の口からは、木鐸という言葉は使い難いものがある。結果としてそうなれば良いなアとの思いでやって来た。発言と記事との違いについては、再三のご指摘を受けるが、書く側がストーリーを持って取材に臨むことは無いのではなかろうか。

 

桝本 自分の意見と決定的に違いがある場合は、明確にすることが必要だ。マスメディアでは無いかも知れないが、ホームページやウェブサイトなどを活用して、真実は、或いは発言の真意はかくかく云々だと明らかにして、メディアの責任を問うべきだ。

かつて新井さんは電力自由化について本をお書きになって、その中で、先生達の発言に対して10年先・20年先の責任を問うとのご指摘をして居られる。企業は事業の責任を取ることで企業のガバナンスを保っている。一方で、メディアは報道の責任を明確にしないが、ダメージを受けた場合は、大変難しいが自ら備えるべきだ。

メディアの有する影響力の大きさを考えると、第三者の力を借りてでもその責任を問うべきだと考える。

 

 コミュニケーションの在り方については、一歩一歩努力を積み重ねることが大切だ。

大変貴重なご意見を頂いた。ご発言を踏まえた、午後からの幅広い議論を期待したい。

 

 

第2部   パネル討論:原子力コミュニケーションのあり方を問う

座長 宅間正夫(日本原子力産業協会顧問、元副会長)

 

パネリスト基調講演

1 社会と原子力界の相互信頼を求めて

竹内哲夫(SNW会長)

<講演資料はココをクリックすると参照できます>

世界は厳しい「資源獲得競争」の時代に入り特に中国に世界の石油が吸い寄せられている。急激な原油価格高騰にもかかわらず電気料金が安定している理由に、石油から天然ガス、原子力への転換がある。COを排出しない原子力は、地球温暖化抑制に貢献している。太陽光、風力発電等の新エネルギーが化石燃料を代替できる範囲は限定的である。世界各国はエネルギー安定供給、地球温暖化対策から原子力に回帰しつつある。

我が国では、原子力政策大綱(2005)、原子力立国計画(2006)が出され、核燃サイクル施策も具体化しつつある。その一方、既設炉では電力会社の虚偽報告や中越沖地震等で、健全な発展が阻害されている。この10年間、日本の原子力は失速してきた。発電所の現場では規制制度の面での課題も多い。我が国の原子力プラントの信頼性安全性指標は世界トップクラスにあるにもかかわらず、国民にはトラブル報道のみが伝えられている。この結果、現在設備利用率は70%以下大幅に落ち込み低迷しているが、90%は十分出せる実力はある。設備利用率を1%上げるとCO20.3%削減可能でこの効果は実に大きい。

中越沖地震直後の産官トップの初期行動には反省すべき点が多い。国内のマスコミ報道についても不安を煽る映像記事の連続で、原子炉の安全停止を適切に伝えたのは仏のルモンド紙であったのと対比して極めて残念である。今や原子力界は、国地域自治体事業者報道国民がそれぞれ永年の課題を背負ってきており、5すくみの状態にある。これらを打破するために海外、特に米 に学ぶべきことが多い。

高稼働率、高支持率の米国からは、電力マンの現場技術力アップ、事業者と規制側のフランクな対話、国の検査官のレベル向上等、国をあげての学ぶ必要がある。

事故が少なく、メディアとの関係の良好なフランスの例からは、緊急時の産官の役割分担の明確さ、情報の透明性迅速性分かり易さ、メディア対応者の訓練養成を通した産官に対するメディアの高い信頼等学ぶべきところが極めて多い。

