第14回チェインディスカッション
日本原子力学会 社会・環境部会
第14回チェインディスカッション議事概要
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討論テーマ「原子力のコミュニケーションを広げていくために」
日時:平成17年3月30日(水)13:00〜15:30
場所:学会春の大会B会場(東海大学6号館6B-102教室)
座長:宮沢龍雄氏(環境ソシオシステムコンサルタント、前社会・環境部会長)
1. プログラム
以下の後援者の方に、今回のテーマの趣旨に沿った演題にて講演をいただき、会場からの質疑と討論を実施した。参加者は80名であった。
@ 北村 正晴氏(東北大学) 「対話実践から学んだもの」
A 中村 政雄氏(電力中央研究所)「メディアの反省、原子力界の反省」
2. 議事概要
(1) 北村 正晴氏(東北大学)講演
「対話実践から学んだもの」
- 現代社会の特徴は技術の偏重
- 技術の進歩に伴い、社会の技術リスクに対する認知は変化
- 健康カルト的反応の顕在化
- 軽微なリスクに対する認知の変化
- 一方で技術担当組織への不信拡大(例:原子力、BSE、あらゆる分野)
- 過剰な組織防衛がマイナスのイメージの連鎖を呼んでいる面あり。
- 原子力はどうかというと、JCO事故時に原子力技術専門家の発言なし。
- これほどの大事が起こった後の学会なのに他人事のよう。
- いわき市でのチェインディスカッションでは、市民の声として東電事件について
- 原子力人は全員責任を痛感して対応してほしい、と訴えられた。
- 原子力業界はもっと情報公開に積極的になってほしいとの声も聞こえる。
- これに対し原子力業界は消極的だが、そういう教育を受けてきた背景もある。
- こういう状況のもとで、東北大学では市民、専門家、ファシリテーター(司会進行調整役)による対話フォーラムを立ち上げた。
- フォーラムは反復型で非公開。2ケ月に1回女川町、六ヶ所村で開催。
- 原子力技術者の新しい役割という切り口で捉えると以下のような項目があぶりだされた。
a.実態の可視化と要因分析
- (地域から出された声として以下がある)
- 不安と思ったら暮らしていけないが、手放しで良いと思っている訳ではない。
- 安全はこれまでのこと。危険はこれからのこと(未来の可能性)。
- コスト削減が求められる中で、手抜き(合理化)をせざるを得なくなるのではないか。合理化しても大丈夫なのか。
- 事業者はよく頑張っていると認める部分もある。規制側も国策で決めたことなのに見直しを行うようなことをしないでもっと真剣に取り組んでほしい。
- 技術要因
- @ 技術リスク A組織体制 B安全規制
- 社会的要因
- @ 地域外コミュニケーション、地域内コミュニケーション、エネルギー政策、A直接的被害補償 B精神的負担
- フォーラムの開催を通じて、原子力専門家の発言も変化
- →自分たちの側の意見の変化の可能性を強調。可能な限りオープンにする。
- 自分の専門外だといって逃げない姿勢が大事。理由をつけて逃げるのはコミュニケーションを放棄するに等しい。
- 立地点では原子力は安全などという説明は要らない。耳にタコができているという声あり。→どうしたら事故が起きるかという説明はこれまでは避けられていたが、そういう説明をしたら、そこまでやらないと事故にならないのかという理解につながった。
b.信頼性、安全性追及の反作用
- 自動化のパラドクス→かえって事故が増えるという面
- 高安全化→リスクホメオスタシス(より高い安全を求める傾向)
- 対社会関係への悪影響
- 例えば六ケ所村の施設で、段階的に試験を進めるという説明は厳重に
- 安全を守っていると受け止める人と、あんなにやらないと安全が守れない危険な施設と思う人がいる。
- 安全性強調型設計
- 例えば安全計装における2アウトオブ3の思想は良いがものが増えるだけ故障の機会は増える面がある。
- またリレーの設計などでも、単一チャンネル設計よりもコンポーネント故障の発生数は増えるかも知れない。
c.閉じた世界の脆弱さ
- 閉じている世界はギャップがある
