第13回チェインディスカッション



日本原子力学会 社会・環境部会
 

第13回チェインディスカッション議事概要



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討論テーマ:「原子力コミュニケーションに大切なもの」

日時:平成16年9月16日(木)13:00−15:30

場所:学会秋の大会J会場(京都大学工学部物理系校舎315号室)

座長:岡 芳明氏(東京大学 大学院工学系研究科教授 社会・環境部会長)

 

1.プログラム

以下の講演者の方に、今回のテーマの趣旨に沿った演題にて講演をいただき、会場からの質疑と討論を実施した。参加者は88名であった。

@久保 稔 氏(核燃料サイクル開発機構)「生の声に真正面から」

A八木 絵香氏(社会安全研究所・東北大学)「反復することの重要性」

 

2.議事概要

(1)久保 稔氏(核燃料サイクル開発機構 広報部)講演

「生の声に真正面から」

1981年から1年半ほど米国サンディア国立研究所に滞在した。当時アメリカ人3人の部下と一緒に研究していた。3人以上の部下をもつ人には毎週研修を受けることが義務付けられ、金曜日の午後に研修を受けていた。その内容の大きなものの一つは情報公開だった。2人で話すのはディスカッションでこれは情報公開の対象にならないが、3人以上が話す場合はミーティングとなり、情報公開請求されるとミーティングの内容は情報公開請求の対象になると教えられた。メディア対応トレーニングもその時に受講した。その時はそれらのトレーニングが実務上役立つとは思っていなかった。

もんじゅのナトリウム漏洩事故後、原子力に批判的な方々との対話を経験した後、その翌年に初代の情報公開課長となり新しい分野に入って色々と勉強することになった。情報公開というのは、社会の中で考え方の基準が動いていく中で、根本にあるのは何なのかを前提に物事を考えねばいけないことを学んだ。今日は我々が日々苦労していること、どういうことを学んだかを話したい。

東海のアスファルト事故当時は通報連絡体制や広報体制が不完全だった。大学でいうならば不可にあたる。国民が我々に何を求めているかの感受性がなかった。

その後Webサイトも改訂し、現在は月180万件ほどのアクセスがある(以前は月3000件程度で、それ良しとしていた)。

旧動燃は一方通行の情報提供であった。現在は社会に対して双方向、開かれた報・地域共生を考えるようになった。

「生の声に真正面から」ということでこれまで頂いた12,000件の質問に対して全て答えることにしている。午前11:40から1時間くらい電話の問い合わせがあり、昼休みがなくなることも多々ある。

平成9年7月1日に当時、国や特殊法人としてははじめて「情報公開指針をつくり、制度的に情報公開を実施した。また、平成14101日からは独立行政法人等の情報公開法に則り情報公開を行っている。これまで1,700の情報公開請求があり、ほとんどのものが全面公開か部分公開として公開している。非公開なものは文書不存在か個人情報としての被ばくデータと核物質防護の情報である。

報道には力をいれている。国民に理解をしてもらうために有力で迅速な手段の一つは報道である

報道への抗議は、「説明は正しく伝えたい」との思いで、現在「毎日新聞」に対して行っている。直接話にいった紙面に訂正はのらない。海外メディアでもこれまで10件くらい間違った情報が出て、e-mail等で訂正を求めた。海外では訂正記事が出る。日本との違いである。

米国で、negativeな報道はpositiveな報道の3倍イメージが強いといわれた。そこでH15年のデータをまとめてみた。成果報告を1回出すと、メディアで1回くらい取り上げてもらえる。しかし1回事故が起きると2回程度プレス発表し、平均すると28回新聞記事になる。1回の事故でかなりのの新聞記事になる。事故トラブル関係の記事が多いと、いくら成果報告をしてもマイナスイメージで隠れてしまう。

平成14年からサイクル機構でもメディアトレーニングを始めた。事故等で現場からなかなか情報がこない場合にプレス対応しなければならない場面がある。米国の友人の薦めもあり、NRCDOE国立研究所等も取り入れていることを知って導入した。

原子力関係者は説明が長いのが欠点だが、これは正確に言おうとするためである。簡潔に分かり易く説明する努力が必要である。

メディアトレーニングを受けるのは広報関係者、事故時等で説明に当たる経営層である。ライトがあたった状態で会見する場合は通常と全く異なるので、そのような状態でトレーニングする。