以上のことから、1)国に望む改善点として、原子力立国計画の推進軸の明確化、一般災害時を含めたオフサイトセンターの有効利用、国益を意識した情報の国内外への発信、緊急時の報道官の必要性等々があげられる。2)自治体は、国や事業者との役割分担を明確にし、責任の所在をハッキリさせる。地域放射線モニターをネットで積極広報し、風評被害を減らす努力をすべきである。3)事業者に望む改善点は、自主責任に基づく自主保安の徹底と信頼の醸成、緊急時の広報スポークスマンの設置、事故の時に適切な相場観を伝えることによるメディアとの信頼関係の構築があり、その好事例として日本原燃とJAEAのトラブル事例集がある。4)報道に望むことは、国民の学習機会が多いテレビの賛否両論公平な扱い、温暖化と資源問題解決への正しい(原子力の)国民的理解を促す報道、事故時の扇動的記事や見出しを慎む等があげられる。135万kWの原子力発電を化石燃料置き換えでCOの1%削減になること等是非報道してもらいたいものだ。5)これからは国民参加の政策決定の時代である。国民も自己啓発が必要で、資源食糧人口問題等すべてが近未来に自分と子孫に降りかかる。これらに対する特効薬は省エネと原子力である。

緊急時に国民に的確な情報を提供するため、「原子力110番システム」を国(原子力安全委員会)にもうけることを提案する。特にメディアの速報取材班には原子力の素人が多い。これらの人達の駆け込み寺として必要だ。反対派(原子力資料情報室)にだけ出来ているのはおかしいではないか。

 

2 市民・生活者から見た原子力コミュニケーションの問題点

犬伏由利子(消費者科学連合会副会長)

<講演資料はココをクリックすると参照できます>

初めに自己紹介に代えて「消費科学連合会」のことについてご紹介したい。この会は「すべての消費者が健全な消費生活を営めるよう、科学的視点の下に消費者運動を推進するとともに消費科学(思考)の啓蒙を行なう」ことを目的としている団体で、今年で42周年を迎えた。これからの消費者は学ばなければならない。考えるということをしなければならない。

火力水力自然エネルギーによる発電と原発との違いは、原子力が費用対効果の面で一番であり、効率的でCO2を出さないことである。しかし事故に対して不安を持つ人が多い。では「安心」とは何か。食に例えていうなれば、我が子を育てるときに安心して与えられるもの、リスクが受け入れられる物のことをいう。この場合、「安全」と「安心」の分かれ目はリスクの大きさではなく、対症療法の有無である。

例えば、地震のとき「原子炉は安全か」という問に対して、インターネットの責任あるサイトを見れば「誰々が何と言っているとか、此処まで安全だから安心してくれ」ということを言ってほしい。中学3年を卒業したばかりの人にも分かるような言葉で話してほしい。大筋が分かれば理解してもらえるものだ。同じ土俵にたつことが大切だ。

皆で考える所に来ている。そのためには国の役割は重要で、このことにもっと関与すべきと考える。国の関与というと今までは即規制という形をとることが多くあったが、コミュニケーションという手段の方が効果的であるように思う。コミュニケーションとは、世代、立場、情報格差を越え、議論を通して相互に理解し、納得し合う場を多く持つことで功を奏するものと考える。シンプルで的確な表現が初めにあり、専門家集団と一般生活者とのコミュニケーションが成り立ったとき、はじめて国民のコンセンサスが得られるものと考える。

 

3 安心と安全の狭間―本物でありつづけること

品田宏夫(刈羽村長)

<講演資料はココをクリックすると参照できます>

原子力発電所が大きな施設である、ということは致し方のないことである。そのためか日本の社会は、一般にネガティブな面に心を奪われがちである。過去にプルサーマルの議論をしたときに「安心」を要求したことを今は反省している。

さて、原子力の議論をするときは、必要軸と安全軸で議論する必要がある。メディアは一般にリスクに対する無理解から安全軸だけで論じている。

安心軸と安全軸はバランスがとれていることが望ましい。安全軸にはベースがあり定量化が可能であるが、安心軸は上限値下限値が不明確である。一例として「安全は今一つかも知れないが、でも十分に安心出来る」場合がある。例えば我が家で生産した野菜は、多少の農薬を使ってはいるが安心して食している。

「安全は十分であるが不安が一杯」というケースもあり、原子力はまさにこれに当たる。

この不安に答えるために安全の絶対値を上げることは、往々にして無駄が多く、安心軸の上限がその後安全軸の上限を上回るようになり、結局イタチごっこになってしまう。

安心軸を本来の位置に戻すためにはどうすれば良いのか?結論を言うと、信頼出来る相手である、技術を持った人達(技術者)が語ることである。即ち、「現場の技術者が自動詞(自らの言葉で)直接語りかけかけること」である。

