社会・環境部会主催公開シンポジウム
原子力のパブリックコミュニケーションにとって大事なことは何か?
シンポジウムの趣旨
社会・環境部会では、一貫して原子力を巡るコミュニケーションの問題を公開討論の対象として取り上げてきております。今回は、東海村において住民とのコミュニケーションの輪作りに取り組まれた電中研の土屋智子さん、客観的な視点で原子力を捉えなおしたとして昨年の学会賞が贈られた中国新聞の特別企画を推進された宮田俊範さんをお迎えし、さらにコミュニケーションの専門家の学習院大学田中靖政先生の講演で構成しました。
日 時 平成17年11月22日(火)13:30〜16:30
会 場 東京大学 武田先端知ビルホール
テーマ 原子力のパブリックコミュニケーションにとって大事なことは何か?
プログラム
1)「東海村におけるリスクコミュニケーションの住民定着活動」 土屋智子氏(電中研)
2)「中国新聞特別企画-原子力を問う-取材と反響」 宮田俊範氏(中国新聞)
4)「原子力パブリック・コミュニケーションの要諦(かなめ)」 田中靖政氏(学習院大学名誉)
5)質疑及び討論
座長:宮崎英雄氏(日本原子力学会・中国四国支部事務局)
当日の会場の模様
岡部会長の挨拶
昨年と今年、部会長を務めている東大の岡です。社会環境部会は、技術系の原子力学会にあって、人文系を扱っている非常にユニークな部会であります。米国原子力学会にもこのような部会はありません。毎年シンポジウムを開催することを一つの目標として昨年からやっており、昨年のもんじゅ判決のシンポジウムに続いて今年が2回目となります。企画に携わった関係者のご努力に感謝申し上げます。
当部会は非常に広範な分野をカバーしており、その中に広報活動も含まれていますが、出身母体にとらわれない横断的な学会ならではの活動ができる点が一つの特徴であると思っております。予算規模も小さくまだ十分な陣容とは言えませんが、新規入会も含めて引き続きご支援を賜りたく、お願い致します。
部会の活動をご紹介しますと、春秋の年会、大会のときに、年に2回のチェインディスカッションを設立当初から開催し、原子力のコミュニケーションとか社会環境の問題を議論してきています。その他に今日のようなシンポジウムと、それから今年から委託研究、これはJNESさんからの調査研究ですが、それを始めることとしております。当部会は、本業は別だけど社会的問題の重要さを認識して活動したいという人たちで構成されていましたが、コミュニケーションを本業とするような人達に活動に入って頂きたいと思っており、そのような人達によって活動が行われるようにしていきたいとも考えております。
本日のテーマのコミュニケーションは、技術屋にとってはなかなか難しい問題で、まずはその困難さを理解することが必要と考えております。技術屋にとっては、このようなシンポジウムや学会活動がその理解のために良い機会であると思っております。
コミュニケーションに対する活動は世界的に様々な形で行われていますが、他での経験を集めて理解することも重要だと思っております。例えば、環太平洋諸国が集まって原子力のことを議論する国際会議がありますが、前回の会議では、田中靖政先生のリーダーシップにより、各国でのコミュニケーション活動を紹介しあうセッションが設けられました。その時の発表のパワーポイントは社会環境部会のホームページに収めてありますが、我々と関係の深い米国では、NEI(原子力エネルギー協会)が中心になって議会や国民に対して展開している広報活動が紹介されました。進んだ広報活動だと感じましたが、例えば、あるメッセージを伝えるのにどういう言葉を用いるのが適切かという研究もなされていて、原子力の “clean air benefit”というメッセージを伝えれば、安全のメッセージもこの言葉で伝えうる、ということを言っておりました。ぜひ、ホームページをご覧になって、各国でどのようなことが行われているか、ご参照ください。
日本は米国のやり方を真似ればいいというものではなく、地方の状況や中央政府との関係とかが違いますので、日本のやり方は我々自身が考えていかなければいけないと思っております。そういう機会に今日のこのシンポジウムがお役に立てば、部会としては大変有りがたいと考えております。
最後に今日の座長の宮崎英雄さんを紹介させていただきます。宮崎さんは、中国電力で長く原子力発電所の建設や運転に従事され、ご退社後、現在ニュークリアサロンイン広島を主催しておられます。原子力学会のフェローでもあられます。それでは宮崎座長、よろしくお願い致します。
宮崎座長
ご紹介に預かりました宮崎です。本日は3名の講師の方をお招きしております。二つめの講演が終わったところで、休憩を取り、最後に30分ほど時間を取って、討論を行いたいと思います。
まず、本日の講師の先生方をご紹介致します。最初の講師は、土屋智子先生です。先生は大学ご卒業後、電中研にお入りになり、現在上席研究員でいらっしゃいますが、通産省資源エネルギー庁の原子力広報評価検討会の委員をはじめ、数多くの委員を努めていらっしゃいます。
次の講師は中国新聞の宮田さんです。先生は、中国新聞で要職を歴任してこられ、現在は編集委員室の編集委員をしておられます。今日はそのお忙しい時間を無理に割いてこの講演会のために来ていただきました。著書もいくつかおありですが、その他に原子力に関する世界の取材をされ、それを中国新聞紙上に30数回に渡って、「原子力を問う」というシリーズで連載されました。今日のお話もそれを集約されたものになると思います。また連載をまとめて本にしたものを800円で、受付のところでお求めいただけるようにしてございます。
最後の講師は田中靖政先生です。先生は、長く学習院大学法学部で教鞭をお取りになっておられましたが、現在は名誉教授であられます。日本広報学会の常任理事をおつとめの他、日本選挙学会の元理事長とか、日本政治学会の元理事とか、重職を歴任してこられております。
本日は各先生方から40分づつのご講演を頂きます。それでは、土屋先生からお願い致します。
講演1
1、
科学技術のリスクコミュニケーションの定着に向けて
東海村C3(シーキューブ)プロジェクトの紹介
