第2回チェインディスカッション



日本原子力学会 社会・環境部会
 

第2回チェインディスカッション議事概要


第2回議事テーマ「なぜ原子力はかくまで国民に受け入れられないのか??原子力研究開発及び利用の側からの考察」

座長:学習院大学 田中靖政
講演者(情報提供):電中研 土屋智子

日時:平成11年12月8日(水)15:00?17:30
場所:東京、三菱重工丸の内本社10階大会議室

出席者:49名 (出席者リストはこちら

幹事(三菱重工 澤田)より今回テーマ、座長、講演者の紹介があり、議事に入る。

田中  今回のテーマは挑発的であるが、実際、原子力は決して多数の人びとに好かれている訳ではなく、無ければ無い方が良いと考える人たちが多いのが現状である。何故そうなのか。どうすれば、好かれなくても受け入れるだけは受け入れては貰えるか、を考えることが重要である。配布資料のC.P.スノーの「二つの文化」にもあるが、「科学者の文化」はより「文学者の文化」に近い一般の人びとに受け入れられにくい部分がある。例えば、高度工業化社会は、これまで産業が「作りっぱなし」「使いっぱなし」だったことから生じた「環境破壊」への反省に立って、公害の防止や予防に努めるようになって来ている。「公害」という面から科学技術が悪玉と見なされるような時代にあることを正しく理解する必要がある。今日の原子力は社会現象である。社会現象である以上、原子力と社会、原子力と人間の関係を明らかにするためには、産業心理学、社会心理学、政治学、社会学、コミュニケーションなど、社会科学的学問領域からのアプローチが必要であろう。残念ながら、社会科学者で原子力に関心のある者は多くない。ここに人材不足という問題がある。また、原子力の専門家は原子力に対して「安全かつ役に立つ」という認識であるが、原子力の非専門家(社会科学者の多くも一般国民の多くも、ここでいう『非専門家』に入る)は「役には立つが危険」と認識しがちである。実際の調査によるデータからも、「有用感」については専門家と非専門家の間に有意差は認められない。有意差が認められるのは「危険感」である。こうした社会心理学的なアプローチの特徴や必要性を踏まえて、次の講演をお聴きいただきたい。

土屋  科学技術のリスク認知と態度について一般と専門家、及び専門家間の差異を比較分析してきた結果を紹介したい。なお、パブリックアクセプタンスは上からの押し付けという感があり、パブリックコミニュケーションという言葉を用いている。
ダイオキシン、バイオテクノロジー、原子力について、首都圏、地方圏の一般国民、及び専門家として当所職員と大学教員を対象に意識調査を行った。この結果、特に原子力において、安全か危険かという認識に一般と専門家で傾向の違いが見られた。理由として、第一に科学技術観の違い、つまり専門家には「コントロール可能」との認識があることが考えられる。第二に、一般の情報源が主にマスコミであるのに対して、専門家は専門書や講演といった情報源があるという科学技術の情報源の違いが影響していると考えられる。また、専門家間でも傾向に違いがあり、得られる情報の質も影響しているようである。一方、他の人はどう考えていると思うかという問いに対して、特に専門家が一般或いは他の専門家に対して持つ認識にずれが大きい。これは、専門家は専門家としか話していないこと、及び、一般がどう考えているかの情報をマスコミから得ていることが理由と考えられる。一般が「判り易く具体的な」情報提供を期待しているのに対して、専門家は「科学的に見て欲しい」と考えており、マスコミが正しく伝えていないのではないかという情報への不信感がコミニュケーションを拒んでいることも考えられる。また、専門家間では「安全」の議論に終始し、「危険」についての会話がないことがリスクマネジメントの弊害となっていることも考えられ、情報提供における情報の偏りが問題であろう。

田中  自由なご意見、ご質問をお願いしたい。

・ 専門家をもっと細かく分けて分析すればまた異なる結果が出るのではないか。

土屋  ご指摘の通りだと思う。現在遺伝子組替に着目したそのような分析も計画している。

・ 折角なので国内だけではなく海外にも調査範囲を広げてはどうか。

・初めて一般と専門家との差を示すものが出てきた。また、コミニュケーションという言葉は一歩前進と感じた。

・頭の中が整理できた。短絡的かもしれないが、最大の問題はマスコミとの関係ではないか。原子力学会として何らかの調査活動を行ってはどうか。

・もんじゅの事故調査で80回程度もの会見を経験したが、開けっ広げに議論すれば理解してもらえた。最後は信頼関係だと感じた。

・科学部の記者は理解してくれていても、事故の時に取材に来るのは社会部で、社会部との会見では認識してもらえるように伝えたいと思いながら流れに巻き込まれてしまう。伝えるための努力をすべき。

・原子力は怖いものであり、打ち勝つために安全工学がある。何かあってもバックアップで助かることは多々あり、現場の人達は認識している。起きたことに対して影響はこの程度と説明できることが重要である。JCOの事故で社会部を含めたマスコミと話したが、放射線被曝に関する知識がない。ちゃんと言っていこうではないか。

・リスク評価の観点で燃料施設は盲点であった。リスクは発生頻度と影響の積と言われるが、一般の人の認識には影響が大きいとリスクをより大きく見るファクターがあり、確率が低いと言っても受け入れられにくい。また、自発的なリスクは受け入れられても押し付けられたリスクは拒否されるものであり、自発的に受け入れてもらうためのステップが必要であろう。

土屋  ゴミ処理に関するアンケートで、押し付けで近くに建設された場合は反対が多いが、自分の望む決定プロセス、例えば市民参加の議論の結果として近くに建設された場合には賛成が増える。自分で決めるための情報公開、それも代表者ではなく多くの意見を聴く場があった方が良い。

