第16回チェインディスカッション



日本原子力学会 社会・環境部会
 

第16回チェインディスカッション議事概要

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討論テーマ「原子力のリスク、一般のリスク」

日時:平成18年3月24日(金)13001530

場所:学会春の総会E会場(日本原子力研究開発機構 大洗研究開発センター)

座長:北村 正晴氏(東北大学)

 

1. プログラム

以下の講演者の方に、今回のテーマの趣旨に沿った演題にて講演をいただき、会場からの質疑と討論を実施した。

@     渡辺 正氏 (東京大学生産技術研究所 教授)「暮らしのリスクと環境リスク」

A     唐木 英明氏(東京大学 名誉教授)「食の安全と安心の乖離」

 

2. 議事概要

(1)渡辺 正氏 (東京大学生産技術研究所 教授)講演

「暮らしのリスクと環境リスク」

     科学とは、想像で物を言わない、数値に目を配る、物事には原因と結果がある、断定するのは慎重にする、常識は一度疑ってみる、ミスは認めて考え直すということであるが、これに合わない話がかなりある。

     そういう例のひとつとして、「酸性・アルカリ性食品」があるが、今でも海外では概念も用語も存在しない。大正時代に、ある大学の教授によって構想で発表され、たちまち日本に染み付き商売の種になってきた。大正時代にはphがきちんと計れるはずはない。

     1980年代の疫学調査で、赤ワインをよく飲む人は、長寿だという報告があった。その後今から10年前位にイギリスで調査をした結論は、赤ワインを良く飲む人は、飲めるという裕福層でもともと寿命が長い、あまり飲まない人というのは、飲めないという貧困層でもともと寿命が短いということであった。海外では、もはやこのような話はなく科学的根拠もない。

     環境問題は、1980年代に入って次々と発生したことであり、誰かに言われなければ気づかなかった問題である。

     問題の性格としては、誰かが言い始め、一見理科のように見え、子どもにもわかりやすいが、実感がなく心配な話が多く儲け話につながっているというようなことではないか。かなりの問題は見えないところが多い。

     人間が一呼吸500ccで吸い込むダイオキシンの分子は約数千〜1億、PCBはその1000倍くらい。また、カリウム40はγ線をだしており、人体からは毎秒6000本出ている。日常のリスクは比較的大きく、風呂場でなくなる日本国民は年に約6000人、1日に20人近くが亡くなっている。数字の単位で、よく出てくる100万ピコグラムは1マイクログラム。数字の扱いは慎重にならなければならいところがなっていないために問題になっていることが多い。

     何かが怖い危ないというときに、活性、毒性だけを見ていてもしかたがなく、身体にどれだけ入ってくるかということであり、そのリスクは、Hazard ×Exposureである。身近では、その辺の土を掘ればボツリヌス菌や破傷風菌がいるが、我々は土を食べないので、摂取量はゼロでリスクもゼロである。体内摂取量が一定以下であると、体内の解毒システムが処理をしてくれるので大丈夫。

     ナトリウムやセレンなど身体の必須元素は、摂取量がゼロに近くなると死亡し、適量を保てば健康であり、大量になると毒となって死亡する。一方必須でない元素や物質では、ある一定量までの摂取では何の問題もないが、あるところから毒性が表れ死亡に至る。どんなに少なくても危ないという感覚が騒ぎを生む。リスクゼロ信仰は、リスクをきちんと考えるのではなく、実はハザードを限りなくゼロにするということ。許容範囲で暮らしている中で、平気なものを平気なままゼロに近づけても意味がない。

     縄文時代に縄文人が呼吸をしたとすると、例えば水銀の原子なら3000億吸っている。我々は、何十万種類のものを体内に入れているが、目に見えない上に危険な量ではないので気にしていない。米に含まれるカドミの濃度は平均0.07ppm、この数字だけであればゼロに近いような感じだが、米一粒には約5兆個のカドミニウムの原子が入っている。これが20倍になるとイタイイタイ病のレベルである。

     普段我々が暮らしていて、数倍から数十倍になることでアウトになるものがたくさんある。例えば、道路のそばで吸う空気の一酸化炭素が10倍になるとかなり危ない。温泉の成分も10倍になったらアウト。アルコールの致死量は日本酒で一升四合、ワインで4本。カフェインはコーヒー50杯。ニコチンは、ハイライト2箱分の煙、たばこを食べたら1、2本で死亡するだろう。くすりは基本的に毒であり、510倍で死亡事故が起きている。ソラニンというじゃがいもに含まれる毒は、10kg分のジャガイモに含まれる量で致死量となる。我々は、吸う空気や食べ物などでもかなり危ないものの中で生きており、少量であれば問題はないが、リスクを考える場合重要なことである。

     野菜やくだものなどほとんどすべての植物は毒をもっている。微生物も同様。生物はいわゆる化学兵器を持って生きており、その中には猛毒、抗生物質、殺虫剤、抗酸化作用もあるが発がん物質でもあるポリフェノールなどがある。野菜や果物は、品種改良などで適度に毒を減らした植物であるが、決してゼロにはなっていない

     2004年の食中毒患者は28,000人。この年の秋に、スギヒラタケの食中毒で20人が亡くなっている。これは原因がはっきりしていないため、現在厚生労働省統計には入っていない。食中毒の99%以上が天然物により起きており、化学物質などはあまり関係のないものである。