講師: 電力中央研究所 土屋智子
@
C3プロジェクト実施の背景
・ JCO臨界事故発生後に村(東海村)の調査(住民が事故時の情報をどの程度もっていたか、どのような不安を抱えているのか、どんな課題を抱えているのか等について郵送アンケート,個別訪問,グループインタビューなど4種類の調査を実施)に電力中央研究所が協力したのが、この活動のきっかけである
・ 82軒の個別訪問調査では、原子力に理解のある人も原子力のリスクについて考えなければならないという意識に変化していた。一方,女性グループインタビューでは,リスクについて話せない、話す場がないというという人もいた
・ そこでリスクコミュニケーション実施の必要性を調査結果として村に提言した
・ 村長の諮問機関としての原子力安全対策懇談会が設置され、また村長の強い要請により、JNCにリスクコミュニケーション研究班が発足した、これらにより東海村の中にリスクコミュニケーションの形が出来た
・ しかしながら、リスクについて話す場はなかなか出来ず、リスクについて話し難いという雰囲気が再び強まってきた(不安や懸念を発言すると原子力反対派に見られるという状況であった)
・ そのような状況の中で、電力中央研究所は原子力安全保安院の公募研究に、社会(Community)との対話(Communication)と協働(collaboration)のための社会実験(C3プロジェクト)を応募し採用された
・ 2002年12月、東海村でC3プロジェクトがスタートした
A
リスクコミュニケーションについて
・ リスクコミュニケーションとは,専門家の知識を伝えること、推進側の考えを受け入れてもらうこと,教育や啓蒙を目指したものではない
・ ここで話すリスクコミュニケーションは1989年にアメリカで定められた定義を基本とし、情報のやり取りのプロセスを通して共に考え、問題に対し協働していくことを目的とする
・ リスクコミュニケーションとは,対話・共考・協働を通じて、持続的な信頼関係をつくることだと考えている
B
C3プロジェクトの特徴
・ リスクコミュニケーションの調査ではなく,リスクコミュニケーションの社会的な定着を目ざす実践的な研究活動である
C
事前の意識調査から得られた設計上の課題
・ 事前の住民意識調査によれば,リスクコミュニケーションの場を設定しても、なかなか率直に話が出来ない状況であった
・ その理由として、一番目は「経験したことがないから出来ない」、二番目は「何かいってもしょうがない」という諦め的ものであった
・ 村の1/3が原子力関係者ということもあって原子力について話せない,話したくないという雰囲気に戻りつつあった
・ このため、対話することから何かが変わることを見せる必要があった
・ これを実現するためのリスクコミュニケーションの場として「東海村の環境と原子力安全について提言する会」を設置
D
「東海村の環境と原子力安全について提言する会」の活動
・ 「提言する会」は参加者のバランスではなく、参加意欲を重視した
・ 自発的参加者による継続的な議論の場であり、自らが活動内容を決め行動する場とした
・ 参加者は6名で発足、最終的に16名が参加した(男性14名、女性2名、60歳以上が11名、日立関係の原子力以外の技術者が多い)
・ 月一回の頻度で21回の会合を実施した。当初、参加者は村に視察する能力を持って欲しいと考えたが、待っていても何も進まないので、自分たちが自ら視察するプログラムを自分たちの活動として設定した
E
視察プログラムの特徴
・ プログラムは、いつもの見学会ではないものにしようとの意見のもとに考えられた
・ 「提言する会」メンバーが視察場所や方法の決定に最初から関わった(核燃料サイクル機構、日本原電・東海発電所・廃止措置、日本原電・東海第二発電所、茨城県・原子力総合防災訓練)
・ 当日初めて説明を受けたのでは意見が出ないとの理由から、事前に約2時間の説明を事業者側から受けた
・ 見学中にも説明を受けるが、見学後に事業者と約2時間の議論の時間を設け議論した
・ 視察の感想や提言をレポートにまとめ事業者に提出した
・ レポート提出後、事業者と再度議論する時間を持った
F
参加者へのアンケート結果
・ 自分たちが予想した以上に事業者は対応してくれたとの意見が多かった
・ 組織内調整に手間取って住民意見へのレスポンスが遅れると,せっかくのコミュニケーション努力も評価が低くなる
・ 対応者があまり熱心に説明すると、参加者の声を聞くことがおろそかになり、参加者は説明者に対し、パートナーシップに欠けると考える
G
対応者へのアンケート結果
・ 説明を良く聞いてもらえた
・ この活動は一般住民の考えを理解する上でも有効
・ 新しい視点での意見がもらえた
H
住民(参加者)と事業者(対応者)はとの安全に関する考え方の相違
・ 施設は使用目的に応じた安全管理がなされているが、この論理は参加者に理解されにくく、参加者は一つの組織の中で安全管理の基準が統一されていないのはおかしいと思った。そして統一されない理由には組織の壁があると考えた
・ 対応者は安全確保に当たり、放射線安全を重点的に説明したが、参加者は放射線安全だけではなく、労働災害を含めて事業所全体の安全対策を心配し、職員が安全でなければ住民を守れるはずはないと考えた
・ 対応者は職員が十分な訓練を受けていることを前提に説明したが、参加者は万が一のことを心配し、不慣れな職員にでも安全に操作出来ることを求めた
・ 対応者は法律や規制を守っていることを安全の根拠に説明したが、参加者はルールを守れば安全なのではなく、自分たちの安全を守るために、自らが考えたかどうかが重要と考えた
・
I
参加者の感想
・ 知識が増えた
・ 住民の活動に自信が持てるようになった
・ 原子力に関心が持てるようになった
J
本活動に参加してない住民の意見
・ 本活動に参加してないが、視察プログラムを知っている人に対して意見を聞いたところ、知識がない人が視察しても意味がないという意見は少なく(3パーセント)事業者に住民の視点を意識させる点で、意味があると答えた人が多かった(約60パーセント)
K