中越沖地震で柏崎刈羽原子力発電所3号機のトランス火災が発生したとき、この火災は社会に何を想像させたであろうか?放っておいても鎮火する火災で、技術者が監視していたが、その姿はテレビでは放映されなかった。事件発生直後、地域の広報部隊はお詫び説明の連続であった。一方現場に大勢いた技術者は、コンプライアンスという部屋に閉じこもってしまった。保安院、県(市村)事業者(運転員)を含め、技術者は何も語らなかった。あの時技術者が自らの言葉で語っていれば、結果は大層違っていたと思う。技術者諸君に申し上げる。居心地の良いコンプライアンスの部屋に逃げ込むな。社会との接点でもっと語れ。技術者の言葉には特別の価値がある。

 

4 信頼される規制当局の説明責任

佐々木宜彦(発電設備技術検査協会理事長)

<講演資料はココをクリックすると参照できます>

規制側の経験者として、経験から学んだことを話す。行政は信頼されているか、それだけの実力があるかを考え、それを目指してきた。保安院が発足して以来、新しい規制の体制が作られ、進化してきている。規制当局への信頼のキーファクターは優れた危機管理能力や、説明責任を果たしていく誠実な対応などである。相手の立場に立って、わかりやすく説明するということは実は難しい。説明責任を果たすためには、相手に伝える熱意をもって繰り返し説明することが必要である。1回で済むということではない。

担当者は変わる。緊急時というものは突然起こる。ほとんどの場合、担当者は始めて対応することになるので逡巡してしまう。拙速であっても行動をおこすことが必要である。「今わかっている範囲では、こうである」と説明することが必要である。情報の開示のずれが不信につながる。こうしたことに対して、日頃からの訓練が必要である。

規制の根拠となる規格基準は国際水準とハーモナイズしたもので、国民を含めたステークホルダーが納得できるものである必要がある。

メデイアの対応を含め危機管理能力を高めるには高度な訓練を必要とする。例えば、ブラインド訓練やメディアを入れた訓練が必要だ。メディアとの関係では、どういうランクの人が説明するかということも重要である。

コミュニケーションにおいては、土俵を同じくすることが必要だ。地球全体を考えよう、人のやさしさ、人が生きる上で何が必要なのかということなどに、どこまで共通感が持てるかが重要である。また、原子力に限らず、様々な相対的なリスクを、人間の知恵で管理することができるというような議論の前提として一致点を見いだしていく作業がコミュニケーションを深めていくことになる。

エネルギー教育、とりわけ、初等中等教育おいていて、原子力に対する考え方は定まっていない。昔と比べると変わってはきているが、もっと変わる必要がある。権利と義務の関係もおかしい。社会秩序のみだれについてもっと考えるべきだ。雪の山の中で、吹雪の中、送電線を維持している人の姿などを、テレビコマーシャルを使いもっと見てもらう必要があるのではないか。

マスコミへの対応について一言申し上げれば、記者も大変な仕事であり苦労があると思う。その立場を理解しようとする姿勢も必要だと思う。私はマスコミとは裸で付き合うように心がけてきた。

地方分権と国益。政治、議会、今の仕組みでいろんなところに綻びが出てきている。そのようなことについてもっと言うべきである。いわゆる絶対安全追求も日本社会全体の問題であったと理解すべきである。言葉の問題ではなく、何が本質かを考えるべきである。

 

5 市民と原子力専門家の「ダイアローグ」実現に向けて

北村正彦(東北大学名誉教授)

<講演資料はココをクリックすると参照できます>

パネリストの皆さんからこれだけよい意見が出ているのに、なぜ原子力は今のような現状なのか、そこを考えないといけない。ダイアローグの重要性については、桝本さんも指摘された。コミュニケーションは、対話が基本であるが、ここでは、対話ではなく、あえてダイアローグと言っている。ダイアローグは言葉のやり取りを超えて、相手の背景を理解することを指向している。深い理解なしに正しい知識の提示だけでは、問題は解決しない。ダイアローグの反対語として、一方的な話し方をモノローグと言っている。