- カリスマ経営者が失墜する時代。原子力村も脆弱性を認識せよ。
d.研究室から街へ
- 理論の限界を認識して実践を重視する必要がある
e.組織人vs社会人(話す力vs聴く力)
- 研究や技術の本質はコミュニケーション力と必ずしも整合しない。
- 通説に惑わされずに実態を直視することが必要
- 対社会関係の再構築に技術専門家の積極的参加は必要だが全員参加する必要はない。
それぞれの資質に応じて役割分担すればよい。
(2)中村 政雄氏(電力中央研究所)講演
「メディアの反省、原子力界の反省」
- 原子力は自衛隊のようなもの。大変ありがたいものなのに、なかなかその有難さが 認めてもらえず悪者視されている。
- その原因のひとつにマスコミの取り上げ方がある。原子力については褒めない。
- そのせいで自然エネルギーさえあればいいという人も増えており、原子力はいらないという風潮が一部にはある。不勉強なマスコミのせいで日本にとっては有難いエネルギー源の原子力がいらないなどという人が増えるのは問題だと思う。
- メディアにはしっかりしてもらおうと、私は4人の仲間と「原子力報道を考える会」を8年前に作りおかしな報道があると、ここがおかしいと具体的に指摘し、全国のマスコミ関係者や国会議員などにも手紙を出してきた。
- 原子力について誇大報道になる理由は、「原子力」とつくと何でも記事になるという
面がある。原という字がつけば何でも記事になるという記者もいた。原子力について書くと記事が大きくなるので出世の早道ということでますます派手な記事が出る。
- 一つ例を挙げると、2000年2月18日付けで朝日新聞の大阪版一面トップは関西電力美浜3号機の建設時に水をジャブジャブ入れた生コンを使っており、手抜きは日常化していたという、嘘か本当かわからない記事が出た。検証は出来ない話で、肝心なのはその結果コンクリートの強度に問題があるかどうかだが、関西電力の方に聞いたら当時強度は基準をクリアしていたとのことであった。
- この記事は全く意味が無い欠陥記事だが、こういう製造物責任の無い記事は多数ある。
- もう一つ例をあげると、中部電力浜岡でECCSに繋がる配管が割れたという事故があった。朝日新聞は2001年11月9日の社説で炉心の空焚きを防ぐ命綱でありゾッとすると書いた。毎日新聞や北海道新聞も同様の社説を書いた。これを書いている論説委員の人たちは不勉強で現場に出ないから、命綱に例えたこの綱は何本もあり1本あれば大丈夫になっているし、バックアップもあるから心配ないということは知らない。
- 2002年の5月にTBSの夜のテレビで筑紫哲也が、「日本は地震国である。浜岡は地震帯にあるので心配。自分は阪神淡路大震災のとき大阪を歩いたが、9.11よりも悲惨だった。日本みたいな国で原子力をやるのは危険極まりない」というようなことをいった。私も阪神淡路大震災の後、現場に行ったが、地震で倒壊している建物のすぐ横には、びくともしない建物が残っていた。土台にお金をかけている家は大丈夫だった。これをみれば、地震に対しては予め対策がしてあれば大丈夫だということがよく分かる。最近の例では福岡で大きな地震が起きたが、それほど離れていない玄海発電所は揺れも小さく運転を止める必要もなかった。これはいかに原子力発電所の耐震設計が優れているかという例。地震国日本で原子力をやるのは危ないというような話は大変杜撰な論理で、しっかり対策していれば大丈夫ということを言わなければいけないが、一般の人は筑紫哲也の言うような話を鵜呑みにしてしまう。
- これは原子力の専門家側にも問題があって、社会の理解を深めるための努力が足りない。一時、「危険な話」などを書いた広瀬隆現象というのが起きたが、原子力の関係者は誰も面と向かってアンタの話はおかしいという人がいなかった。
広瀬に反論したのは、日本科学者会議で日大の獣医学部の野口さんという方で、おかしいと言った。原子力の専門家は「あれは間違い」という勇気を持つ必要がある。
- シュラウドの話も、マスコミは原子炉固有の設備だと思ったかもしれないが、あんなものは昔から化学工場のボイラーにもついており、そんなものにひびが入ってもなんとも無いということを説明していない。