村と事業所との関係の考え方の変化
・ 14年度は、村と事業所の関係が変わっていくべきとの意見は約30パーセントであり、そのうち「いつでも話し合える関係をつくるべき」との意見は過半数を超えていた、16年度になると、単に話し合える関係だけではなく、いい意味での緊張関係を持つべきとの意見が増えてきた
L
これからの東海村
・ ほぼ全員が活動の継続を希望
・ 本活動は村と事業所と同じ距離を持ち、同じ緊張感を持った全国組織のNPO法人HSEリスク・シーキューブの東海村支部として新たに出発する
(9月29日に内閣府よりNPO法人として認証された。)
講演2
中国新聞特別企画−原子力を問う−取材と反響
講師: 中国新聞 宮田俊範
マスコミという立場からみたコミュニケーションということでお話しする。新聞記者はまさしくインタープリターの役割果たしている。欠くべからざる存在だと思っている。その立場から見た原子力とは何かについて話したい。
中国新聞が「原子力を問う」という形で過去2年間、毎週1ページづつ世界、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、そして日本について連載してきたが、その取材の背景、過程、反響について話し、また、最後にこの企画を通し、新聞から見た原子力はどう見えるかも話したい。
まず、取材の背景として中国新聞の立場について説明する。中国新聞は広島の平和公園のすぐ西側にある。被ばく当時は今の三越のある場所にあり、約100人が亡くなり、当日の唯一の写真を取材した歴史もある。このような立場から、長崎放送と並んで世界の核問題の報道をリードしてきて、日本新聞協会賞など多数受賞している。大手新聞を除くとこの種の企画賞を最も多く受賞している。
しかし、だからと言って必ずしも広島が原子力に反対というわけではない。昭和30年頃平和公園で原子力の博覧会が開かれ、反核団体の人たちもこぞって原子力は素晴らしいと言って、賑わった事実など、広島が原子力の平和利用に関して理解があった歴史もある。中国新聞としては原子力の平和利用には中立の立場をとってきている。
戦後50年の節目ということで原子力問題に社として今後どう取り組むかを考えていた2000年頃、ドイツが原発廃止を決定したニュースが大きく報道される一方、フィンランドが5号機を新設するとの報道があり、世界の原子力情勢は一体どうなっているのだろうか、ということになり、これは行って見るしかないということになった。
一方、足元ではもんじゅのナトリウム漏れの問題、中国電力上関の立地問題で反対・賛成の対立が先鋭化しているという問題、そして島根3号機の立地問題という3つの問題があり、これから先どうなるだろうか、世界から見た日本はどう見えるだろうかという視点もあった。
次に取材の経緯についてお話しする。丁度、ニューヨーク支局を閉鎖したこともあって海外取材の原資が比較的潤沢であり、資金的な問題はクリアされた。しかし、苦労したのは取材先への手づるが無いことであった。そこで、中国電力の宮崎氏、当時の藤家原子力委員長、広島市の平岡元市長、原産の宅間氏などに橋渡しのお世話になった。藤家先生は一時、呉におられたということで、原子力の原点である、広島・長崎を忘れてはならない、という強い思いを持たれていたこともあり、強いバックアップを頂いた。原子力の取材先には様々な制限があり、一般者にとって取材は決して簡単ではなかった。餅屋は餅屋ということで、このような専門家の橋渡しを頂いたお陰で取材が実現した場所が多かった。それでも入れてもらえなかった場所もある。スリーマイルアイランドはエクセロンのトップの取材許可を得ていたのに現地では警備担当が中に入れてくれなかったし、イランはウィーンの大使さえ電話にも出てくれなかった。しかし、計画の9割方は取材できた。
国内取材でもテロ対策のための規制などにより取材しずらい面もあったが、この企画をホームページに掲載しているためか、行く先々で記事を見ているよ、と声を掛けていただき、協力的な対応を頂いたお陰で順調に取材できた。この場を借りて改めて感謝申し上げたい。結局2年掛けて20ヶ国を見てきた。
次に取材の結果についてお話しする。今回の取材で一番懸念していたのは広島の被ばく者の方々がこの記事にどう反応されるかだった。原子力を肯定する連載ではないか、と批判的投書が相次ぐことも予測していた。しかし、結果的には批判の電話や投書は1本も無かったのが意外であった。それを表す象徴的な例があった。上関の反対派の方から、非常に情報を豊富に盛り込んであり有益だった、推進側の方にも是非読んで欲しいとのメールを頂いた。ややもするとマスコミはどちらかの立場の意見を押し付ける報道が多くなりがちな中で、反対派の方に中立的で、情報として価値があると認められたことは嬉しかった。原子力の平和利用を推進する場合の課題、やめる場合の課題を中立的に描いたことが評価されたのだと思うし、そのように中立的な立場からの報道が少ないのが実情じゃないかと思う。
逆に今年、原子力学会賞を受賞したが、推進側というか原子力に携わっている方々からも評価してもらえたことも有り難かった。本日の講演もそれを契機としたものだと思うし福井の県議会から講演依頼を受ける等、講演の機会が増えている。世界の原子力を概観した一般の人でも読める本が非常に少ないので評価されたのだと思う。専門化向けの本や個別の国について書いたものは多いが、世界の原子力がどうなっているのかということについて一般者が読めるものはほとんどなかった、そういう基本的なものが意外に抜けているということを専門家の皆さんにも考えて頂きたい。
終わりに代え「たかが原子力、されど原子力」についてお話したい。過去の原子力報道はどうであったか、についての私の感想である。中村政雄さん等から指摘されているとおり、過去の原子力報道が無定見でいいかげんであるのは残念ながら事実だと思う。