これまでの進めてきた対話では、場の設定をし、専門家の理解不足の問題も明らかにしてきた。対話は繰り返し実施するようにしている。そのことで信頼が確立される。時間や労力を惜しんではならない。

対話を通じて、信頼はあがってきた。私自身も変わってきた。初めはリスクがわかっていないと思っていた。しかし、市民は生活者としてのエキスパートである。専門家は傲慢になってはいけない。説明の仕方、受け止め方を考えないといけない。

原子力はイヤだという背景を考えないといけない。言語化するのはこちらの責任。

市民参加社会はいずれやってくる。いくら科学的合理性があっても、社会的合理性がないとだめである。ディベートではだめだ。形だけやっても伝わらない。繰り返して実施すれば、経験知が蓄積される。7年間続けてきたが、今もって新しいものがある。まだコミュニケーションは大事だよ、というところに留まっているような気がする。

専門家が市民にどう語るか、語れるか。権利から意思決定のパートナーとしての市民参加まで、すべての段階で社会的合理性が必要である。

ダイアローグでは聴く力が重要である。市民の方が「自然放射線と人工放射線って何が違うの」と聴いてきたことに対して、同じですよ、と答えているようではだめ。人工放射線が出るという状況は、どういう状況なのか、それはどのくらい危ないのか、ということが言葉の陰に隠れている。それが聞き取れないようではだめで、何を聞こうとしているか、感性を持つことが必要だ。聞き手の市民には、話し手を試す権利もある。双方向とは何か。コミュニケーションでは理解を共通にすることが求められる。単なるメッセージパスではだめだ。

市民の科学リテラシーを上げることも必要だと思うが、専門家も社会リテラシーを上げることが必要だ。

ある地域で対話の場を設けたいと提案すると「反対派が来て大変なことになるから、うちではやらなくていいです」と断られる。反対派に言いくるめられるくらいならやめた方がいい。聞き手は対面相手だけではないことも認識しておかなければならない。

 

6 午前の講演者からのコメン

桝本晃章(東京電力顧問)

各パネリストは実に的確な主張をされた。広報は一般の仕事とは違う、全人格的作業であると思っている。2、3年で終わるような仕事ではない。しかし現状では、教科書を覚えて答えるのが精一杯。不十分な状態だ。理解を相手に伝える、整理しなおすことが必要だ。

犬伏さんからは、電気を感じるようにしてもらう重要性の指摘があたった。欧米で用いられているスマートメータを導入して、どのくらい電気を使っているかなどを感じてもらうようにすることも必要かもしれない。

品田氏の、技術者がもっと語るべきという指摘には、言葉を超えた説得力がある。

佐々木氏からは、繰り返し説明すること、メディアに情報を出し続けること、拙速でも行動すること、マスコミとは徹底的に話をすることは大切なことである。更に、広報マンに内容が必要であるとの指摘もあった。シニアからの指導があってもよいように思った。

北村氏には、コミュニケーションについて整理をしてもらった。反対の後ろ側に隠されている因子を探しながら対話する必要性は、現役の広報マンに伝えて行きたい。

市民は生活者のエキスパートであるということにも留意することが大切だ。反対派に負けるなら原子力は進められないというご意見は同感である。私も昭和63年、「朝まで生テレビ」という番組に出演した。このときに、論戦をして、視聴者に理解してもらえないようならだめだと思ってやった。

人生経験のある4人のパネリストの先生方のご講演は、中身の深いものであった。敬意を表します。若い人は、ぜひともこの話を活かしてほしい。

 

6 欧州の規制調査報告(フランス)

三谷信次(JNES

<講演資料はココをクリックすると参照できます>
フランスのクライシスコミュニケーション(ANSEDFの緊急時報道体制)と平常時のリスクコミュニケーション(地域情報委員会)の調査を行った。

国家のクライシス体制の対象は原子力だけではなく、自然災害なども含まれる(鯨が港内に入ったなどまで)。緊急時には緊急時センター(MMC)が立ち上がるが、まずサイトMMC40分後に、以降県、国のMMCが順次立ち上がり、連携を取りながら対応する。緊急時対策室には報道対策デスク、報道対応デスク、プレス発表室がある。年4回訓練が行われており、スポークスマンの訓練にもなっている。