- 数年前まで、メディアにとって日本を代表する原子力の最大の専門家は原子力資料情報室の高木仁三郎だった。なぜ彼が重宝されたかというと、彼はマスコミに親切で、聞けば判りやすく短い言葉で説明をしてくれるし、日ごろから読む気が起きる資料をくれた。だから何かあるとマスコミは聞きに行った。
- 一方、原子力の専門家は理はこちらにあり、わからんやつは馬鹿だというような顔をする。専門家だといって偉そうな顔をしていればいいという訳ではない。
- 本当に立派な専門家も居るのだろうが、例えばJCOの事故のとき10キロ以内は屋内退避というのを決めたのは誰だか良く判らない。原子力安全委員会が連鎖反応について判断したのは事故が起きてから8〜10時間後。こんなにかからないと判断できない理由も良く判らないが。放射性物質が降ってくるのではないので、屋内退避は必要なかった。これを決めたのはNHKでもなければ県でもないようだ。その結果、風評被害は160億円。屋内退避は不必要と言っていれば風評被害は減ったと思う。
- そもそもJCOの溶解槽を認めた安全審査がおかしいという指摘も無い。身内をかばうようなことをしていると、外部から信用されなくなる。
- また、人形峠で掘り出したウラン鉱石も天然の石なのだから、早く元の穴に戻せばいいのに誰もリーダーシップをとらない。危なくないものを危なくないといえない雰囲気があるのは危ない。
- 去年、再処理と直接処分はどちらが安いかといった議論が行われたが、あんな議論は六ヶ所の再処理工場を作る前にしておく必要があると以前私は原子力委員会の分科会で申し上げたが、そのときはOECDの数字があるからといって相手にされなかった。
その後国会で問題視されたら、国や電力から過去に行った試算なるものが出てきたが、いずれも六ヶ所の再処理工場の着工後の試算でそれ以前のものは無い。
- 一方では六ヶ所村の低レベル放射性廃棄物の基準値などは、必要以上に厳しい基準値を設定してほとんどバックグラウンド近い値で管理している。
原子力の世界は、清潔すぎるほどの潔癖症で、必要な値より2桁も厳しいようなスペックを決める傾向にある。MOX燃料を製造したBNFLのデータ改ざんや輸送キャスクの遮蔽の問題にしても、これらの基準を守るのは馬鹿馬鹿しいと思った現場の判断で事件になった。その結果、原子力の信用を失墜するような社会的問題となったのを原子力の専門家はどう考えるのか。
- シュラウドのひびの判断も日本で出来るはず。データベースの充実が大切と、20年前に電中研にセンターを作りデータベースを整備してきた。さぞ沢山のデータがあるのだろうと聞いてみたら、国への報告義務のあるものに関するデータベースで、それより以前のレベルの低いものは含まれて居ないとのことで、トラブルを防止するための基準作りには役に立たない。
- マスコミはけしからんと、怒るだけでなく、自分の側にも問題があることを原子力関係者は反省してもらいたい。
(3) 質疑及び全体討論
会場参加者A
- マスコミは自由にモノを言うが、原子力の関係者はモノが言いにくい雰囲気があ
る。この原因についてはどう思うか。1つは役所の姿勢で、原子力関係者が個人の立場で発言しても、あいつはけしからんという形でしっぺ返しがくるという官僚国家の体質に起因している部分もあるように思うが。
中村氏
- 電力がトラブル時に口が重くなるのは、原因を説明していくと誰かの悪口になってしまうかも知れないので、余計なことは言わないほうがいいという体質がある。
また、大学の先生は、専門家では無い先生は原子力寄りの発言をすると損をする。社会的に色つきと見られると商売に差し支えるとお考えの方もいる。
会場参加者B
- マスコミからインタビューを受けることがあるが、例えばテレビでは30分近い取材でも10秒位しか使われず、それが意図したものとは全く違う使われ方をすることがある。揚げ足を取られないように気を使うと口が重くなってしまう。何か対策は無いか。
中村氏
- 取材する側には、信念はなく、あるのはシナリオである。使われる部分はそのシナリオに合った部分。予めどんなシナリオなのか事前に良く確認し、お話をされると良い。
会場参加者B
