第3回チェインディスカッション



日本原子力学会 社会・環境部会
 

第3回チェインディスカッション議事概要
 

註)
発言内容の本人による確認が出来ないため、座長・講演者以外の発言者名は示していないが、発言毎に便宜的に番号を振った。
 

テーマ: 「原子力を蘇生させるには」
座長:  広島大学・菊地義弘
講演者(話題提供): 中国新聞社・山内雅弥  −マスコミの眼から見た原子力−

日時: 平成12年3月30日13:10−15:00
場所: 愛媛大学(日本原子力学会2000年春の年会のL会場)
出席者: 約50名

常任幹事(傍島)よりチェーンディスカッションの趣旨・経緯の説明、幹事(澤田)より座長、
講演者の紹介があり議事に入る。

(発言番号01)
菊地 原子力の元気を出させるにはという観点で阪神大震災後の土木学会の活動の調査結果を報告する。阪神大震災後の土木学会では、社会の基本問題に対する声明等の情報発信、学会発表件数の増加、学生・社会科学等の会員数増加、民間人中心の部門の新設、土木という名称の変更に関する議論、倫理規定の制定、災害・事故の報告の増加、等の変化が見られ原子力学会も参考にすべき点が有る。

(02)
山内 中国新聞社は、新聞社自体が「被爆社」であり、昭和20年11月まで新聞を印刷出来なかったという歴史を持ち、自分たちが被爆者であるという立場からこれまで「被曝と人間」、「核と人間」の関係を見直す企画を立て、その分野で過去に3回の賞を受けている。例えば、20カ国に渡る原爆以外の被曝者の取材、広島50年の特集として過去の記事の分類・整理や原爆開発に携わった科学者とのインタビュー特集である。
 東海村JCO事故では、東海村被曝者とのインタビュー、原子力委員会・原子力安全委員会・反対派等とのインタビュー、原発の労災事故の認定経緯・問題等をシリーズでまとめた。JCO事故以前は、このように社を挙げて原子力の取材をすることは無かった。JCO事故は一つの転機であり、転機となった理由は広島市民感情を反映したからと考えている。 即ち、広島に於いても実際の被爆者が減り、被爆体験の風化が課題となっていたが、被曝の問題には敏感であり、この事故で原子力事故も人ごとではないと感じたからであろう。多分、日本全体も同様に感じたのではないか。事故後の世論調査でも事故前に比べて原子力が非常に不安と言う人が倍増している。また、行政に対する不信感も増大している。
 最近のアンケート調査結果だけでなく昭和43年の結果を見ると平和利用がバラ色の当時も原子力に対しては広島・長崎の暗いイメージが付きまとっていたと言える。また、当時からアレルギーという言葉が使われたが、アレルギーというかセンシティブな認識は一般人だけでなく専門家も持つべきである。
 さらに5年前に旧ソ連に取材に行った経験から、被曝者に対する正確な科学的説明が重要である。
 まとめとして、
1)絶対安全は無く、リスク的見方が必要であり、専門家もそういう見方での情報を流すべきであること。二者択一的に安全・不安全を迫るのは誤りで、マスコミも冷静に対応すべきこと。
2)情報公開の必要性
3)これまで安全を保てたことの一つは、反対派が居て緊張関係が保たれたからであり、反対派をある意味でのオンブズマンと位置付けるべきであること。
4)原子力の信頼回復のためには、開発途上国への技術支援、被曝者への医療の支援が必要であること。

その後、討議に移り下記の意見が出された。

(03)
絶対安全、安全神話というのは誰が言い出したのか? 原子力研究者・技術者は安全神話とは最初から思っていなかった筈。絶対安全に近いことを規制側の説明や裁判の過程で言われたかも知れないが、適切ではない。

(04)
反対派が居ない方が良いとは思っていない。

(05)
原発と原爆の混同した報道などは、違うことを理解させて欲しい。

(06)
阪神大震災の前に、日本では橋が落ちるなどあり得ないと言っていた例もある。チェルノブイリの時、日本は炉型が違うからああいう事故は起きないと言ってきたので、原子力も推進側が有利になるような発言をしてきた点は反省すべきではないか。

(07)
核アレルギーという言い方は開発側の傲りがある。技術屋は理屈で考えようとするが、感情も大事にする必要がある。理屈と感性のバランスが技術者は崩れ易い.非専門家と共通のレベルを持たないと議論は出来ない。

(08)
山内 否定的な言葉として核アレルギーが使われているが、市民としてどう思うかを技術屋も考えるべき。自分の女房・子供はどう考えるかと問う必要がある。

(09)
山内 原子力は見えない、得体が知れない。ラドン温泉が身体に良いと思って入ったり、レントゲン等、一方では役に立つことも知っては居るが、原発を恐れるのが市民感情というもの。これをナンセンスと決めつけても駄目。