記者は1〜2年のペースで頻繁に担当が変わるので原子力について確固たる記事を書くのが大変難しいというのがその理由である。原子力問題というのは地域問題から国策まで、実は民主主義を問うていると思う。そこまでの問題を孕んでいるのである。立地問題には四半世紀の歴史があるということで、縦も横も大変な広がりがある。そのような問題について専門家の皆さんから見て確固たる記事を書けといっても1〜2年の経験の記者には無理なのである。それでも各社、その場その場に応じて良く勉強して臨んでいる。そこは汲み取ってもらいたい。私のように3年も勉強すれば別だが、「こいつは知らない」とか「原子力について理解がない」とかよく言われるが、それは当たり前なのである。10年20年やっておられる専門家がたかが1〜2年しかやっていない記者にそう言うのは酷だと思う。その辺を是非解っていただきたい。
もう一つ、意外なことに記者には会社からどんな記事を書けという強制はない。記者が書いた記事を撤回させるとか、やめさせるということも有り得ない。そういう意味では記者はかなり自分の自由意志で記事を書ける。スタンスが明確な大手の新聞でも、上からこういう記事を書け、と言われているのではなく、個々の記者がうちの社だからこういう風に書いた方が良いんだろうなという個人の思い込みで書いているのだと思う。上から強制されているのではなく、あくまで自主的な判断、研鑽によって記事がいかようにでも変わり得るという事を改めて強調しておきたい。
良くマスコミに対して、原子力発電所のちょっとした事故でも記事になる、と言われることがあるが、読まれる方の立場ではそう思えるかも知れないが、書くほうの立場では、どうでも良いことは決して書かない。ちょっとしたことに思えても、大事なことだと思うから記事にしている。個々の記事に余り神経を尖らせずに考えて欲しい。記事が載る方が原子力への論議が深まって良いことだと思う。書かれなくなる方が恐ろしく、書かれているほうが健全だと思う。
最後に正確な情報提供がまだ不足しているということを申し上げたい。スイスが原子力廃止を国民投票で否決したことなど、しっかり平和利用への取組みをやっているのに、逆のイメージを持っている人が多いと思う。また、変な報道にはおかしい、ときちんと言うべきである。難しい問題だから仕方ない、と放置することは間違いである。今更、と思わずに繰り返し指摘して欲しい。
正確な情報は繰り返し伝えて欲しい。十分な情報が国内に正確に伝わっているのか、甚だ疑問である。これはマスコミの勉強不足なのかも知れないが、専門家の皆さんにも考えて頂きたい。これから益々論議を深めなければいけない状況の中でどれだけ正確で十分な情報が国民に伝わっているのかを改めて検証して頂きたい。
講演3
原子力パブリック・コミュニケーションの要諦(かなめ)
講師:学習院大学名誉教授 田中靖政
(当日配布された資料はこちらから入手できます)
岸田純之助さんが「トイレなきマンション」という名せりふを創られて以来、ずっと議論が続けられているにもかかわらず、また国が法律を造り、組織もできており、手続きも決まっているにもかかわらず、依然として先行きが余りはっきりしていない問題として、「高レベル放射性廃棄物処分」の問題があります。
私は1976年9月1日に、原子力委員会の「高レベル放射性廃棄物の長期管理システム」に関する委員会の委員に指名されました。これは私が原子力関係の政府委員会に委員として選任された最初の委員会でした。その後、私は1985年から2001年まで原子力委員会と原子力安全員会の専門委員を務め、その間に2回の原子力「長計」の策定に関りました。最後に私は、原子力委員会「バックエンド対策専門部会」委員と「高レベル放射性廃棄物処分懇談会」委員を務めました。
私はご承知のとおり、政治学とコミュニケーションを専門とする社会科学者です。政治学とコミュニケーションの視点からみて、政策決定に四半世紀もかけて、いまだにその成果が不透明であるのは、政策決定のプロセス自体になにか問題があるか、あるいは政策決定の主体自体になにか問題があるか、のどちらかに問題が絞られるように思われます。 そこで今日は、以下、4つの問題を提起してみようと思います。
先ず第1に、現在日本では「高レベル放射性廃棄物処分場」選定が非常な困難に直面しています。この現状をざっと眺めてみたいと思います。第2に、「NIMBY」症候群といわれる社会心理的な現象があります。この「NIMBY」症候群が「高レベル放射性廃棄物処分場」選定にどんな効果を及ぼすかを眺めてみましょう。「NIMBY」症候群の壁をなんとかして越えないと、「高レベル放射性廃棄物処分場」選定は一歩も先に進まないのです。第3に、欧米では、「高レベル放射性廃棄物処分」に関する過去の政策の誤りを真面目に、また正面から受け止め、過去の失敗から学び、新たな行動原理を作り上げるという動きが活発になっています。IAEAの「高レベル放射性廃棄物管理の社会的側面に関するコンサルタント会議」では、過去の失敗の経験に基づいて、さまざまな利害関係者(ステークホールダーズ)を相手にした「高レベル放射性廃棄物処分場」の交渉の必要条件として5つの原理を取り上げ、問題提起を行っています。この機会に、これら5つの原理を紹介したいと思います。第4に、「原子力広報」の問題があります。これまで、原子力に対する「パブリック・アクセプタンス」を得るために、日本では「広報活動」や「公聴活動」が活発に行われてきました。しかし、こんにち、欧米の原子力国のほとんどにおいて、「パブリック・アクセプタンス」、「広報」、「公聴」などという言葉自体がすっかり廃れてしまって、ほとんど使われていません。これには「時代の流れ」と「価値観の変化」が影響しています。古い概念にいつまでも取り付かれていたら時代遅れになります。それでは、欧米諸国で「広報」や「公聴」に代わって使われている言葉(概念)はなにかといいますと、「パブリック・インフォーメーション」あるいは「パブリック・アウトリーチ」です。また、「パブリック・コミュニケーション」も頻繁に使われます。それでは、「広報」や「公聴」と、これらの新しい言葉のどこが内容的に違うのでしょうか。こうした最近の動きを、NRC (アメリカ原子力規制委員会)の「ヤッカマウンテン」計画から生まれた「リスク・コミュニケーション・ガイドライン」から拾ってみようと思います。
「高レベル放射性廃棄物処分場」選定は何が問題なのか?