     発がん性に関する米国データによると、ねずみにある物質を投与した場合に半数が発がんする確率は、エタノールで3.6%である。人間に当てはめると缶ビール1本を毎日飲んだ場合に同じ確率となる。室内の空気(ホルムアルデヒド)、コーヒーの順で確率が高い。

     同様にレタス、オレンジジュースなどに含まれる発がん性物質は、普段の生活の中で体内に入ってくる物質であり、天然には発がん性物資が多い。合成物質では、エチレンチオ尿素がトップでダイオキシンやPCBがある。我々は常に発がん物質などを体に取り込みながら生活している。

     日本で1年間になくなる人の数で数万が酒、タバコ、車。10100が天然の毒素を含む食物で、化学物質は1〜10程度。通常残留農薬の規制は、それを毎日摂取したとして生涯の発がん率が0.001%以下になるように、1日の許容摂取量が決められている。

     アルコールを化学物質なみに規制すると、1日の許容摂取量は日本酒で0.1mL、5年で一合。しかし、なぜアルコールが野放しなのかというと、許容摂取量が安全レベルのはるか下であると共に、規制したら事実上禁酒国となり社会経済的な影響が大きいためである。

     米国人が命を落とす身近な物品や行動のワースト3は、タバコ、アルコール、車。4番目は米国らしく銃器で年間30,000人位が死亡している。原子力発電は20位。26位から28位の食品着色料、食品保存料、農薬が化学物質。25位のワクチンで死亡したというようなことはあまり聞いたことがない。

     車の場合、現在世界で1時間に60人以上、年間50万人以上が死亡している。負傷者は1,000万人以上。排ガスは目に見えないが、現実的には発がん物質ベンズピレンなどを多量に含む。しかし、メディアのスポンサーに車関連企業が多いためこういう話は新聞等に出てこない。

     日本では80台に1台が事故を起こし、その度に1〜2人が負傷している。過去40年間、車の台数は毎年伸びており、現在も延び続けている。一方、肺がんや気管支系のがんは約30年の潜伏期間があり、車の伸びのカーブと合わせてみると合ってくる。喫煙が30年前から車のカーブと同様に増えたとは考えにくく、実際には喫煙率は落ちていることから、肺がんや気管支系のがんの原因とは言い切れないのではないか。

     ダイオキシンについて、8年ほど前に大きな騒ぎになり、1999年にダイオキシン規正法が成立した。ダイオキシンとは、我々の健康を脅かし、ゴミの焼却炉から排出される、ということが法律のベースになっている。しかし、数ヶ月後、原因が違うことが判明した。

     ウクライナ大統領が摂取させられたダイオキシンの量は510万年分の食物に入っている量、急性毒性の致死量とすれば100万年分位になる。発がん性は水道水なみ。慢性毒性はほとんどない。女性ホルモン作用は、大豆に含まれる作用物質の50100分の1

     ダイオキシンの発生源とされていた焼却から出る量は増えているが、我々の摂取量は減少していることから、焼却が原因とは考えにくい。摂取源と考えられるのは、6070年代に使用された水田除草剤の不純物。

     焼却とダイオキシンの関係は、立法後に判明したため、法律は依然存在し、自治体の税負担、産業界への打撃、RDF発電施設での死亡事故などの影響がでている。一方、煙や悪臭などは減少したが、ダイオキシン類の量はわずかに減っただけである。

     ベトナム戦争で使用された枯葉剤のダイオキシンが新生児の奇形に影響し、奇形率が1.5%に増加したといわれている。現在は1.0%。しかし、枯葉剤にダイオキシンは1%しか含まれておらず99%以上が有機塩素系化合物。日本の現在の奇形率は1.83%(2003年)。出産年齢でみると、適齢期で0.81.0%、若年または高齢の場合23%になる。

     環境ホルモンに関しては、1997年に刊行された「奪われし未来」が起爆剤になり騒ぎになった。この本は90年代に執筆されたが、内容は70年代に五大湖周辺で発生した環境影響がほとんどである。

     1998年に環境庁が、SPEED’98というプロジェクトを立ち上げ、ラットとメダカへの影響について調査した。結果として、ラットには影響はなく、メダカについてもNPOPBPAだけが女性ホルモン作用を示した。ただし、河川中の見つかる平均濃度の4,000倍。平均濃度が4,000倍になれば、水中のHCo2も魚を死滅させ、大気中のCo2も生物を死滅させる。また、米のカドミニウムであれば、イタイイタイ病の100倍以上の障害が出る。

     当時環境ホルモンに関する記事は、最大で40位の新聞に月に811件出ていた。一つの新聞が月に20件位書いていたことになる。現在では、三大紙のどれかが月に1件書く程度。

     平均寿命は現在も延びている。特に女性はダントツで世界一。このような状況なのに、化学物質を心配する必要はない。

     環境が最も良くなかったのは1970年位、1971年に環境庁ができて、7080年代に浄化された。85年以降は大気も水もずっときれいなままである。

     日本は、無駄でもっている。日本人は1年間に38%の食物を廃棄しており11兆円分にあたる。これは、農業と漁業の国内総生産額にほぼ一致する。ドリンクなどの自動販売機の電力量は、原子力発電所1基分。コンビニや携帯も無駄である。しかし、これらの無駄が雇用を生むなどして国がもっている。