田中  配布資料にある「主体文化」における「先行的意味」と「結果的意味」の分析の結果が参考になると思う。これは、「原子力の受容」の必要条件となる「先行的意味」と、「原子力の受容」がなされた後の「結果的意味」の主観的因果関係を明らかにするものであるが、有識者を対象としたこの調査では、「原子力の受容」の場合、「先行的意味」と「結果的意味」の両方で「エネルギー確保」の頻度がトップとなっている。ただし、「結果的意味」には「危険」という意味も含まれており、「原子力の受容」は必ずしも「安全性」への確信につながっていない。他方、「石油危機」の観点からは、「エネルギー確保」のための「代替エネルギー」の必要性が「原子力の受容」を促進する先行条件となることが分かる。

・現場では地元の人々と話してきたが、情報提供は必ずしもうまくいっていない。世間には批判的な書籍ばかりであり真摯に議論された報告書はなかなか出回らない。ディベートの相手がいないとうまくいかないのかもしれない。「判り難い」と一発で切り捨てるのではなく、受け手側から切り出して欲しい。

土屋  色刷り、絵付きで分かり易く作成された報告書と白表紙に中味は文字ばかりの報告書のどちらを読むかと聞かれたら答えは明らかであり、従来のカベを超えた工夫が必要。受け手側の質問の仕方に関する訓練、マニュアルもあって良いと考えるが、何が判らないのか、何を知りたいのかを聞くルートを太くしていくことも重要。

・発電所の地元住民はおそらく100%不安を持っている。昔は地元の有力者を中心に説得したが、最近では通用せず、コミニュケーションはまだまだこれから。技術系専門家への不信感もあり、例えばY2K対策が万全であれば取材させるくらいでないと説得できない。

田中  オープンにすることは良いが、万一のときに報道陣が邪魔にならないような事前の配慮は必要。

・専門家も「安全」とばかり言っている訳ではなく、マスコミにも通常時とトラブル時で対応が異なったりフィルターがかかる等の問題はある。逆に専門家は正確に話したがるということが弊害となる面もあり、多少不正確ではあっても分かり易く話すことを考えても良いのでは。

土屋  マスコミ側にも確かに問題はあるが正すのは大変だし、マスコミは国民を見ており、結局は一般国民を変える必要がある。やはり専門家からの歩み寄りが必要であろう。一般国民も単純にマスコミによって右往左往している訳ではない。

・知識の出所の問題はあると思う。例えば施設を見学した人は安全と思う場合が多い。個々の情報伝達手段はできているが数の勝負で結果が決まる面があり、マスコミに対してどう伝達するかが問題である。

土屋  要は情報の信頼性が問題ではないか。どうやって信頼性を高めるかが次の問題であろう。

田中  「JCO事故によって原子力発電の支持者が大幅に減ったのではないか」と考える向きもあるが、事故後の新聞の世論調査では「積極的支持+現状維持」が2?3%減った程度であり、それほど大きな変化は生じていない。また、事故以前からも「原子力は怖い」と感ずる人たちは90%以上おり、「こわさ」においてもほとんど変化は見られない。「原子力の受容」は「危険感」や「不安感」というような「恐れ」のファクターだけで決まるものではなく、「恐れ」+「利便性」の関数であることが知られており、「有用感」や「必要感」のウェイトを無視することはできない。「原子力の受容」はもっと広く、「多次元的」に考えることが必要である。

・国民おしなべての受容性と、立地としての受容性は異なる。東海村は今回自ら被曝を経験し、根本的に考え方が変わったのではないか。これからはリスクが何かをきちんと説明していくことが必要である。住民は影響の大きさを問題としており、そこには定量化できないメンタルな部分がある。放射能への不安に対して正しい基礎知識を広めることが重要である。

・リスクコミニュケーションに関する文献ではリスク比較は役に立たないと言われるが、リスク比較の議論も必要ではないか。例えば原子力で言う事故時のリスクに対して他分野は通常時のリスクであり、全く違うものを評価している。

・民主的な意思決定には欠点はあるが希望もある。ただし理不尽な被害は困る。マスコミは理不尽と考えているのではないだろうか。リスクを正しく理解してもらう努力を根気強く続けることが我々の義務である。

・原子力にはプラスの面とマイナスの面があり、地域によって公平ではない。この差を埋める社会的システムの整備をどうしていくのか。

田中  例えば大阪府知事が発電所に感謝の意を表したように礼を尽くし始めた。税制優遇等の特権、地域との共生、還元等、国の政策に左右されるが、議論すべき課題である。

土屋  価値観や物事に対する考え方などの地域差はなくなっており、かつてのようなやり方は難しい。本来は先ず情報公開、次に被害の大きさを示すなどコミニュケーションを良くし、最後に補償があるべきであるが、今までは順番が逆だったのではないか。

常任幹事(原研 傍島)より、第3回を愛媛大学での春の年会時に開催し、座長を広島大学の菊池先生にお願いする旨紹介があった。テーマ、幹事については調整いただき追って連絡する。

菊池  良いテーマがあれば提案いただきたい。ジャストアイデアだが本日議論のあったギャップに焦点をあててはどうか。

田中  本日議論がなかったものとしてもんじゅ以来のトラブルに対しての、もういいからまかせる、ない方が良いといったファティーグファクター(飽き)の問題があるが、むしろ視点を変えて建設的、前向きな議論が望ましい。

(記録:第2回幹事  澤田)
注:発言者名は発言内容の本人確認ができないため、座長他特定の人以外は示さず。




チェインディスカッションの記録に戻る