講演要旨
竹内哲夫(再処理・リサイクル部会長、原子力委員会委員)





(東電問題)
原子力委員として、どうしても触れないわけにはいかないし、何も隠す気もない。しかし、この問題についてはまだ審議中の状況にある。原子力団体も早速倫理委員会で急遽この問題にとりくんでいる。私自身、原子力委員会として、どう修復するかと悩んでいる。東電問題が発生して10日あるいは1ヶ月ほど、悩みに悩んで、自暴自棄を感じる時期もあったが、今はなんとしても修復しなければならないという気持ち。この問題はやはりなんといっても一般社会と原子力屋の、長年にわたった感覚のずれが今回一気に吹き出したと思うと理解しやすい。

(原子力を取り巻く社会情勢の変化)
私は昭和30年に原子力の世界に入った。あの頃は、親戚や周りの人々から「あなたはすごくいい仕事に携わる」と言われた。その時は国民の原子力に対する期待感があり、原子力に携わる人々に、非常に信頼あふれるイメージがあった。
今回、世の中の見方が全く反転してしまっていることを原子力側が気付かずにやってきたことが、根本的な問題ではないか。私自身、昭和35年に東海のガス炉の設計をやっていたが、その後、35年間は火力にいた。火力に行くときに、「もったいない。自分の希望を外して火力に行っていいのか。原子力をやろうと東電に入ったんじゃないのか」と、親戚からさんざん言われた。
同じ人が最近は、「気の毒だね。そんな仕事じゃ、もうにっちもさっちもいかないじゃないか」と言われる。それほど、一般の人の意識が変わってしまった。
原子力の問題を社会が良く捉えるか悪く捉えるかは、その時の社会が原子力をどうみているのかの現れと思う。昭和30年代にはエネルギーの開拓者という信頼があった。日本の原子力は平和利用で高速炉に至るまでの目的は、昔も今も、全く変わっていないが、昔、信頼感を持ってくれていたサポーターが今どう思っているか推察すれば、「原子力は怖いものだ。いつも心配がつきまとう。聞いても本当のところはよくわからない。それに加えて不正や隠し事があった。とんでもないことだ」というところまで来ているのではないか。

(われわれの意識も)
原子力屋がなぜこんな風になってしまったか。社内で原子力の仲間とやり合うとよくわかるが、「そんなことをいくら説明したってわかるわけがないだろう」とよく口にする。
オイルショックを挟んだ時期、今の軽水炉がどんどん投入された時期、原子力屋さんが非常に頑張って、今の地位を勝ち取った。我々がやるしかないという使命感を持っていた。それがいつの間にか唯我独尊になってしまっている。

(社会とのミスマッチ)
その間にスリーマイルやチェルノブイリの事故があり、社会の一般の人は原子力は怖いものという認識に変わってしまった。これまで、日本の中で8割か9割は原子力に対して中立的立場で、原子力推進派は1割いるかどうかだった。明確な反対も1割。チェルノブイリや日常の軽水炉事故の後しばらくは、議論は賛成、反対の1割対1割がやっていた。
今回はその8割から9割の人達に不安、不信を与えた。地方自治体からの意見が地元の不安、不信という表現をされている事を、我々は真摯に受け止めなければならない。

(なすべきこと)
社会の意識の変化をしかと受け止める。それから原子力側は常に一般の方々と対話を続けて、一般の方々の感性を知りながら対応していかないと、机上の論理で一所懸命やっても、世の中はそれを認めないということを理解し、深く反省すべき。

(維持基準)
今まで私は維持基準の必要性をいってきた。日本原燃の社長に着任した日の思い出だが、着任直前に姉ヶ崎火力でトラブルがあり、ほとんど不眠不休で青森に着任し、ふらふらで記者会見をやることになった。その席で、たまには事故が起こるという話をしたら、大変な話題になり、びっくりした。機械が壊れることもあるのは当たり前の話だと思っていたのだが。
今、維持基準で色々な話が出ている。新品同様がいいのは当然だが、高温高圧で使用していて、新品の状態はあり得ない。原子力を一般産業の常識から乖離させてしまったことを、原子力屋として反省しなくてはならない。