Verbal Communicationにおいては、Sound Biteと表現されるが、核心を簡潔に、Wittのある表現を使う。Non Verbal Communicationでは動作、ネクタイの柄などに気をつける。沈黙も時には有効である。

物事の説明に当たっては日本の教科書は5W1Hで説明することになっているが米国、IAEAは4W1HWhyはない。事実確認だけで説明することにしている

初動段階の情報の9割は間違っていると言われている。だからトラブル対応の訓練をする。アメリカでは業務の12%が訓練といわれているが、そのような専門家でも情報伝達では9間違っているとのことである

一部のメディアは記者会見だけの情報収集だけでなく、記者は直接現場の課長などに取材することも多々ある。発信する側は1人の人に絞って(ワンボイス)、記者発表は30分に絞る。原子力は言葉が難しいので分かりやすい言葉で、また、なるべく映像などを活用するよう心がけている。

発表する時は組織を超えて、一市民として話国民を愛する「ペイトリオッツ」として語ることが重要だと考える。

<質疑応答・ディスカッション>

(参加者A

 タイトルにある「真正面から」の意味をもう少し詳しく説明してほしい。

(久保)

 質問には全て回答する、取捨選択しない、という意味である。直接話さないと原子力が身近にはならない。

(参加者B

 情報公開のメインである工場見学が制限されたり、ホームページ上での施設のVirtual Realityが公開できないなどのマイナス面を、サイクル機構ではどうカバーしているか?

(久保)

9.11以降施設見学は難しくなっているが、全くゼロではない。場所を限れば見学は可能なのでそのような努力している。

(参加者C/マスコミ関係)

 2点コメントしたい。現場の情報が入らない状況でのスピーチとのことだが、取材していると、情報がある日突然飛躍することがある。なぜ情報が入らないのか、組織論として見直してほしい。情報が入ったらどんどん差し替えてほしい。また、ワンボイスというが、マスコミのカルチャーとして1人のいうことを信じることはないので、色々な人から取材する。1つに絞ろうという努力は無駄である。それぞれの見解がある場合、その理由がきちんと示せれば良い。情報が変化する過程を明らかにした方が、よりマスコミとの距離が縮まる。

(久保)

 以前の事故時の対応にあっては現場が混乱した。は安全確保が第1なので、その指示者は1人に絞り、マスコミ対応は別に担当をつけるように改善している。現場の担当者は安全確保の対応で疲れており、マスコミ対応の負担を軽減するために広報対応者が同席するようにする。ワンボイスといったのは窓口を1本にするという意味である。

(参加者C/マスコミ関係)

 組織論としてはその通りであるがマスコミのカルチャーとは異なる、ということを認識した上で対応してもらいたい、との意味である。

(参加者D

 2点質問がある。サイクル機構のWebも大変便利なものになっている。外部、内部でWebの評価をどのように実施しているか?また、広報予算はいくらで、費用対効果はどうか?

(久保)

 以前東京理科大のメディア関係のところにWebの評価を依頼した。その時は首相官邸に次いでNo.2だった。Webサイトによせられる皆様の意見を読んで反映するようにしている(早いもので1ヶ月、長いものでも半年で意見を反映して改訂している)。メディア訓練の予算は150万円である。外国人講師を呼ぶ場合には3000万円くらいかかるらしい。

(参加者E

 声を一つにするということは、良いスポークスマンを立てる、ということであり、そのスポークスマンの情報を均一化することだと思う。組織内での情報の共有化はどうしているのか?

(久保)

 各施設毎に担当者を決め、スポークスマンとペアで行動している。ワンボイスについてはアメリカ、フランス、ドイツ、IAEAなど世界共通だと思う。資料・情報についてはイントラネットで共有できるようにしている。

(参加者E

 マスコミさんに伺いたい。外務省など各省庁のスポークスマンが記者クラブで喋ったことはそのままニュースに流れる。その裏付けを取ることはどうしているのか?