今日は、高レベル廃棄物処分がご専門ではない方、あるいはこれまであまりそうした問題に関心のなかった方もいらっしゃると思いますので、後でなにかのお役に立つかと思って、少し分厚い資料を用意させていただきました。
最初に、高レベル放射性廃棄物処分の経緯をごく簡単になぞってみましょう。国および動燃事業団(当時)は、1980年代の末から90年代にかけて、高レベル廃棄物処分場構築物の安全性および地層処分の安全性を中心に研究開発を進め、それと平行して「バックエンド」政策の策定を試みてきました。その結果、2000年には、法律(「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」)が制定されました。この法律によって、「高レベル放射性廃棄物処分」の主体、処分地選定の手順や条件、処分の方法、処分の財政などが制度化されました。この法律を変えない限り、我々はもはや後戻りできません。先に進むしかない状態にあるわけです。
この法律の中身を含めて、今回の日本の「高レベル放射性廃棄物処分」に関する考え方は非常に民主的であると、外国から高い評価を受けています。動燃事業団(当時)は外国の専門家たちに「ピアレビュー」(内部評価)を依頼し、東京でその結果の報告会を開きました。その報告会では、フランス、アメリカ、イギリスなどのレビューワーから、地質学や工学の側面からのプラスの評価に加えて、この法律の中身に情報公開や地方自治体の首長の意見を尊重すべきということが書き込まれていることから、日本の法律および日本政府の民主主義的なスタンスに対してお褒め言葉を頂戴しました。
しかしながら、現実はなかなかそう上手くはいっていないのが現状です。例えば、「高レベル放射性廃棄物処分地」の潜在的候補と考えられる地方自治体では、「放射性物質廃棄物持ち込み禁止」が続けてなされています。「持ち込み反対」には以下の3つの違ったパターンがあります。第1のパターンは「条例による反対」によるもので、これに入る反対は1道10市町村あります。第2のパターンは「議会の反対決議」によるもので、これに入る反対は7市町村あります。より最近では、第3のパターンとしてマスコミ報道(特に地方紙によるよる報道)がきっかけとなって公募を断念する自治体が増えております。ご承知のように原子力発電環境整備機構(略して原環機構)が「高レベル放射性廃棄物処分場」の潜在的候補地の公募主体になっております。「原環機構」は公募の手を挙げた自治体に説明のためにスタッフを派遣するほか、「高レベル放射性廃棄物処分」に関するパンフレットを作って自治体などに配布しています。しかし、自治体が公募に関心を示すと、そのことを地方紙が報道する。地方紙が報道すると、地元の農協、漁協、住民だけでなく、隣接市町村の農協、漁協、住民も一緒になって反対が盛り上がる。せっかく「原環機構」の説明を聞いてみようというところまでいっても、説明を聞く前に反対が盛り上がってしまい、結局「白紙撤回」を強いられてしまうという事例が、これまでに4例あります。
この調子で行きますと、公募に応じてくれる地方自治体がでてこなくなる恐れがあります。ある地方紙の新聞記者が取材にもとづいて書いた記事の中で、何故こういう白紙撤回ということが起こってしまったのかという原因に触れ、公募に積極的な推進派が関心を持つものは「高レベル放射性廃棄物」の「引き受け」ではなく、「高レベル放射性廃棄物」が落とす「お金(かね)」であると皮肉をこめて分析しています。
確かに大変なお金が投下されるわけです。処分地候補になれば2億円以上の「調査費」がつきますし、さらにボーリングなどの概要調査が始まると20億円がつきます。小泉政権が地方に緊縮財政を迫っているため、現在、どこの地方自治体でも財政は大変に苦しい。だから、嫌な「核のごみ」でも「お金(かね)」になるものならば何でも引っ張ってきて、少なくても2億、うまくいけば20億が入ってくると赤字も解消する。そうなれば、若者の流失にも歯止めがかかるだろうし、シャッターが降りっぱなしの老舗街にもいくらか活気が戻ってくるのではないか。こんにち、どこの地方自治体も財政難の克服に悲痛な思いで立ち向かっています。その一環として、「高レベル放射性廃棄物処分場」潜在的候補地として手を挙げようとするのですが、それがことごとくマスコミの報道で、白紙撤回されるという状況が続いているわけです。これが通常のパターンになってくると、ますます新たに手を上げる地方自治体は少なくなってくる。この現状から抜け出すためには、現状の分析と、その結果に基づく新しい方法論の開発が必要となります。
わが国における過去の原子力政策のサクセスストーリーを見直してみますと、「お金(かね)」が成功の中心的誘因であったことを歴史的事実として認めざるをえません。「電源三法交付金」、「漁業権」、「心配料」として電力会社が漁協に支払っている「地域協力金」などが、これまで一方では原子力施設受容の強力な誘因となり、他方では地方自治体と地域住民を潤してきたのは事実です。国が原子力について何かを地域社会に頼む時には、それが「お金(かね)になる話」ということが定着しています。しかし、最近の例を見てみますと、お金(かね)がだんだんと魅力を失ってきているような傾向が認められます。先程の「高レベル放射性廃棄物処分場」潜在的候補地の例でも分かるように、おそらくは安心の追及のために、当該自治体も地域住民も、また隣接自治体も地域住民も、目の前の2億円を躊躇することなく蹴飛ばしてしまったのです。ここでわれわれは、「社会的価値観の相対的変化」ということを考えなければなりません。「お金(かね)」よりももっと大事なものを見つけたとき、人びとはその「もっと大事なもの」を選んで、「お金(かね)」を選ばなくなります。かつてさまざまな「公害」が問題になったとき、「アメニティ」(生活の快適さ)という言葉がはやりました。いまではより多くの人びとが「アメニティ」――より具体的にいえば「安全」で、「健康」で、「安心できる」ような「快適」な生活――を求めるようになっています。「お金(かね)」より高い価値のあるものがあれば、人びとがそちらのほうを選択するということは少しも不思議ではありません。日本がまだ貧しい時は「お金(かね)」が万能でした。はたして、いまでもそうでしょうか。昔から使ってきた方程式をいまでも使い続けていることが失敗でないことを、われわれ自身が自己評価しなければならないのです。
なぜ「NIMBY」症候群が起こるのか?