     環境教育も無駄。メディアは、スポンサーの健康に関する環境の記事は報道しない。また、こわい話が好きだが、話が変わると沈黙する。研究者も活字は残るために怖いとか怖くないということは書かない。大物の言うことは信用できない。あやしい話はたくさんあるが、個人個人が判断していかなければならない。

      

QA 食中毒患者の厚生労働省の統計データにある化学物質はヒスタミンである。残留農薬などではない。

 

(2)唐木 英明氏(東京大学 名誉教授)講演

「食の安全と安心の乖離」

     我々は2つの脳を持っている。1つは辺縁系で、恐怖感を持って危険から逃れることができる。恐怖感で状況を白黒に分けねければならない。危ないか危なくないか一瞬で分けて逃げるか戦うか判断する。しかし、真中のグレーゾーンもあり、ここで迷っている間に攻撃されてしまう。ゆえに迷ってはならず、安全か安全でないか決めなければならない。山などで野生動物は人間を見かけるか見かけないか位の状況ですぐに逃げる。これは、人間を見慣れないからであり、見慣れない物は危険として逃げるのである。臆病そうに見えるが、実は身を守るために最も適した行動である。

     動物は群れで行動し、その中において危険を知らせる係りがおり、そこからの知らせによって逃げるのであり、これを聞き逃すと襲われてしまう。危険情報を聞き逃さないという本能は、人間も持っている。これを利用しているのがメディアである。さまざまな危ないという報道があり、我々はそれを気にして買ってしまうが、安全という情報に対しては心が動かない。また、「これを食べると健康である」というような情報には非常に敏感であり、良いという物は多くの人が購入する。これは理性で考えるとありえないが、ひょっとしたらと思ったり、皆がやっているからということから行動してしまう。

     もう1つの脳が、前頭連合野で、リスクを計算してリスクに応じた行動をとり、人間が社会行動をする脳である。この脳のおかげで、灰色があり白黒だけではないことを知る。辺縁系は生まれながらにしてできあがっているが、前頭連合野は、生まれたときは真っ白なノートであるといわれており、経験と教育でゆっくりと育っていく。生まれたての赤ちゃんは本能だけで生きている。この脳は本能を押さえる働きを持つ。人間社会は、この本能を押さえる働きによって成り立っている。この脳は中学生くらいから働きだす。小学生では、状況について白が黒か判断しかできないが、高校生になると灰色の判断ができるようになり、前頭連合野が働き出したということである。

     辺縁系の働きが強い人は、直感人間、感情人間といわれ、前頭連合野の働きが強い人は、理屈人間といわれる。人間は、この2つを必ず持っており、それらが対立することで「食の安全と安心」という問題につながっている。

     我々は、理性によるリスク評価をしている人はほとんどなく、人の判断に頼っている。信頼できる人、よく知っている人、皆が言うこと、TV解説者やタレントが言うことに頼っている。特にわからないことについては、TV解説者などが言うことを「そうなんだ」と思い自分の考え方にしてしまう。約15万年前〜約1万年前までの間の狩猟民族は、数人から十数人のグループで生活をしており、その中の最長老がリスク評価し判断をし、そのグループのメンバーはその判断に従っていた。自分でリスク評価し判断をしては死につながる。現在も我々は、グループの中の最も信頼できる人の判断に従うことが安全であるという本能を持っている。また、我々は、前例に従うことが安全であると考える。一度危険を回避すると、次に同じ危険に遭遇したとき、同じ方法で危険を回避する。我々は、人の判断に頼ること、前例に従うことをほとんど場合やっている。しかし、前例に従うことは、考える苦労がないが思い込みや先入観ができやすく、これを変えるのは難しい。

     専門家が感じるリスクとは、ハザ−ドに出会うチャンスが多ければリスクが大きく少なければ小さいと考える。一般の人が感じるリスクとは、ハザードがあればすぐ危険があると考える。ハザードについて、それが大きいとき、原因がよく分からないとき、リスク管理をする監督官庁への不信があるとき、報道が大きいとき一般の人は感情的な判断をする。専門家は感情がまったく入らず、出会うチャンスの大きさを考えるが、一般の人はそれを考えない。ここに大きな違いがある。

     本能で白黒判断をしてゼロリスクを求める。天然・自然・よく知っているものには安全と判断する。よくわからないものや新しいものには不安や危険を感じ、押し付けられたものには不信感を持つというのが、我々の本能的な考え方である。

     本能的に、食べ物には少しでも危険なものが入っていたらいやだと思う。感情的にはそうだが、実際には、小麦、そば、卵、乳製品、落花生にはアレルギー物質の五大原因で亡くなる方があるひとつであるアレルゲンが含まれ、フグ、カキ、ホタテ貝は食中毒、マグロ、クジラ、メカジキ、キンメダイには水銀が含まれており、安全なもの、リスクがない物はない。現実論で考えると食べるものがなくなる。

     エイムズ教授の発見で、すべての野菜、果物には天然の農薬が入っており、52種類を調べたところ27種類に発がん性があった。この27種類はほとんどの食品に含まれていた。米国人は毎日平均1.5グラムの天然農薬を食べており、その量は残留農薬の10,000倍以上になる。野菜、果物に含まれる農薬の99.99%が天然のもので、残った0.01%が残留農薬であることを考えると無農薬というのはどういうことか?