- 原子力関係者の情報発信が少ないのは、メディアをとおすと正しく伝わらないと思っているのと、顧みると度胸が無いことに起因していると思っている。
中村氏
- 何か事件があった時、学会がコメントを出すことは意義がある。ただし早く声明を出すことが大事。記者会見でもインターネットでもFAXでも良いが、遅い発表には意味が無い。原子力学会がそういっているのかということは参考になる。
まず、発表する仕組みをつくり発信する訓練をしておくこと。発信しても記事にならないとすると、それは何故かということを考えるきっかけになる。良いことは殆ど記事にならないが、これは新聞記者が勉強しないせいもある。テレビの記者はもっと不勉強。チャンネルつくりも何かの時には役に立つ。原子力は事故のときしか記事にならないが、もっといいニュースを提供するように努力する必要がある。
会場参加者C
- 北村先生に2つ質問。最初に声をかけられたときに地元へはどうアプローチされたのか。もう一つは、討議の中で繰り返し取り上げられている風評被害はどのように話されているのか。
北村氏
- 女川では可能な限り中立を保ちたいと事業者から一線を画して地域のNPOに声をかけメンバーを集めた。しかし、現場の生の声を聞くことが目的なので六ヶ所村では商工会の青年会に声を掛け、反対派の人にも来てもらった。
風評被害については、はじめのうちはどんなものが考えられるかという勉強からスタートして段々とアクション指向の議論になっている。
会場参加者D
- 原子力安全基盤機構の者だが、JCO事故後モノを言う科学者・技術者が出てきていると考えている。原子力安全基盤機構も出来るだけ情報発信をしている。昨年11月には毎日新聞にPSAを用いた耐震設計結果では浜岡発電所が危険だという記事が出た。ホームページなどで反論したところ新聞に訂正記事が出た。ああいう訂正記事を大きくすることは出来ないのか。
中村氏
- 訂正記事は新聞社にとっては恥なので昔から小さい。小さな訂正記事を出すにも、記事を書いた記者は、デスクにしかられ他の部からはイヤミを言われるのでたまらない。不十分だと思えば抗議していただきたい。キチンと抗議をしないと反省はしない。朝日が何故反対論調の記事を書くのか朝日新聞の記者に聞いたところ、原子力についておかしな記事が出ると反対派はすぐ押しかけるが、当局はけしからんという記事を書いても押しかけてこないせいだと言っていた。
会場参加者E
- 北村先生に、結果についてのコンセンサスはどうされたのか。またメディアに関しては積極的にアプローチされているのか。
北村氏
- 最終的にはただ対話しても仕方が無いというスタンスは初めはあったが、コンセンサスを得るまでの道は遠い。
今は、原子力をやっている生身の人間を知ってもらうという段階。
マスコミからは取材の申し込みは受けてはいるが、部分的な切り取りは困るので断わっている。
会場参加者F
- マスコミは自分には甘く他人に厳しい。自分のことは知ってもらいたくないようで、例えば毎日新聞が倒産した話など記事を見た記憶も無いし、新聞社も株式会社なのだと思うがどこにも書いておらず隠している。
中村氏
- おっしゃることはごもっともという面は確かにあるが、毎日新聞の倒産はだいぶ前の話で記事は見た記憶がある。株式会社かどうかというのは意識したことがない。別に隠しているわけではないと思う。
会場参加者G
- 福井で数年前に北村先生のようなサークルを持った経験がある。その経験では、原子力に関する話については、それまではマスコミが書くとそうなのかという理解で
反論もしていなかった方々が、これはどういうことなのかということを理解し、マスコミの話を鵜呑みにしないで批判するような人も出てきている。
北村氏
- 今の話は根幹に触れるが、我々の対話活動は10人〜15人だけ相手にしている訳ではない。この人たちがあちこちでおかしな話があれば、そうではないと言ってくれると世の中は変わる。テレビで聞いたというが、テレビの言っている事は正しいのかという、テレビカルチャーの見直しにも繋がると思っている。
中村氏