「NIMBY」(Not In My Back Yard)症候群は社会心理的な現象で、一言でいうならば「不快な土地開発が行なわれることに対して反対する人びと」を意味します。もう少し詳しく定義すると、「刑務所、ごみ処分場、薬物中毒患者更生施設というような、地域社会全体では必要だが、景観上よくない、危険、あるいは自分の持っている不動産の資産価値が下がるようなおそれのある公共施設が自分の家の裏庭、あるいは自分の町にくることに反対する人びと、あるいは、反対すること」ということになります。まさに「高レベル放射性廃棄物処分場」はそういうもののひとつであり、そのように考えられても仕方がないですね。なぜなら、半減期が数万年といわれている放射性廃棄物を地下に埋めておいて安全なのかどうかを、直感的、感覚的に判断する能力を、われわれは持っていないからです。ですから、ファウスト博士の言葉を借りれば、「お金と引き換えに、悪魔に魂を売る」ことに心理的に抵抗する人びとが多くいても不思議とは思えないのです。
「NIMBY」症候群は原子力関連施設に対してだけ起こるわけではありません。「風力発電」は「ソフト・エネルギー」の主力として高く評価されていますが、「風力発電」に対しても「NIMBY」症候群は起きています。デンマークの社会学者が「風力発電」に対する「NIMBY」症候群を分析して、第1に騒音、第2に景観へのダメージ、第3に設置者(地方自治体と業者)と地域住民とのコミュニケーションの欠如から生ずる不満や怒りを「NIMBY」症候群発生の必要条件として挙げています。私もデンマークで、風力発電のファームでは何十基も風力発電機のポールが立ち、海鳥がそれにぶつかって切断され、その死骸が海洋汚染につながるという批判が出てきているということを現地の人から聞いたことがあります。「ソフト・エネルギー」の主力として評判のよい「風力発電」ですら「NIMBY」症候群を起こすのですから、ただでさえ嫌われ者の「高レベル放射性廃棄物処分場」に対して、より強い「NIMBY」症候群の反応があっても不思議ではありません。
過去の教訓から学ぶIAEA――交渉の5つの原理
ヨーロッパの原子力国は、これまで「高レベル放射性廃棄物処分場」を作ろうとして失敗を繰り返しています。確かにフィンランドは成功例のひとつとして言われていますけれども、ほかの国では顕著な成功例はありません。スウェーデンでも計画や実験は着実に進んではいるけれども、成功例といえるかどうかはクエッション・マークであります。
最近(2002年5月)ウィーンで開かれたIAEAの「高レベル放射性廃棄物管理の社会的側面に関するコンサルタント会議」では、過去の失敗の経験に基づいて、さまざまな利害関係者を相手にした「高レベル放射性廃棄物処分場」の交渉に関連して、次のように5つの原理を取り上げ、問題提起を行っています。
(1)「開放性」(Opennes)
IAEA は「高レベル放射性廃棄物処分場」を設置するというような新しい提案をおこなう際には、情報の「開放性」が非常に大事だとしています。「開放性」は日本では「情報開示」とか「情報公開」にほぼ等しい意味を持つ言葉(概念)ですが、正確にいうとかなり含蓄が違います。「開放性」には、コミュニケーションの送り手から利害関係者(ステークホルダーズ)に対して積極的にメッセージを発信するということと、利害関係者の言い分をよく聞くという、双方向的コミュニケーション(すなわち、対話)の意味が含まれています。ところが、日本語の「情報開示」や「情報公開」には、「請求されたときに請求者に対して情報を提供するという、消極的かつ1方向的なコミュニケーション」の意味しかありません。「開放性」の名のもとでIAEAが積極的な双方向的なコミュニケーション(対話)を望ましいと考え、ますます力を入れようとしていることは、日本にとっても重要なコミュニケーション戦略の転換の必要を示唆します。
(2)透明性(Transparency)
日本でも情報の「透明性」ということが云われますが、日本語でいう「透明性」と欧米でいう「transparency」では意味がかなり違います。アメリカでもヨーロッパでもIAEAでも、「透明性」とはただ「見えたり聴けたりすることができること」ではなく、「利害関係者が自分たちの懸念や提言がどのように政策決定者や事業者によって扱われているかを自ら知る能力」と定義されています。つまり、「透明性」は「知る権利」とともに利害関係者側の能力の一部ということになります。とはいっても、こうした能力をフルに発揮できるかどうかは、政策決定者や事業者を囲む政治環境に左右されることになります。この間も狂牛病のおそれのあるアメリカ産牛肉の輸入再開の件について、厚生労働省のスポークスマンがテレビ・インタービューで記者の質問に答えて「色んな審議会の合意が必要であり、請願にどう答えるかは役所としては軽率に決めることはできない」と答えていました。「聞く」側も「答える」側も「透明性」は50パーセント以下ですね。IAEAは「そういう透明性の欠如が失敗の元」といっているわけです。
(3)「即時対応能力」(Responsiveness)
さっき土屋先生も言われたことですが、緊急性の高いにもかかわらず、対応に一年半もかかってしまうのでは、やらないのと同じであります。「やるのであったら出来るだけ早く反応せよ」というのが、ここでいう「即時対応能力」です。利害関係者の懸念、不安、疑惑に対して沈黙を続けることは、なにか隠されたことがあるのではないかという、新たな懸念、不安、疑惑の原因を利害関係者の中に創り出します。仮に対応の内容が「高レベル放射性廃棄物処分」反対の人たちの意に適うものでなくとも、素早い反応は少なくとも彼らの発言を真摯に受け止め、迅速な行動をもって応じたという「誠意」を彼らに伝えることができます。
(4)「柔軟性」(Flexibility)