     エイムズ教授の計算では、野菜の発ガン性物質は1.5グラム、調理でできる発ガン性物質は2グラムくらい、食塩も毒性があり危険量の食塩を毎日食べている、その他高脂肪、高カロリー、喫煙などのような毎日普通に食べている食事や生活が病気の原因である。

     主婦にがんの原因はなにかと聞いたところ、第1位は食品添加物、2位農薬、3位タバコとなり、がんの専門家に聞くと、タバコと普通の食べ物となる。

     米国のがん研究協会では、組み合わせと量が重要であると言っている。米国人が現在食べている食事のうち、肉を1/3にし、野菜を2/3に増やす。野菜は一種類ではなく組み合わせが大切である。また、サプリメントなどの補助食品は不要であるということである。さらに食べすぎは避け、定期的に運動し、タバコを吸わなければ、がんのリスクは30%から40%低下する。がんの原因は食品添加物や残留農薬ではなく、野菜、調理、食塩にも発がん性物質は入っている。しかし、我々は薬物代謝酵素、活性酸素の消去機構、遺伝子障害の修復機構、免疫機構などを持っていし、野菜にも、活性酸素や消去物質などが入っているため、毎日まともな食事をしていれば90歳、100歳まで生きられるということである。我々にとって科学的に証明された唯一の長寿法は、カロリー制限である。カロリーを40%カットしたラットの寿命は1.5倍になり、さるでも30%制限するとずいぶん延びる。

     現実的には、食品にゼロリスクはない。最大の原因は食中毒。老化、病気の最大の原因は天然、自然の食品である。食品を食べることで、体内に活性酸素を作り老化させ、がんを作り出している。

     安全については、一般の人は、食品のなかに少しでも危険なものは入っていてほしくないという絶対安全論、リスクの専門家は、食品に入っている危険を健康に被害がでないレベルまで減らせば良く、健康に被害がなければ少量入っていても良いのではないかという実質安全論。

     化学物質の場合、どんな化学物質であっても多量であれば死亡するが、減らしていけば問題はなくなる。ある一定量以下になると作用はなくなるのでこれを摂取許容量としている。リスクが大きければ健康被害があり許容できない範囲、これと不確実な領域を合わせた範囲のリスク対策をすることが安全対策、健康対策である。健康被害のでない許容できる範囲は、何の対策も必要がない。これが現実論で専門家の考え方である。

     平成16年の食中毒発生のデータによると、化学物質の事件数は12件、患者数は299人。この化学物質はほとんどがヒスタミンで、洗剤、農薬、タバコなどもあるが、残留農薬、食品添加物ではない。添加物や残留農薬による化学物質の事故はないということである。化学物質に関しては対策が十分に行われていると言って良い。

     安全対策とは、実質安全レベルの確保によって行われている。

     一般の人は、食品添加物、遺伝子組換え食品、環境ホルモン、残留農薬、輸入食品、残留動物用医療品、クローン牛といった被害の出ていないものに不安を感じている。

     実質安全レベルで食品の安全は守られていると説明しても、でも少量の化学物質が食品に入っているではないかと言い、まだリスクが残っているものはいやだから怖いから買わないという。これでは、販売者とすれば困るので安心対策、売上げ対策が必要となる。

     消費者の不安は、許容リスクが良くわからないため、良くわからないものは不安、危険であるという本能が働いてしまう。原因としては、正しい情報があれば不安を感じないということであるが、不安をあおる情報が多いということである。例えば、化学物質は発がん性がある、公害、複合汚染、60年代の消費者運動の目玉とされた化学物質、食品添加物は危険だから摂取しないようにというような副読本、商売に利用するというようなことがある。

     具体的には、複合汚染、これは、物質ひとつひとつの成分は調べているが、これを組み合わせるたいへん危険であるということを警告した本。体に作用のある物質を何種類も組み合わせたらそういうことが起こることは確かめられているが、食品添加物や残留農薬は、体の細胞や酵素にいっさい影響がない1日摂取許容量以下を使用している。細胞に影響ない微量の化学物質であれば何種類であっても相互作用があるはずがない。また、小中学生の副読本にも、食品添加物の食べ合わせに関する危険性が書かれている。

     食品添加物が嫌われる理由としては、毒性があるという誤解、消費者はもうけるために食品の毒をいれているのではないかとの誤解もある、着色料や調味料はごまかしの手段である、食品添加物を使い濃厚な味にしたインスタント食品を子どもたちに食べさせているというようなことがある。一方、天然・自然は安全と言い、事業者は消費者をごまかして儲けているという論調が非常にアピールし不信感が大きくなっている。

     無添加食品についてネットで調べたところ、添加物が健康に悪いことを証明したものはない、無添加が健康に良いとは書いてあるが、それを科学的に証明したものもない。無添加は消費者の健康に利点はない。無添加による保存期間の短縮により食品の廃棄量が増えたなど、消費者に衛生上、経済上の負担を与えている。また、消費者が望むからという理由で科学的根拠の全くない無添加にすることは、消費者の誤解を利用しており、詐欺に近いのではないかと思う。

     BSEの病原体は特定の部位のみにしか含まれない。脳が2/3、せき髄が1/4、その他背根神経節、回腸遠位部など合わせて99.4%含まれている。0.6%は全身の抹消神経に含まれている。危険部位を避ければ、例えBSEにかかっている牛でも肉を食べて大丈夫である。