(10)
山内 大新聞の科学部の記者は知識があるかも知れないが、地方支局の記者は文化系であり、先入観も有って、詳しく説明しないと正しく伝わらない。また、電力からの説明は半分眉唾で見るという点もある。正しく知って畏れるべきだが、一般の人は余りに知らない。

(11)
地元のPAや立地の前線では絶対安全と言わされてしまうのではないか。これまでの規制は決定論でリスクは参考だったが、今後の防災、アクシデント・マネージメントはリスク論である。日本社会にリスク論は馴染まない等と言っていられない。逃げずにリスク論を説明すべき。

(12)
Engineering as social experimentという言葉がある。原子力はlaboratoryの中で始められ、社会に出た時にどうだったか。実験炉の現場でも、外に対しては絶対安全に近い言い方をしないと前に進まないことがあった。また、リスクを提示しなかった反省が有る。

(13)
遺伝子工学、ゴミ処理(ダイオキシン)等の問題に対しては我々が素人であり、リスクを正しく考える必要がある。そのためにはコミュニケーションや教育が重要。小中学校、高校でリスクの考え方を教えるべき。

(14)
10の何乗というのは一般の人には伝わらない。損失寿命という概念で伝えられないか検討している。一方、主観リスクが重要という意見や、客観的リスクだと言っても技術者の主観リスクではと言われるという問題もある。小さなリスクでも結果の大きいものを大きなリスクと感じる傾向があり、社会的なリスクを考慮する必要がある。

(15)
確率で認識して貰うことは難しいという問題がある。

(16)
高レベル廃棄物処分の問題で、火山活動再開の可能性を小さな数値と評価しているのを、火山の専門家の間でどのようにして決めたのかの議論を明らかにすることで納得が得られたという例が有る。同様に、数字そのものより決めるプロセスや議論の内容を明らかにすることで納得して貰えるのではないか。また、常にリスクを小さくしようとしていることを理解して貰う必要があるのではないか。

(17)
マスコミも読んで貰い、売り上げを伸ばさなければならない。マスコミに多くを期待すべきではない。

(18)
専門家は薬には副作用があることを知っているが、日本の患者は薬をいっぱい欲しがる。この辺りにも専門家と一般市民の関係改善の鍵があり、マスコミもどう伝えるかの役割があるのではないか。

(19)
マスコミを含め情報発信する側が、プロセスでなく結果(数値)だけを出す傾向も有る。プロセスの中には、ソース・タームや線形閾値なしモデルのように未だ完全に科学的とは言えない部分もあり、その部分の研究に力を入れると共に、どこが分からないかも十分に伝える努力が不足していたのではないか。

(20)
原子力に対する公衆の恐怖心の根底には、低線量放射線被曝により、長期にわたって膨大な発ガン患者や遺伝影響が発生するとの線形リスク仮説問題が深く横たわっている。米国エネルギー省では、70億円をかけ、この仮説の見直しのため最先端のライフサイエンスを動員した10ヶ年プログラムをすでに始動させている。原子力を蘇生させていくためには、公衆の恐怖心の根底に横たわっているこの問題に最先端のライフサイエンスの光をあてていくことが望まれる。この場合、できれば、大気汚染や環境ホルモンによる健康影響の発症メカニズムとの比較分析も含めた国家的な総合研究プロジェクトとして展開していくことが望まれる。

(21)
どうやったら、リスクが正しく認知されるかが問題。技術者は数字だけで判断するが一般の人は結果の大きな事象や、よく分からないものを大きなリスクと見る心理ファクターがある。自発的に取ったリスクか、押しつけられたものかでも違ってる。これを考えずにリスクを伝えてもうまくいかない。また、地球温暖化のようなリスクと、どうやって比べるかの研究に学会としても取り組むべきではないか。

(22)
飛行機は落ちることもあり、落ちたら死ぬことも分かっている。にも拘わらず社会に受け入れられている。これは原理が単純で、合理であるから。原子力は「?」も多いので、そこを研究すべき。

(23)
天気予報では10年以上確率が用いられ成功している。飛行機の例も保険に入る人が居る等リスクを認知している。努力すればリスクも分かって貰えるのでは。

(24)
もっと市民を信用してよい。こういう議論を一般市民も交えてやっていくことも必要。

(25)
菊地 自分の学生を見ても原子力の知識が少ない。これから十分に教えていく必要があると感じた。

<記録:第3回幹事 澤田>
以上




チェインディスカッションの記録に戻る