再処理・リサイクルを巡る国内外の動向
(わが国における歴史的経緯とその教訓を中心に)

(社)日本原子力産業会議 宅間正夫

歴史を振り返って

  1. 日本の原子力開発は、米アイゼンハウアー大統領の国連「原子力平和利用」演説を契機に異常とも言える夢とともにスタートした。これは資源と市場の獲得戦争ともいえる第2次世界大戦が、近代工業をささえる諸資源に乏しい中で一億の人口を抱えて工業立国を目指す日本にとってはとくにエネルギー資源を巡る太平洋戦争であったことの反省でもあった。

  2. 1953年12月8日国連演説後、米国は日本に濃縮ウランを貸与して原子力平和利用研究を促した。この時日本はそれから生じるプルトニウムの所有権を主張したといわれる。すなわち日本の原子力開発の基本はエネルギー資源としてのウランの高度な活用を最初から視野に入れていた。(そのような視点から国のエネルギー政策をリードしたのが戦後の新進気鋭の政治家、科学者、産業界であったことも留意)

  3. ウランとそのリサイクル利用を含め、国内の自立エネルギーとして「準国産エネルギー」の位置付けでスタートし、産業界は当面の電力不足解消に向けて商用発電の早期実現にまい進、国策会社日本原子力発電(株)を設立、これによるガス炉導入に続き軽水炉計画を展開していった。国は日本学術会議の提唱した原子力研究における「自主・民主・公開」原則を柱とする原子力基本法のもとで再処理・リサイクル技術の研究開発、さらにプルトニウム利用を主眼とした動力炉開発を担った。

  4. 1960年代の米国はじめ世界的な軽水炉発電ブームを前に、濃縮ウランの供給不足を懸念した米国は軽水炉へのプルリサイクルを打ち出し、将来の軽水炉発電拡充を目指す電力も真剣に検討した。これは国内再処理・MOX燃料開発を前提としていた。またこの時期、ウラン資源の利用効率の点から見て軽水炉は「夢の高速増殖炉」へのつなぎ、という意識が根強くあったことは否定できない。

  5. しかし、1973,78年のオイルショックで原子力発電は一躍脱石油3本柱のひとつとして発電の主役になった。ここに資源論を基本とする原子力が正当化され、再処理・プルトニウム利用を軸に「軽水炉ー高速炉」路線とこれを補完する新型転換炉の開発が確認された、といえよう。

  6. 1974年インドがカナダから導入した平和利用原子炉からのプルによる核実験をおこない、これが「カーターショック」として米国の再処理・リサイクル政策の窒息へ、さらに核不拡散強化を世界的に展開させる動きとなった。1953年の原子力技術の公開の背後に根強くあった核拡散への米国自身の懸念がドラステイックに噴出したと言えよう。リサイクルによる資源自立を目指す日・欧は反発し「国際核燃料サイクル評価(INFCE)」が1978.10から2年4ヶ月にわたって開催された。日本も東海再処理施設の操業開始を目前とした重要な時期を迎えていた。

  7. INFCEは要するに「核不拡散と平和利用は両立し得る」ことを確認したが、東海再処理施設は厳しい日米交渉によってようやく操業にこぎつけた。日本の再処理・リサイクルにとって1977年(昭和52年)という年は、4月24日高速増殖炉実験炉の臨界、9月22日は東海再処理施設操業開始、という記念すべき年である。

  8. トイレなきマンションといわれた軽水炉使用済み燃料の処理も電力は東海施設とともに英仏への再処理委託(1978年に契約)と次第に条件整備を進め、日本原燃サービス設立(1979年)、1985年には青森県六ヶ所村への商用再処理施設の立地が受け入れられた。現在鋭意建設工事が進められており、系統試運転も一部開始されている。

  9. この時期の日本の方針は使用済み燃料は「全量即再処理」を基本とし、再処理は資源回収とともに残滓(高レベル廃棄物)を減量、深地層処分を容易にする最適な方法という論が主流。しかし後に「即」が外された。これは、リサイクルは後世代をも視野にいれること、したがって使用済み燃料の中間貯蔵の必然性を明らかにしたもの、といえる。また高レベル処分については一層の分別・減量を目指して長半減期核種などの分離変換技術の研究技術開発が並行して進められている。


再処理・リサイクルの今後の方向は

  1. ウラン資源が21世紀の100億の人口と経済社会と地球温暖化など気候変動問題を調和的に解決に導き得る欠くべからざる鍵であることは間違いない。

  2. 再処理・リサイクルの事業におけるポイントは当然ながら「社会的な信頼」であろう。「核不拡散への十分な取り組みと核物質防護対策」に対する国内外の社会的信用の上に「商用技術・市場商品さらには事業経営としての安全・品質への信用と経済性への確信」という経済界・産業界からの信頼が不可欠。刈羽のプルサーマル問題を直視すべき。

  3. 日本にとっての再処理・リサイクルの意義の再確認。


技術と社会の関係が変化していく中で

  1. 20世紀の生産者・供給者論理ー男性・父性原理の社会から、消費者・需要者論理ー女性・母性原理の社会へと人々の行動や意識の底流が変化する中で、典型的な20世紀型技術の原子力技術と原子力技術集団の有り方が問われている。

  2. 「技術と専門家」が社会を牽引した20世紀から「哲学と市民」が重視される21世紀へ。「哲学」を実現する方法・手段としての「技術」が再確認される時代、不断の、かつ柔軟な研究・技術開発を社会は期待している。

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