     食品安全委員会によると、英国ではBSE発病が判明する前の約100万頭の感染牛を食べ、現在約150人の患者がおり、最終的に5,000人になると見込んでいる。日本では535頭の感染牛を食べており、英国と全く同じように考えると0.10.9人患者が出ると見込んでいる。そして、この値はBSE対策でさらに低くなっている。

     BSE対策前は、0.10.9人患者が出ると見込んでいたが、危険部位を99%除去するという対策を取るとリスクは1100に減り、患者数は、0.0010.009人となる。日本中で1人は絶対出ないというレベルになっている。BES対策は特定危険部位の除去だけで十分である。その上、全頭検査をしているのでさらにリスクは減っている。しかし、ゼロリスクを求めるのであれば牛肉の全面禁止しかない。

     牛は、BSEに01ヶ月の間に感染するといわれ、発病の6ヶ月前4歳半位になると検査でわかる。ここまでは検査ではわからない。乳牛の雄は生後20ヶ月位、和牛などは22歳半くらいで食べている。検出できるのは4歳半からなので、肉用の牛は発病する前に食べている。乳牛は67歳位まで飼育するので検査で検出できる。BSEの23は検査をすり抜けてしまう。検査はBSEの対策にならない。

     なぜ対策にならない事が対策になったのか。平成1310月に厚生労働省は、神経症状が疑われるもの全身症状を示す全ての牛のBSE検査を行い、加えて神経症状が疑われない牛であっても30ヶ月以上の牛についても全頭検査するというEUで実施している方法を行うという、非常に正しい方針を立てた。しかし、109日の国会予算委員会において、坂口厚生労働大臣が、「この1018日からは30ヶ月以上の牛につきましては全部検査をして、皆さん方に安心していただけるようにする。… それに加えまして、そこまでいくのならば30ヶ月といわずに全部やったらどうだ、こういう御意見をちょうだいしているわけでございます。科学的な現在までの考え方だけでいきますと、これは30ヶ月でいいというふうに思っておりますけれども、しかし検査をするものとしないものとあるというのは国民に与える影響も大きいではないか、ここは科学的なことはさておいて、全部やるんならやったらどうだという御意見をいただいておりまして…」という答弁を行ったため、厚生労働省は、BSEのスクリーニング検査は30ヶ月未満の牛を含め全ての牛を検査の対象とするとした。新聞も、「消費者の不安解消のため全頭検査に踏み切った。全頭検査をめぐっては、自民党の狂牛病対策本部が風評被害を防ぐ対策が必要として5日に坂口厚労大臣に申し入れたほか、武部勤農相も全頭検査の必要性を繰り返し表明していた」と報道した。

     坂口厚労大臣と武部農水大臣は、「今後は、と畜場においてBSEに感染していないことが証明された安全な牛以外、と畜場から食用として出回ることはありません。どうぞ安心して召し上がってください」との談話を出した。これを見た国民やメディアは、検査をすれば全てわかるんだと信じ、日本中の全頭検査神話ができ上った。

     BSE感染牛が出ている英国やEU、スイスは、安全対策として、特定危険部位の除去、肉骨粉の禁止、対策の効果を判定するための検査、へたり牛の検査を行っている。安心対策と売上げ対策は各国ばらばらで、英国の売上げ対策は30ヶ月以上の牛、発病に近い月齢の牛は全て焼却処分、EUでは30ヶ月以上の牛は検査し、BSEと分かった牛は消費者が食べないようにし、それ以外はそのままにしている。検査の実施率は70%であるが、検査は安心対策なのでかまわないということであった。日本も21ヶ月以上の検査に変更したが、現在も都道府県では自主的に全頭検査を行っている。スイスでは検査を一切義務付けず、リスクコミュニケーションを行っている。スイス政府は、BSEの危険性とその対策についてきちんと説明し、国民はそれで安心している。

     消費者は、ゼロリスクを求め、リスクが残っているものは怖いから買わないと言う。それに対する事業者は、無添加、無農薬、全頭検査、組換不使用という売上げ対策をしていが、これらのことは危ないからやっているのだろうという誤解を招く。長い目で見れば、不安対策をしても意味がない。本当の意味での不安対策は、科学教育とリスクコミュニケーションによるリスクの許容しかない。

     食品の安全を守るしくみとは、リスク管理をめぐる理想論と現実論の衝突であり、現実論、実質安全論を唱える事業者と理想論、絶対安全論を求める消費者が激突する。それぞれに応援隊がついており、リスク評価の専門家は現実論、実質安全論、ハザードの研究者は自分の研究対象の怖さなどをアピールしメディアも取り上げられ消費者の関心を買う。ハザードの研究者とリスク評価の研究者は全く違う立場にいる。このような激突がありうまく働くことによって食の安全は守られる。健全なしくみを作らなければならない。

     健全なしくみとは、消費者と事業者の健全な対立ということ。信頼関係の構築こそがリスクコミュニケーションの最終目標である。

     米国EPAのリスクコミュニケーションの原則では、正直、率直、隠し事をしないというところから不信感をなくすということ。食の安全を守るリスクコミュニケーションの成功の鍵は、信頼のもとにいかに健全な消費者と事業者の対立関係を構築するかということである。

 

Q 天然の農薬とは具体的にどのようなものか。

A 何十種類もあるが、殺虫作用のあるものでしかも発がん作用もあり野菜に含まれている物質。

Q もともと地面の中にあるものか。

A 植物が、自分の細胞内で合成しているもの。いろいろな植物はいろいろな違った物質を合成しており、我々はそれを取り出して、漢方薬、殺虫剤、香料や毒薬などに使っている。