- 世の中は数ではない。共産党は5%を支配できれば世の中を支配できると言っている。民主主義は声の大きい人がリードする社会だと思っている。テレビでもココアが健康にいいというと翌日には店頭からココアが売り切れる。あれは声が大きいというか、言っていることが本当にそうだと胸に響くからなのだろう。原子力でも、この人が言うのは本当だなーという人が5人か10人いれば変わると思う。
原子力学会内でももっと議論が必要ではないか。
会場参加者H
- マスコミとひとくくりするが、中にはいろいろな人がいる。予めシナリオを持っている記者ばかりではなく、話せば判ってくれる記者もいる。
中村氏
- たしかにマスコミもいろいろいる。一つの例が、モンルイ号事件。UF6を積んだコンテナ船ガベルギー沖で座礁するという事故があった。グリンピースは、UF6と水が反応してできる6フッ化水素で大変な被害が発生すると発表。事故は週末に起きたので各新聞はこの発表を報じた。月曜日朝一番に科学技術庁がグリンピースの話は誤りで、穴が開いたとしても化合物は穴をふさぐ方向で拡大しないし、キャスクは13メートルの水深は耐えることができると説明したところ、記事が小さくなった。
朝日新聞だけは大きな記事を書き続けたが、これは科学部で記事を書いても社会部のほうが力が強いので、影響を小さくするような記事はボツにされた模様。しかし各社とも記事が小さいので、朝日新聞も暴走はやめた例がある。これなど、話せば判る理解能力が新聞社にもあるという例ではないか。
宮沢氏
- 高レベル廃棄物の処分場選定のプロセスに学会も力になりたい。ついてはコミュニケーションの専門家として何かヒントがいただけないか。また、先行している外国の例で参考になるようなものがあれば教えて頂きたい。
中村氏
- 鹿児島の話は、南日本新聞の記事は冷静で比較的淡々と事実を書いていた。どうもあの話は根回し不足ということのようだ。高レベル廃棄物の問題は、高木仁三郎も心配しているうちに亡くなってしまったが、しっかりした反対派は問題を理解しているので、一度反対派をいれて討論会をしてはどうだろうか。
アメリカの新聞と日本の新聞の違いを紹介すると、アメリカではユッカマウンテンの法案が採決される日にニューヨークタイムズは、この機をのがすなという社説を書いた。朝日新聞は高レベル処分場が決まると輸送時の事故が心配などと書いたが、ニューヨークタイムズは輸送途上の事故など心配する必要は無いと書いている。これを見比べるといかに日本の新聞の腰が引けているかがわかる。朝日新聞だけが新聞ではなく、もっとましな新聞もあるが。
北村氏
- 違う立場から言わせていただく。地域の人との対話を言う前に、専門家が内側で議論していないという面がある。再処理にしても、高レベル廃棄物の処分にしても色々な意見があると思う。それを専門家同士で率直に語り、一般の人に見てもらうプロセスも大事ではないか。
双方向のコミュニケーションを行うには、自分も相手の意見を聞いて変わり得ることが大事なので、立場上産業界と行政は難しいかもしれないので、大学人がイニシアティブをとって議論していくべきだと思う。九州でのプルサーマルの討論会などの経験からも強くそう思う。
会場参加者I
- 原子力環境整備機構の者だが、高レベル廃棄物の処分場については、我々だけで対話を通じて共通の理解を得るのはなかなか難しい。皆様のご協力、ご支援をお願いしたい。
会場参加者J
- コミュニケーションを一生懸命やっている一方で、スキャンダルが起きている。対話活動の上でスキャンダルの影響はどうだったのか。
北村氏
- 東電事件など、影響はもろにあったが、専門家に対するトラストがなければ議論など出来ない。逃げては駄目ということで臨んだ。すべてを知っている人はいないという割り切りも大切。
中村氏
- 世間は専門家は頼りになる存在だと信頼している。地震の専門家も信頼しているが、地震が起きないというところで地震がおきたり、起きると用心しているところではなかなか起きない。そういう専門家もいるが、耐震設計は信頼できる。
社会の信頼に応えるよう専門家には頑張っていただきたい。
宮沢氏
- 丁度時間となった。このような話は結論が出るものでもない。次回も引き続きディスカッションすることとし、今日はここで終了とする。
以上
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