IAEAは「柔軟性」を「利害関係者の必要に合わせて順応する自発性、ならびに中長期的計画に関する過去の決定を必要に応じて変更する能力」と定義しています。政策決定者や事業者はとかく先例主義に陥るわけですが、それでは駄目ということです。むしろ国民や利害関係者の要求と必要に応じて、それらが合理的であり、合理性を追求するうえでマイナスでない限りは躊躇なく先例を変えていくという姿勢を忘れては駄目であること、過去の先例を次々に壊していく原理が働かないと「高レベル放射性廃棄物処分場」のような新しいものを作る交渉はむずかしいことを、このIAEAの原理は示しています。
(5)「手続きの公平性」(Procedural Fairness)
この言葉はあまり日本語的ではありませんが、一言で言ってしまえば、「役所や事業者は公明正大かつ誠意をもって行動する」、「裏取引などは一切しない」、「既成事実を振り回さない」というような意味合いを含んだ言葉です。最初から反対者を話し合いから排除するということも、「手続きの公平性」に反することとなります。私にもこの点に関して、ささやかな個人的経験があります。細川内閣の下で江田五月さん(社民連)が科学技術庁長官で原子力委員長を兼ねていたころ、たまたま私は原子力委員会で「長期計画専門部会」の委員を務めていました。この時初めて江田原子力委員長のイニシアティブで原子力委員会に「意見聴取準備委員会」が設けられ、私も委員の一人に選ばれました。平成5年12月のことでした。私の記憶では、この委員会は12月28日までほとんど「毎晩」集まって「(国民の)ご意見を聴く会」の構想を練りました。長官もほとんど毎回出席して、われわれの議論に耳を傾けてくれました。この時初めて原子力委員会主催の「ご意見を聴く会」に原子力に批判的な人も招き、意見を聴き、取り入れるべきものがあれば取り入れることが決まりました。その後、「円卓会議」、「シンポジューム」、「説明会」等々、名称はいろいろ変わりましたが、「原子力反対の人びとも招いて意見を聴く」という先例は今もなお途絶えていません。江田原子力委員長の英断であったというべきでしょう。ただ私としては、時が経つにつれて最初の新鮮さが失われ、「ご意見を聞く」ことそのものが形骸化してきていることがちょっと心配になります。
過去の失敗から学ぶNRC――「リスク・コミュニケーションのガイドライン」
このあたりで、「今なぜ『原子力公聴』や『原子力広報』でなく、『パブリック・コミュニケーション』なのか」ということに話を切り替えたいと思います。
「原子力公聴」というのは、役所言葉です。元々は「パブリック・ヒアリング」という英語を「公聴」と訳したのでしょう。「公聴」や「公聴会」という言葉は歴史が古く、語感が古くさくて硬い。そればかりでなく、まさに「官製」の匂いがプンプンする言葉です。かつて社民連の江田五月さんが原子力委員長を務められていたころ、江田委員長のイニシアティブで原子力委員会主催の「(国民の)ご意見を聴く会」を発足させました。同じ「官製」でも、「公聴」と「ご意見を聴く」では印象が全く違います。「官」だからこそ、「(国民の)ご意見を聞く」でなければならないのです。
同じころ、アメリカでも同じような風潮が顕著となりました。これまでのお役所仕事を打破するために、「リスク・コミュニケーション」という見地から、役所(NRC――原子力規制委員会)と国民との対話を進めようという試みがNRCの内部から提案されました。こんにち、NRCでは「パブリック・リレーションズ」(広報)という言葉を使っていません。その代わりに「パブリック・インフォーメーション」や「パブリック・コミュニケーション」が使われ始めました。日本では「PA」といっている「パブリック・アクセプタンス」という言葉も、いまはアメリカでもヨーロッパでもほとんど使われなくなりました。「To enhance public acceptance」のように文章のなかでは使いますが、政策目標としての「パブリック・アクセプタンス」はもはや使われなくなったのです。何故かと言いますと、「パブリック・アクセプタンス」には、「公衆が受容することを前提にした一方的な押し付け」の語感が強く、政府機関や原子力産業界がそのような言葉を使うことは不謹慎で不適切という認識が、先ず国民の側から、そしてそういう言葉をあまり深く考えないで使ってきた政府機関や原子力産業界にも浸透していったからです。ですから、先ほど岡先生が触れられた「環太平洋原子力会議」(PBNC)では、部会名に「パブリック・アクセプタンス」という言葉を使うことを10年以上も前にやめ、その代わりに「パブリック・インフォメーション・アンド・アウトリーチ」(公衆に向けた情報および情報提供)を使うことに決めました。日本では相変わらず「パブリック・アクセプタンス」という言葉が使われていますが、これは単に言葉の問題ではなくて、言葉の背後にある「政府および原子力産業界による原子力の一方的な押し付けは不適切」とする強い時の流れがあることを理解しなければなりません。さもないと、これからは大衆の行動や反応を読み違えるという間違いを犯しやすくなります。これは今後、特に政府機関や原子力産業界にとって注意すべきことの一つになるだろうと思います。
「原子力コミュニケーション」は「対話」とほぼ同義語と考えてよろしいと思います。これには「会話」も含まれますね。よくコミュニケーションの専門家たちは言いますが、最も有効なコミュニケーションは「対話」なんです。「一対一の会話」、あるいは「円卓会議のような小グループでの対話」のように、誰もが誰に対しても質問ができ、答えが返ってくるような状況を作り上げることが、これからのコミュニケーションの場を設定するうえで非常に重要であります。時代の変化が「対話重視の方向に向かっている」ことを厳しく認識する必要があるでしょう。「インターネット」のような新しい便利なコミュニケーション手段が発達すればするほど、個人と個人の心を結ぶ昔のコミュニケーション手段(例えば、手書きの手紙や面と向かった会話や対話)の補完的重要さが増すのです。そのようなわけで、今日の「パブリック・コミュニケーション」というテーマは、まことに時宜を得たものではないかと思う次第です。