Q 現在、日本ではBSEの検査にどの程度の費用がかかっているのか。

A 検査が始まった当初は、検査試薬代だけで年間約40億円。現在は試薬代が安くなっているので20億円位になっている。しかし、試薬代だけではなく全国の食肉処理場の獣医師の人件費がかかるがこれは含まれていない。その他、死んだ牛の全頭検査のための運搬や保存のための費用などもかかるが不明である。

Q ざっと100億円位か。

A その位はかかっているのではないか。

 

(4)質疑および全体討論

座長

     酸性雨、地球温暖化、オゾン層はもう終わった問題であると言われたが。

渡辺氏

     現在の雨は、環境省が83年以降のphを計っており、4.8±0.2でずっと変化していない。この数値はSO2で決めており、だいたい4〜5ppbである。この濃度は、95%以上が火山と生物活動によるものである。人間活動からでる量は年間50万tで、三宅島は最盛期で1,000万t、今でも100万t位出しており、その他にも常時出している50ヶ所位の火山がある。生物活動としては海からで、磯のかおりは硫黄化合物、これが酸化されて水蒸気になる。縄文時代から変化していない。50年代から60年代に少し酸性になったが、ここ20数年は日本海側も太平洋側もほとんど変化はない。しかし、これは70年代に脱硫を始めたためで、それ以前は工場や発電所などからのSO2が影響していたと考えられるが測定値がないのでわからない。SO2は、脱硫しないと空気の2.何倍の重さなので地を這うように風下に流れ植物が吸い枯れる。これは、世界中の工業地帯で起こっており、栃木の足尾銅山でも10キロ四方で植物が枯れたのは、直接SO2が原因。70年代で酸性雨問題は終わっている。しかし、今でも酸性雨はあぶないなどと言っている。Ph4.8の普通の酸性の水でブロンズの像は溶けない。

     温暖化については、京都議定書に則ってさまざまなことが行われている。京都議定書は守れそうもないが、仮に全部守れて批准している先進国の平均5%削減が100年続いたとしても0.05度しか変わらない。地球がほんとうに温暖化しているかどうかも疑問がある。米国などで、100年間で1度位下がっているところがある。南極はほとんど変わっていない。北極は70年代に大きく下がり現在はリバウンドで少し上がっている。大都市は非常に上昇しており、100年で3度位上がっている。東京、ニューヨーク、札幌、名古屋、ソウル、シドニーなど。

座長

     体の中の消去機構、修復機構、免疫機構とは具体的にどういう作用か。

唐木氏

     我々が、老化したりがんになったりする原因はいろいろあるが、すべて活性酸素の発生による。活性酸素は、我々の細胞を傷つけ異常なタンパクができたり細胞の機能が異常になったりして老化したりがんになったりする。多くの病気は、活性酸素によって遺伝子が傷つくことが原因。そもそも、酸素を吸うことにより活性酸素が生まれてくるわけで、我々にとってその害というのは必ずある。そこで、我々の体の中には、活性酸素を消去する機構が備わっている。代表的なものがSODという酵素で、これによりほとんどの活性酸素は消去されている。しかし、消去しきれないので老化がおきるため、植物の中で活性酸素消去機能を持っているものを少量摂れば体によい。大量に摂ればよくない。代謝酵素というのは、我々がずっと食べてきた植物の中にある化学物質を代謝するために、肝臓のなかに代謝酵素ができている。人間が薬を代謝できるのは、薬を代謝するためではなく、植物の中の科学物質を代謝するための代謝酵素があるからである。

会場参加者A

     原子力推進の理由のひとつとして、原子力発電ではCO2を出さないと言っている。環境対策して行っている省エネやエネルギー効率化などの技術は、たとえCO2が温暖化に直接関係なくても技術的に有益なものが残るのだから良いのではないか、という意見があるが渡辺先生はどうお考えか。

渡辺氏

     将来のエネルギーシステムのための原子力や核融合などの技術開発は良いが、これを温暖化、CO2のためと言う必要はない。温暖化、CO2は全く問題にならないし、現在それらに対する対策はほとんどゼロである。

会場参加者B

     BSEに関連しスイスではすでにリスクコミュニケーションをやっており、民間防衛という危機管理マニュアルも各家庭に配布されている。スイスと日本はかなり違う気がする。日本でリスクコミュニケーションをするにはどうしたらよいか。

唐木氏

     スイスでBSE対策をリスクコミュニケーションだけで対応できているのは、ひとつはキム先生という非常に優秀なリスクコミュニケーションの先生が政府を説得し方針を決めたということがある。その背景には国民性の違いがある。例えば、日本では先ごろ米国から骨付きの牛肉が入って来たとして大騒ぎになった。しかし、その肉は4ヶ月の子牛の肉で、その骨には全く病原体はないので、世界中どこでも安心して通用する商品。英国では、30ヶ月以上の牛の骨は危険なので取るという法律を作ったが、消費者が反対し1年後に撤回された。背骨を食べることの小さなリスクは政府が管理するようなことではなく、消費者が自ら管理することであるという理由。日本は、全て政府の規制が守ってくれると思っている。欧州や米国の人たちの考えは、政府ができることは限られていて、自分自身は自分たちで守るしかない、自分の判断は大切だということである。この違いは教育にあり、最近始まった食育の中でリスク教育をすべきであると思う。