(参加者C/マスコミ関係)

 役所は自由なところなのでどこでも行って何でも聞ける。会見の言葉はどんどん禅問答になるので、「本来の中身は何か」の取材をしなければならない。それをしなければ誤報を出す恐れがあり、必ず確認のために聞き回る。また、会見の前に何が出るのかを知って臨もうとするのが取材の姿勢である。ワンボイス、現場で情報が入らないということで思い出したのだが、NASAの2回目の事故の時に原因の話を担当者がされて、「こう思っている」というレベルから発表が始まって最終的には結論がひっくり返った。しかし大きな問題にならなかった。アメリカという国の違いかもしれないが、「今こういうことを考えている」、「迷っている」ということが時系列にミクロに出てくることが大事である。外務報道官の場合、情報が飛躍しているのでその間を埋める取材をしなければならない。見解を一つに統一したいのであれば、会見の中で、今どういうことが議論されているのかを細かく説明することが最も実践的な事だと考える。

(久保)

 アメリカでは情報を出す時に「この情報は変わることを前提に作っている」と一文を書いて出している。日本でそれをやったことがあるが、マスコミ側から、それをやめてくれ、といわれた。分かっているから、と。しかし一回出すとなぜ変わったのか、といわれた。実例を示すと、アスファルト事故の時に所内で作業した人が体内ひばくしたのではないか、ということでホールボディカウンターを実施した。1日で15人程度しか実施できないので、どうしても検査を受けた人の分、毎日毎日データが更新されることになる。口頭でいくら説明しても、マスコミは「被ばく者がまた増えた、また、情報が変わった」、という書き方をした。こちらからの文章にその一文を書くことは許されなかった。日本の文化かもしれない。本当は文章に「この情報は途中経過の情報で、分かり次第また改訂します」と入れたい。これが許される時代がくれば良いと思っている。

 

(2)八木 絵香氏(社会安全研究所、東北大学)講演

「反復することの重要性」

原子力の専門家に求められているコミュニケーションについて述べたい。

2年間、女川で10回、六ヶ所村で8回「対話フォーラム」を実施した。各地区とも10-20名の参加者でそれぞれ同じメンバーで実施している。専門家と住民参加者、住民参加者同士の価値観の共有をはかることが目的である。

女川の第1回目は東京電力のトラブルの直後で、次々と新しい情報が出てくる不確定要素が多い段階で、質疑応答しなければならない状況が厳しかった。その一方で、相互の信頼関係醸成にはいい機会だったとも思う。

六ヶ所村では、開始当初からの住民参加者の希望もあり、原子力について否定的な意見をもつ住民も5名ほど参加するようになっている。

一般市民にとってのリスクとは「安全」よりも経済的影響や精神的なものであった。発電所ができることによって期待したほどの結果が得られていない、などである。安全に関しては技術よりも人の要素や組織を気にしている。それらを規制する国の役割への関心が高い。

近くに住む人々は、毎日の生活の中で特に不安を感じている訳ではない。一方で、手放しに安全だと思っているわけではなく、何かトラブルが起きると気持ちの底にある不安が健在化すると考えられる。

安全はこれまでの蓄積であって、危険はこれからの話。地元の人はこれまでの安全の蓄積と、将来の話とは切り分けて考えている。

社会情勢からみてコスト削減はやむをえない。自分の会社でもそうなのだから、発電所でも同じようにコスト削減をしているはずであり、安全性確保が甘くなるはずだと感じている。

事業者に対する反対も少ないとは言えないが、それ以上に、国や県の情報公開やその責任に対する不満の声が強い。

地元の人は専門家が立地地域でばかり対話活動をしたり、住民に勉強するように求めるのはなぜか、との疑問を抱いている。もっと消費地での活動が必要なのではないか。

生まれた時から原子力施設があるのが当たり前の今の子供達の世代に一体何を伝えるべきなのか、を考えている。また原子力施設が出来たことによって、「話せないこと(タブー)」ができてしまった。

今回の対話フォーラムでの専門家、住民それぞれが変化した。住民からの要望としては、説明が長いので分かりにくい、というものがあった。厳密な意味での数値的な正確さではなく、今分かる範囲の情報をそれぞれのレベルに合わせた言葉で話してほしいというものが多かった。専門家側は当初中立の立場で対応しようと思っていたが、立場ではなく個人として発言するべきだ、と思うように変化している。参加者側は「嫌い、怖い」「安全か、危険か」ではなくその間があることを認識し始めた。参加者は、専門家の中にも色々な意見があることを受容し、理解志向から解決志向への変化が見られた。

対話を繰り返す中で、一般市民は状況確認の質問から反語的質問をなげかけるようになり、その後理解の確認をする質問に変わる。しかし、それらの変化は、必ずしも原子力の受容にはつながらないし、不安の軽減にもつながらない。コミュニケーションの結果が、必ずしも原子力の受け入れにつながらないことを理解する必要がある。