日本でもオフサイトセンターがあり、ハード面は進んでいるが、先般にような地震時は、オフサイトセンター立ち上げの対象とならなかった。

平常時のリスクコミュニケーションとしては、地域情報センター(CLI)が設置されているが、これは日本にはないものである。施設周辺の住民を含む様々なステークホルダーと情報を共有し、コミュニケーションを図るとともに、事業者の監視もねらいとしている。メンバーには地方議員や市民団体(グリーンパーティーのような環境団体も含まれる)、経済的な利害関係者などが含まれる。CLIは情報の収集、調査、公開討論会の実施や情報の提供と開示などの活動を行っている。

 

フロアとの対談と討論

 

斗内 低線量放射線ホルミシスについてお考えをお聞かせてほしい。

竹内 私自信がホルミシスの検体第一号だ。毎日、人形峠の残土で作ったタイルのサウなに入っている。糖尿が2年で直った。社会に広めて行きたいと思って活動している。

 

伊下(武蔵工大) “赤福”、“白い恋人”は再販売後も売れている。一度失った信頼を取り戻すのに、原子力と菓子でどう違うのか。

犬伏 “赤福”と“白い恋人”の場合は自分でつけた期限を守らなかったことが問題で、健康被害はなかった。メディアもこの点を報道していた。原子力は漏れた放射線が微量でも、大丈夫かどうか判らないので、食品の放射能に対する心配の方に走った。健康被害を否定する報道もなかった。

竹内 賞味期限があることを知らなかった。冷蔵庫のない時代に育った者としては、期限がすぎていても、食べられるがどうか自分で判る。3年経過したしおからはうまい。

 

関根(北大) 事業者、政府の安全と国民が言う安全の間には大きな隔たりがあると、日頃感じている。この溝を埋める特効薬として効果的だと思う具体案があれば教えてほしい。

品田 名案はない。ダイアローグにより理解を進めることが重要。ある程度の覚悟も必要。安全など生きて行くために必要なものは何かを自覚しないと、このギャップは埋まらない。

ぎょうざは飢えれば解決するのではないか。

桝本 危なさを知っている人の裏返し。危ないと知っている人がやっているから安心してもらえるという面もある。さらけ出して説明することが必要で、専門家に頼らざるを得ない。信頼を得るには時間がかかる。安全はSafety、安心はTrustか。心理とつながっている。

 

吉川(北大) 今の役人は責任をとらない体質になっており、事故に際し法令、ルール以外の説明責任を求められても本質的な対応ができないのではないか。また、法令を作る役所とは独立した組織体制と運営が不可欠と考えるが、現状で問題ないか(三権分立と情報共有化システムが必要と考える)。

佐々木 組織のマネージとしては、どこまで本気で覚悟してやっているかどうかを理解してもらえるかにかかっている。規制の役割としては、毅然としてその役割に徹し、法令、ルールに準拠してしかるべき説明をすることにつきる。同じ大臣のもとに推進と規制(保安院)があるのはまずいという議論もあった。社会の成熟度や国民の総意によっては、しくみを考え直すという議論も起こってこよう。保安院設立後、常に規制の原点に返ってやるよう努力してきたし、今後もそうあってほしいと願っている。

品田 何かのときに責任ある判断ができるかどうかが一番重要である。生きているけど死ねとうような判断(トリアージ)もある。結果責任を論ずるのではなく、この責任を論ずることが必要である。

竹内 今の原子力発電所の現場は元気がない。服務規程的なものまで検査の対象にして、そこに品質保証という難しい概念を入れよとの指導もあり、認証業務が膨大となり、技術者がデスクワークに埋もれている。言葉は近いが昔日本で流行った品質管理TQCで充分である。現場に元気を取り戻すのが喫緊の課題で、この解消が必要である。