会場参加者B

     中学校でのリスク教育は難しいことか。

唐木氏

     リスク教育については、前頭連合野が働き出す中学校位から始めるべきではないかと思っている。

渡辺氏

     唐木先生のようなスパッとした意見が、なぜテレビなどを通じて国民に伝わらないのか。

唐木氏

     食の安全を守るためには、事業者と消費者の健全な対立関係が必要だが、現在は不健全である。消費者は、事業者は消費者を騙すと考え、事業者は、消費者は説明しても理解しないと考えている。これがある限りうまくいかない。自分がリスク評価者の立場で話をすると、消費者から「事業者のために言っている」「米国のために言っている」というレッテルを貼られる。そうするとテレビは自分に出演の依頼をしない。

座長

     ダイオキシン問題が盛んに議論されていたころ、渡辺先生のところにテレビから取材は来なかったのか。

渡辺氏

     1998年から環境問題を調べはじめたが、おかしいと確信が持てたのは、法律ができた2年後位でその後に本を出した。ダイオキシン問題の渦中の頃には確信を持って言えることはなかった。

会場参加者C

     ゼロリスクを理想論というのは、一般の方に説明するときに誤解を生むのではないか。

唐木氏

     ゼロリスクは、誰もがもっている理想である。だれもゼロリスクを悪いものだとは言わないので、ゼロリスクは理想と考えても良いという意味であるが、多少誤解を生むかもしれない。

渡辺氏

     抗菌ブームに疑問を持っている。50年前までは、日本においても非常にきたない生活をしていた。50年前までの何十万年という期間、ホモサピエンスは非常にきたない環境で生きてきた。それらが、免疫を鍛えるなどの効果になってきた。動物を非常にきれいな空気のなかで飼うと、むしろ寿命が縮まるとか、放射線もゼロに近づけるとマイナスの効果、微量の放射線はプラスmp効果があると聞いたことがある。ゼロに近づけることが本当に理想か疑問である。特に最近20年の抗菌ブームはむしろ不健康な気がする。

唐木氏

     我々の大便の半分は、バクテリアの死骸である。我々は、バクテリアと共生しないと生きていけない。インフルエンザやO−157のような病原体は排除すべきであるが、バクテリアは何の害もない。例えば、野菜の表面には大量の乳酸菌が着いているので、塩で漬けると乳酸菌発酵で漬物になる。これほどバクテリアに囲まれている中での抗菌ブームは何の意味もない。

会場参加者D

     複合汚染は考えなくて良いとの事だが、複数の毒性のあるものが体内に入ると、細胞などに複雑なメカニズムが働いて毒性が強まるのではないかと思うが。例えば、安全係数が大きいから救われているのか。毒性の発現のメカニズムか。

唐木氏

     我々が経験した複合汚染としては1つある。Aという化学物質とBという化学物質を一緒に飲んだ場合、それぞれが代謝酵素によって代謝される。AがBの代謝酵素の働きを抑制しBの酵素が働かなくなり、Bがどんどん体内に溜まりBの毒性が出てくる。これが医薬品で見つかっている唯一の例である。Aの代謝酵素を抑制する濃度が必要だが、我々が添加物や残留農薬に使っているのは、酵素に作用する量の100分の1どころか1,000分の1、10,000分の1しか使用していないため影響がない。無作用量より多くの量を使用すれば複合汚染は有り得る。薬品や中毒では複合汚染は有り得るが、添加物や残留農薬のレベルでは有り得ない。量のことを分けて考えなくてはいけない。

会場参加者E

     火力発電はCO2の観点から断念したほうが良いとの報道があったが、これは学術的な面から言っているのか、儲け話として言っているのか。

渡辺氏

     おそらく、京都議定書の議長国となった日本が、2008年から2012年までの5年間に基準年からCO2排出量6%削減するという約束をしたために、そのストーリーに合わせるという国のあがきである。絶対にクリアはできないから、ロシアから何%か買って終わりにし、次のフェーズにはいかないであろう。CO2の排出量による目的としている温度のコントロールはできない。日本一国でやったとしても0.00何度。議定書を批准していない米国をずるいという人がいるが、自分としては賢いと思う。

会場参加者F

     コミュニケーションの信頼とは話し合いの仕方などによるものであると思うが、場の設定や関係者がどう対じするかも大切ではないかと思っている。リスク評価の専門家とハザードの専門家がコミュニケーションを行ってその結果がマネージメントにつながるという図式になっていたと思うが、食品安全委員会に特化した場合、本来アセスメントを行う専門家として意見をかわすという構図がよいと思うが、現実にはマネージメントの中に含まれてしまっているように見受けられる。そのこと自体がコミュニケーションがうまくいっていない問題になっているのではないかと思うが。

唐木氏

     食品安全委員会で、リスクマネージメントの調査会にいるが、そこにおいて苦労していることは、日本人は、リスク評価とリスク管理を混同してしまっており、食品安全委員会の委員の中にも混同している委員がいる。リスク評価というのは100%科学だけに準拠して行うもので、そこに感情や経済などを考慮に加えてはいけない。しかし、管理では、国民感情や経済、技術を考慮しなければならない。このように評価と管理はまったく違うものである。BSE問題でそこがうまくいかなたったのは、食品安全委員会は評価についてのリスクコミュニケーションを全国60箇所で行ったが、どこの会場においても出てきたのは管理に関する質問ばかりであった。そこで、答えざるを得ないため答えているうちに、食品安全委員会の対米交渉の姿勢はなっていないと言われるなど誤解を生んでしまった。