(火力で出来て、何故原子力では)
私自身、火力の新しい技術基準の仕事を約1年担当した。青森に赴任するまでには終わらなかったが、すぐ後の平成9年3月に制定された。原子力分野も火力とほとんど同様に考えられることが多い。例えば材料に関する民間基準の取り入れや、アセスメント等の関係などはほとんど共通にできる。それで何回か「火力も原子力も一緒にやらなければだめだ。共通するものが多い」と申し上げたが、受け入れてもらえなかった。それが今もって悔やまれる。この時のポイントは公共の安全と災害の防止。安全第一は当然だが、その安全確保の責任はまず事業者にあると、事業者の自己責任に言及している。良好な状態で維持管理していけば、インセンティブが得られる。例えば、通常の設計のサイクルを倍にしたり3倍にしたりというように。
海外のボイラー施設などあまり金をかけられず、運転も荒っぽいが、いわゆる維持基準的なことはあり、法的に可否を問える。それが大事なことだと思う。今回のシュラウドは保安院の方も東京電力の方も起こった瞬間に運転には差し支えないと発表している。運転に差し支えないと判断できるものがなぜ基準になっていないのかというように、基準が法的になっていないという事自身が世間では問われている。その為に隠したのではないか、隠蔽したのではないか。
基準化したものはすぐに法制化し、それを使って国民に対して話をする仕組みが大事だと思う。これについては今回どん底まで落ち込んだと思うので、機械学会や、原子力学会も早くやろうという事になっている。当然の事ながら、経産省の方でも非常に精力的に動いている。早くこういうものができるのを期待したいと思う。

(六ヶ所再処理工場)
現在、六ヶ所の試運転は化学試験に入れる状況と聞いている。ぜひ、現在の状況を踏まえて仕事を進めてほしい。六ヶ所については核反応がないわけで、絶対に臨界反応があってはいけない。それは徹底しなければならない。
再処理は新品からの傷みを管理する事業だと考える。これは機械的な部分もあるが、化学的な部分、専門度が高い部分もあり、実績を十分に取り入れることが必要。もう一つ、もっと厳しいのはプルトニウムに関する扱い。NPTや核拡散に関係する非常に厳しい、IAEAの包括的な監査の元で仕事をすることになる。この辺は見てもらうというより、こちらの姿勢も含めて信頼を予め作っておかないといけない。何か問題が起きたときに信用されていないと説明がつかない。そういう面で国際的にも国内でも信頼されるような仕事をすべきであり、細かいところも全面的に全公開することが必要と考える。つまらないものまで出したらキリがないじゃないかと思ってはならない。キリがないかどうかはこちらの判断ではなく、受ける方に判断してもらうことである。

(まとめ)
現状は原子力の再処理リサイクルも含め、原子力は全くのどん底の状態にある。プルサーマルも地方自治体の長の方からほとんど白紙撤回されている。信頼の回復を第一にするしかない。「プルサーマルはあわててやることはない」という意見に集約されているように、現在照準があたっているのは再処理リサイクルの部分といえる。
核軍縮で出るプルトニウムを、アメリカは日本でいうプルサーマルで使おうという方向で動いている。アメリカがこれをやると、プルサーマルをやっていないのは日本だけという時代になる可能性も出てくる。
アメリカなど持てる国は考え方に非常に余裕がある。日本の議論は局所に偏り、最後がわからないならだめだということになりがちに思えてならない。日本は少資源で、わずか4%しか自己資源がなく、原子力を入れても24%。こんな先進国は世界にない。前向きなリサイクル部会の方々と共に先を見ていきたい。プルトニウム利用を一番早く手がけて現実路線に乗せなければならないのは日本だと考える。皆さん、是非そこの所をお願いしたい。