宅間 IAEAがうんと言わないと、納得してもらえないという状況もある。国民に成り代わってチェックする機関が分かれていたほうが良いと思うがどうか。

佐々木 規制当局が信頼されていないからIAEAに頼るという見方もあったが、原子力は世界中で情報を共有しており、IAEAは自分自身の判断でその役割を果たすことが求められている。今回は政治的、マスコミ的にIAEAが国内事情に利用されたというのが実態である。今回の地震では、責任ある人が責任ある発言をするという点で、初期動作に関して反省すべき点もあり良い教訓となったのは事実である。

規制と推進の分離に関しては、分離したからすべてうまくゆくものでもないが、規制の独立は国際的な動向でもあり、そういった心構えは必要である。規制のしくみやルールについても、国際的なハーモナイゼーションを本気で考えることと、このための人材確保が必要である。

規制にあたっては、事後監視型規制への移行が基本である。PDCAが回っていることが判ればよい。民間のルールを活用しており、実際の運用に当って軌道修正もされていると思う。

 

秋元 JCOのときの判断では、一部(10km以内外出禁止)過剰なものがあり、これが風評被害につながった。きちんと反省され、一つ一つけじめをつけていれば、納得できる対応ができたのではないか。規制のあり方については米国でも1990年頃には問題があり、これに対処したため、現在は90%台の稼働率になった。日本も見習う時期と思うが、ご意見を伺いたい。

犬伏 国民は本当の情報がわからないのが実情。事前にシナリオが書かれていれば対応できるのではないか。最悪のシナリオがないので、右往左往してしまう。何を信頼してよいのかわからないので、安直に誰か(第三者機関)が言ってくれればということになる。どこまでいってもきりがない。防災から減災への方向転換が必要。公共性の面で、基本のところは国にきちんとやってもらえるシステムがほしい。

佐々木 とえば原子力の立地の場合、段階に応じた国と事業者のかかわりの間には役割分担がある。事業者はもっと堂々と発言すべきである。原子力に携わる方々の議論は内向きの傾向が強い。もっと大きな場やしくみが必要であると思う。

北村 国がもっと表に出て責任もってほしいとういう声はよく聞く。これは事業者がちゃんとやって、国が勘所を抑えてほしいという意味である。

 

羽倉 市民を直接相手にする場合、規模に限界がある。大勢に発信するにはマスコミを活用する必要があるのではないか。

北村 市民と直接ダイアローグするのは、波及効果をねらったものではない。マスコミは仲介者であり地域住民には当事者性がある。原子力関係者は小さな経験を、様々な場所で翻訳して活動してもらいたい。また、一緒につきあってくれた参加者は活動のパートナーになってもらえる。変化はリニアには起こらない。いろんな形で姿を変えて飛び火し、波及してゆく。

桝本 考える元になる皆さんが増えてくる。ヨーロッパはダイアローグが好きだ。ジャーナリストもモデレータとして参加するなどの形で関与している。

 

玉生(産創研) 日本はヨーロッパと違い構造運動、火山活動の活発な弧状列島に位置していることを念頭において、コンセンサスを形成する必要がある。(ご意見)

 

長富 フランスのクライシスコミュニケーションのスキームと、中越沖地震の際の対応を比較したら、どのような差があるか。

三谷 フランスはテロや自然災害(鯨が港にきたときも)を含め、国の危機管理として決めている。発電所にトラブルがあれば、まず発電所のMCC(緊急時センター)が立ち上がり、順次県、国のMCCが立上る。

 

座長のまとめ

宅間正夫(日本原子力産業協会顧問、元副会長)

 本日のパネルおよびシンポジウム開催の狙いを今一度お話してパネルの総括としたい。

 原子力発電は20世紀後半の半世紀、原子力専門家・関係者等の努力により著しい発展を遂げた。しかしその背景には原子力を取りまく社会環境にも恵まれていたことを忘れてはならない。端的に言えばこの半世紀は生産者論理の時代、技術と専門家が社会を牽引しこれを後押しするように産官護送船団が許された時代、「俺について来い」的な男性・父性論理の社会、理性が支配的な社会であった。