会場参加者G

     自分の先生の話では、日本では過去に水銀農薬を耕地面積1uあたり55mg位まいており、現在は硫化水銀になって残っているという話を新聞記者にしたことがあった。水銀は、環境中で無機水銀が有機水銀になり、また体内でもそうなる恐れがあるということから、トータル量で規制している。安全側からは、大きく規制したほうが良いとは思うが、まだ田の土壌の中に残っているものもあるのではないか。この辺のところをどう考えるか。

渡辺氏

     HGSであるとすれば、約10のマイナス50乗の溶解水銀がある。一度硫化物になってしまったらそのままであるから、金属の水銀がどの程度簡単に田んぼの中で硫化物になるかはわからないが、しかし、水銀の原子は一回の呼吸で5,000億位吸っているので、規制をきびしくしてもあまり意味はないのではないかと思う。

会場参加者H

     リスクについて、計算上の問題と実際に感じる問題とでは大きなギャップがあると思うが、大きな事故などは発生確率が高く評価するという傾向があり、身近なものについては低く評価するというようなことが本能的にあるのではないかと思う。こういうものをリスクコミュニケーションにうまく取り入れられないかと思う。例えば宝くじなどは当たる確率が非常に低いが、本人から見れば高いと感じる。こういうものを前提としたリスクコミュニケーションはできないか。

唐木氏

     消費者が不安に思うものとしてクローン牛があり、初めに作られたときは非常にこわがったが、今ではすっかり忘れている。我々の物に対する恐怖などのサイクルは短く、2〜3年で消えてしまう。これは慣れということではないか。日本のBSEは、2年後には終わっていたが、その頃に米国のBSEが起きたため、別の意味で大きな問題となった。今、国産の牛を心配している人はだれもいない。しかし、BSEが起きたときには、米国産だから大丈夫と言っていた。これをリスクコミュニケーションにどう利用するかというのは、非常に難しいが、どんどん情報を出していき慣れてもらうということではないか。

渡辺氏

     遺伝子組み換えの問題と非常によく似ている。普通の交配で品種改良したものは、気持ち悪いとは言わないが、実は遺伝子組み換えで、どういう組み換えが起こっているのかわからない。遺伝子組み換えは、きちんとわかった遺伝子をきちんとわかった場所に入れてきちんとわかったたんぱく質をつくり、毒性も評価して認可を受けている。しかし、ナチュラルで起こったことでないということが気持ちが悪いという。例えば、放射線を当てて新しい品種を作るような場合、どのような組み替えが起こっているかわからない。これは科学教育の問題かも知れない。

唐木氏

     このような判断をするのは、本人ではなく、研究者が話した記事などを読んで判断する。メディアは、少数であってもおもしろいことを話す研究者を取り上げ、学会の主流かどうかは考慮しないというようなところがある。メディアに対する教育も必要であり、研究者の理性も重要ではないか。

座長

     先生がたの所属する学会において、今の話に関連するような、社会に対する発信としてのアクションプランはないのか。

唐木氏

     日本獣医学会は、BSE問題では何度かシンポジウムを実施し、メディアでも大きく取り上げられている。会員は、プリオンなどのハザードの研究者はたくさんおり、こちらの話を一般の人が聞くと怖いと思う。一方、リスク評価の研究者は少なくマイナーであり、メジャーな意見につぶされやすく、どうしても出る情報は怖いものなってしまいがちである。以前はは、学会内の議論と学会から出す発信は違っていたが、最近は同じになってきており、学会内部のことがそのまま外に出て行くようになってしまった。そうすると、違った考え方をしなければいけないのではないかと思っている。

渡辺氏

     日本科学学会に所属している。学会の中で議論していても何も変わらないと痛感している。ほとんどの科学の分野をカバーしている自分の研究所の研究者とメディアの人たちで意見交換する会を4月から立ちあげる。昨今、国民に何かを伝えるのはメディアの威力が絶大であることから、メディアとのチャンネルを作り、これを通じて物事を伝えて行きたい。

会場参加者I

     原子力においては、ベネフィットとリスクを並べてリスクを語るが、リスクの先生方はベネフィットの話はさて置き、リスクを中心に話をされる。これはその枠内では納得できるが、もっとグローバルに全体的に捉えてはどうか。また、一般共通のものさし、目安のようなものを作り、現在示されている許容値などのスケールを理解できるようにしてはどうか。

渡辺氏

     人の命が失われるスケールとしては、米国のワースト30のようなもの、損失余命のリストのようなものがある。リスクを多軸にするとわかりにくいので、単純に比べるものがあれば良いと思う。ベネフィットを加味したリスク評価というのは難しいと思うが、必要ではないかと思う。

唐木氏

     同じスケールでリスクを比べるということは重要だが、消費者はほとんど受け入れない。原子力、食品添加物、残留農薬のようなリスクは、消費者が平気なタバコ、食べ過ぎ、食中毒などよりずっと小さいのに消費者は受け入れない。自分が自分の責任で判断するリスクは、どんなに大きくても受入れ、人に押しつけられたリスクは受け入れない。我々は、客観的な大きさでリスクの話をしようとしても、感情的に受け入れられないということがある。ここを分けて考えなければいけないと思う。

 

以 上

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