専門家に求められるコミュニケーションとしては、以下の3点にまとめられる

1)全体に対する情報提供ではなく、個人に対する情報提供、コミュニケーションが求められている

2)専門家の側の態度も常に変わることを自覚し、対話によって変わったことを示せることが信頼を得るために必要

3)技術のネガティブな要素を正しく提示できることが大切

即時に、分かる範囲で都度回答していくことが必要。また、話すだけではなく、その専門家がどのようなAction Planをもっているかを示し、一個人としての見解を示すことが大切である。

このような活動を実施する専門家のincentiveをどうするかが今後の課題。またこのようなコミュニケーションの信頼性・妥当性評価も課題である。

顔の見える専門家が求められている。また、「話す力」よりも「聴く力」を持った専門家であることが大切である。

 

<質疑応答・ディスカッション>

(宅間原子力学会長)

 コメントが2点ある。中高年がノルマに対して過剰適応をして仕事をこなし、ある日過剰反応をして自殺してしまう。発電所周辺住民も同様で、「原子力発電所は安全に運転している」と過剰適応し、あるトラブルが起きると過剰反応をしてしまうのではないか?過剰適応ではなく、正常に発電所を評価できるためには、このような活動・コミュニケーションが大切であり他にも展開していってほしい。市民とのコミュニケーションは会社を背負ったものではなく個人でなければならない。会社の論理を超えた個人、一市民、一地球市民としてコミュニケーションができる社員を育てなければならない。今後の人材育成にかかっている。

(八木)

 事業者であっても個人の立場で実施できる部分がある。ただし全員がその能力を持つことは難しいし、各個人にそこまで求めて良いのか・・・という気持ちもある。

(宅間原子力学会長)

 30年、40年前は、雇われた以上会社の論理に従うべき、という考えだった。今はまず市民であり、会社は市民の論理をもった人の集団と考えられるようになった。

(参加者F

 住民同士のタブ−の内容と、それがどこからの圧力によって生じるのかを教えてほしい。また、地元の人は国や県に対して不満をもっているようだが、国と県は同じものと考えられているのか、違うと認識されているのか?

(八木)

 商売をしている人は皆電力会社と繋がりがあるので否定的なことは言いにくい。これが1番のタブーである。地域の中でこのような集いにわざわざ参加する人は風変わりな人だとみられるので、だまっていた方が良いと思っている人が多い。また、住民の方々は、国や県や市町村にかかわらず、行政機関に対して思うところがあるようだ。

(参加者G

 結論には賛同する。このようなフォーラムを実施するのはとても大変で、良いことだと分かっていてもなかなか実施できない。費用面、人の拘束の面も含めて実施するための有効な方策はないか?

(八木)

物品を購入するわけではないので、わかりやすい形でお金がかかるわけではない。一方でコミュニケータやファシリテータを確保するという意味で、お金はかかると思う。そういうことに人材を割り当てられる組織でないとできない。大学もそのようなコミュニケータを確保する努力をしてほしい。

(参加者H

 社会・環境部会で出たアイデアだが、現役ではなく卒業生を活用するというアイデアもある。今回のフォーラムでは一市民としての発言に徹していたと思うが、東北大学の教授というブランドの力はどう働いたのか?

(八木)

 今回この企画を実践するには民間企業よりも大学だろうと思って東北大学に入った。実際に活動が定着すると、民間でも大学でも変わりはないが、最初に立ち上げる時には、大学の方が信頼されやすいのではないか。

(共同研究者・北村教授)

 「学会」はブランド力があると思う。六ヶ所村で学会の倫理委員会の会合を実施したのも好評であった。学会員として今回の活動の方向性に賛同する人は、是非ActorとしてActionしてほしい。ただし学内では不評だったし大変だった。しかしやった甲斐はあった。

(参加者G

学会員として出ていくことは有益だと思う。

(参加者I

 専門家の説明の中では、事業者の努力や規制側の役割についてどう話しているか?