 しかし世紀末から現在にかけて人口90億の地球が50年後に予見され、エネルギー安定確保・地球温暖化問題に直面しはじめて、省エネルギー・省資源とカーボンフリー社会が望まれ、原子力が再び世界的に1つの、しかし不可欠の選択肢と見られてきている。原子力界から見れば「原子力ルネサンス」の到来である。しかし原子力を取り巻くこれからの半世紀の社会環境は前世紀のそれとはまったく違ってくることに気がつく。

 経済的には「市場原理の自由経済社会」、政治的には「市民主権の民主主義社会」への変化といえよう。端的に言って前世紀とは正反対の、消費者論理の時代、市民と生活者が社会の進展に重きをなす時代、女性・母性原理の社会、感性が極めて重視される社会であろう。「隠されることへの不安」が一層高まる。市民の「コミュニケーションする権利」が尊重されなければならない社会、と考えられる。

原子力界が前世紀と同じ体質を持ったままでは「原子力ルネサンス」を迎え新しい原子力の時代を開くことは至難の業である。例えば昔のように「俺たちについて来い」(自分たちこそ正しい)意識、理性で説けば原子力をわかってくれるはず(わからないのは社会が悪い)、原子力立国計画で国策になったのにマスコミが取り上げて社会を啓蒙しない(自分たちの論理でマスコミに期待)、などが通用しなくなる。座長自身の反省・自戒を込めて言えば、今までの原子力広報・PAは「原子力を社会にわからせる」という発信者の一方通行、しかしこれからは「原子力界が社会を理解する」こと、そこからコミュニケーション・ダイアローグが始まり、人と人とを通じた信頼と安心へのスタート台となる。また中越沖地震で発電所の緊急時対策室の機能が失われたが、これなども専門家は放射能災害を起こさないように設計されているから起こらない、だから防災計画は国・自治体の考えること、ではなかったか。これからは設計を超える事象も起こりうる、しかし何が起きてもハード・ソフトで現実的に対処することが当然となってくる。技術と専門家がつくる「安全」が社会の求める「安心」の次元にレベルアップしていくことにつながるだろう。

本日はすばらしい講師・パネリストにご参加いただいて社会と原子力界との一層の信頼関係を築きつつこれからの新しい原子力の時代を切り開くために、原子力の専門家・関係者がどのように変わればよいか、その方向と方法について貴重なアドバイスをいただいた。

一方、中世から近世への「ルネサンス」は、当事者のみならず社会の人々も変わり、双方の変革があいまって新しい時代が拓かれたともいえる。原子力・エネルギーについても市民・生活者が専門家に任せるだけの時代から一人ひとりが自分のこととして考え、判断する時代になる。専門家との「コミュニケーション」を通じてこれが実現に向かうことが望まれる。そこに「原子力コミュニケーションのあり方を問い直す」本日のシンポジウムの狙いがある。

パネリストの皆様、会場の皆様、張り詰めた真剣な会場の雰囲気の中で長時間ご清聴、誠にありがとうございました。

 

閉会挨拶

金子熊夫(エネルギー戦略研究会、EEE会議主催者)

日本は民主主義社会で、原子力は向かないという人もいる。現実は厳しいが、大黒柱の根っこがシロアリで倒れるようなことがあってはならない。

批判勢力もあるのは健全な社会であり、ある程度は反原発も必要である。刺身にはわさびが必要であるが、わさびだけでは食べられない。反原発には知恵を絞って反撃にでなとならない。

対策としては上からと下からの二つがある。

下からとしては、広報は勿論として、エネルギー教育、市民講座があり、社員教育もやってもらいたい。また、現場の技術者は市民に積極的に語りかけてもらいたい。もっと発信することが必要であるが、原子力界にはスポークスマンが少ない。

トップも頭を切り替えてもらいたい。国策なので総理ももっと発言してもらいたい。クールアース50だけ言ってもしょうがない。具体策としては、原子力抜きでは成り立たない。自信をもってエネルギーセキュリティー、自給率、CO削減に取り組んでもらいたい。全国的に影響力のある議員の方にも働きかけてほしいと思っている。

昨年、総理に政策提言を行った。引き続き民族の将来のため原子力にもうひと頑張りしてもらいたいということを発信して行くことを申し上げ、締めくくりの挨拶としたい。どうもありがとうございます。

 

終了後の懇親会風景

以上