(八木)

 規制側は事業者の味方だと思われている傾向が強いようだ。

(共同研究者・北村教授)

 質問の主旨は分かるが、今回はこちらから情報を出すことはしていない。市民の疑問に答えるというスタンスであった。しかし市民もある程度は理解している。そのうえで、なぜこんなに事故が起こるのか、という話になった。

(参加者J

 理解が不安の解消や受容につながらない、という部分をもう少し説明してほしい。

(八木)

不安か不安ではないかの一軸で表現することはできない。アンケートで「不安」かどうかを問うことに意味はなく、不安と答える人の数字にも意味はあまりないと思う。感じている不安は、気持ちが織り交ざっているものだし、小さな出来事でも刻々と変化するものだと思う。

(参加者J

 不安の軽減という表現に問題があるということなのか。

(参加者K

 原子力関係者は厳密な情報提供に配慮し、NUREG番号を言い間違えると何も分かっていない、といわれる。正確さを求めすぎるとコミュニケータにはなれない。その辺りをもう少し説明してほしい。

(八木)

 専門家と一般の人とは理解の形が違うということが最近分かった。人間には理解の枠組み、例えばタンスの引き出しのようなものがあって、それにあわせて理解しようとする。だから、違う引き出しをもつ人に自分の枠組みで説明しても伝わらない。相手の引き出し(理解の枠組み)にはまる情報を発信しなければならない。原子力の専門家は、自分が知らせたいことを丸ごと発信して全部受け止めてもらいたいと考えている、そういうところにギャップがある。

(参加者L

 今回の発表にあった「専門家」という言葉に違和感を覚えた。今回のフォーラムでの専門家は個人としては北村先生を指し、技術か研究の専門家なのだと思う。しかし原子力の専門家にはバラエティがある。先ほどの久保さんは広報の専門家で、私自身も広報、コミュニケーションの専門家である。プレゼンを分かりやすくするためには、専門家という言葉をもう少し細分化した方がよいのではないか?

(八木)

 ご指摘通り再考する。しかし、申し上げたかったのはここでの専門家というのは、厳密に学問分野の専門家ではない。幅広い原子力の全ての分野に精通しなければならないとしたら原子力の専門家はいないことになってしまう。専門家というのは相対的なものであって、一般の市民と比べるとより専門知識をもっているという意味で使っている。また全てに精通した専門家でなくてもコミュニケータにはなれる。しかし、プレゼンテーションをする上ではご指摘の通り、検討を加えたい。

(参加者M

 元メーカ勤務である。メーカ、電力の立場で話をしたい。原子力をやっているものは悪の根源、大会社は悪、といった漠然とした悪者意識があるが、メーカにも電力にも、すごく努力をしている良い面がたくさんある。だまっていても滲み出ると考えるのは昔の人で、そろそろ自分から出していかねばならない。マスコミに叩かれてばかりではぐれてしまうので、良い面を強調すべき時ではないか?

(八木)

 良い面を協調することはもちろん大事である。一方で、今原子力の専門家がそれを言う立場にはないし、やっても受け入れられない。まず信頼を得るのが第一歩ではないか。

(共同研究者・北村教授)

 原子力にも良いところがあるから受け入れられているはずである。「しょうがないけれど原子力は捨てられないでしょ」、という人が多い。原子力業界の中で「マスコミはひどい」とか「リスクゼロを要求されては技術が成立たない」とぼやいていてもしょうがない。外に対して生身をさらけ出すべきである。原子力もそう捨てたもんじゃない、と皆が思っている。

(参加者N

 国は、一般の人々にも分かる言葉で話そう、といって10年たつが原子力広報は何も変わっていない。今は原子力公聴の時代である。皆やらねばならない、というけれど実践している人は少なく、今こそ自分達がやらねばならないと思っている。しかし回りの人たちは、広報は女性のような人にやらせて置けば良いという意見が多いが、これは違う。先のメーカOBのように、地味な情報発信活動を始めている。

 ところでマスコミに聞きたいが、事故の時のマスコミはハンターで対応の下手な原子力関係者は餌食である。またメディアの影響力はとても大きいが、後始末についてどう考えるか?

(参加者C/マスコミ関係)

 トラブルを起こさないことが第一。マスコミは事実を伝えたら、その後は責任をとれない。表面を捉えてかくのがマスコミである。ちゃんとした原子力になって下さいとしかいえない。ちゃんとしているのに、間違って伝えられているのであれば、それを正せば良いのであり、社会公衆と話し合ってほしい。反対の意見をもつ人とも対話をしてほしい。そこで、反対派が何もいえずにだまってしまうようであれば、マスコミとしては「そういう話合いがあり、反対派は全く対応ができていなかった」と書くことができる。

(八木)

 これまで考えてきたことをまとめると、専門家に求められているのは、「分かり易く伝えること」ではない。「聴く力」であり、相手が求めていることを理解することが大切なのである。

以上

 

(文責・チェインディスカッション幹事)

 

 






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