資料に、「ヤッカマウンテン・プロジェクト」に対するNRCの反省を綴った文書が含まれています。「高レベル放射性廃棄物処分場」の選定に関して、NRCは政治的失敗を繰り返してきていますが、NRCの偉いところはこうした失敗の原因をとことんまで分析していることです。普通、分析というと、何が悪かったのかを第三者が分析するわけで、私は30年以上、さまざまな政府関連の委員会に係わってきましたが、その間、役所が自分たちのやってきたことを自己評価して、何が悪かったかを分析したという経験はほとんどありません。しかしNRCはまさにそれをやってのけたわけです。しかも、分析した結果に基づいて、失敗の原因を明らかにし、問題解決の方法を自らの手で策定して新しい方法論を打ち出しました。その方法論の一つはNRCの組織に関するもので、NRCにこれまで存在しなかった「コミュニケーション局」を新設し、行政とコミュニケーションの双方の経験が豊富な人物を「コミュニケーション局長」に抜擢、新任しました。これには当時のNRCの委員長が卓越した科学者でもあり、経験の豊富な行政官でもあったことが幸いしたと思います。彼は自分の経験からコミュニケーションの重要性を正しく認識し、NRCに「コミュニケーション局」を新設することを他の原子力規制委員たちに諮り、ついに満場一致の賛成を得ることに成功したのです。
その結果出てきたアウトプットが二つあります。ひとつは、2004年1月に出されたものですが、「外部リスク・コミュニケーションに関するガイドライン」と題するNRCのスタッフ用に書かれた「リスク・コミュニケーション」の手引きです。この手引きは「リスク・コミュニケーション」の受け手である外部の「ステークホルダー」(利害関係者)たちに対して、NRCのスタッフはどのようにリスクについてコミュニケートしなければならないか、また、そうしたコミュニケーション行動にはどのような社会的、心理的問題が付随しているかを分りやすく解説したものです。
この「ガイドライン」のテキストはWORLD WIDE WEB (www) から簡単にダウンできます。まずWEBの「NRC」(U.S. Nuclear Regulatory Commission) に入っていただいて、「Reading Room」をクリックすると、NRCの出版物が種類別に出てきます。そこで、この「ガイドライン」の番号 (NUREG/BR-0308) を探してクリックしてください。テキストと図表はかなり大部のもので、かつ、全体として高級感のあるカラー刷りの「ガイドライン」です。この「ガイドライン」には「読者に読んでもらうためには、出版物には相当な高級感を感じさせるようなものがあることが望ましい」という趣旨の指摘があります。まさにこの指摘通りに製作された「ガイドライン」です。「ガイドライン」の内容は非常に綿密で密度の濃いものです。資料(8ページ)を見ていただきますと、「外部リスク・コミュニケーションに関するガイドライン」の目次がありますが、これはもう脱帽というしか仕方がありません。心理学者が見ても、社会学者が見ても、リスク・コミュニケーションの専門家が見ても、これだけ網羅的なものを、よくもまあNRCという、コミュニケーションやリスク分析やリスク管理に直接関係のない政府機関が作りあげたものだということに感服します。新設された「コミュニケーション局」および新任の「コミュニケーション局長」の最初の仕事の成功に、敬意を表する次第です。
もうひとつのアウトプットは、2004年12月に刊行されたNRCのスタッフに宛てられた「内部リスク・コミュニケーションに関するガイドライン」(NUREG/BR-0318)です。日本でも、またどこの国でもそうですが、最も複雑な人間現象である「コミュニケーション」と工学的部品と現象の集積である「原子力」とは、そんなに相性が良いわけではないのです。NRCは、もともと原子力技術者集団です。このNRCが相性のよくない「リスク・コミュニケーション」を主要な方法論として多種多様な「ステークホルダー」(利害関係者)たちに接していく限り、原子力技術者集団の構成員のメンタルな改造から着手し、早々に「リスク・コミュニケーター」としての実践的能力を身につけてほしいという考えから、「内部リスク・コミュニケーションに関するガイドライン」が製作されたわけです。
「外部リスク・コミュニケーション」と「内部リスク・コミュニケーション」に関する2種類の「ガイドライン」が制作される前に、実際には大がかりな「基礎調査」が実施されています。詳細には立ち入りませんが、こうした調査があったからこそ、2種類の「ガイドライン」のシナリオが書けたといっても過言ではありません。調査の結果は「外部リスク・コミュニケーションに関するNRCガイドラインの技術上の基準」(NUREG/CR-6840)と題する報告書に纏められています。この報告書も前述の2つの「ガイドライン」と同様、WEBからダウンすることができます。
最後に一言申し上げたいのですが、「高レベル放射性廃棄物処分場」開設に関して、政府、電力事業者、原子力産業界がこれから使う「お金(かね)」は莫大な額になりましょう。これから地元との交渉に要する時間、費用、労務も「お金(かね)」に換算すれば莫大なものになると思います。これらがすべて国民の負担の上に成り立っていることを忘れるべきではないでしょう。さらに、今までは「お金さえかければ何とかなる」時代が続いてきましたが、最初に申しましたように時代も価値観も変わってきています。良い悪いは別にして、「実体のあるもの」(物質)から「実体のないもの」(情報)へ価値の重心が移りつつあるように思われます。この意味で2005年に日本で起こった出来事――例えば、型破りな衆院総選挙や前代未聞のテレビ局買収劇――は象徴的です。「お金(かね)」がわれわれの心を動かしたのではなく、「情報」がわれわれの心を揺すぶったのです。IAEAもNRCも過去の誤りからの反省として「お金(かね)」よりも非実体的な「原理」や「リスク・コミュニケーション」を「高レベル放射性廃棄物処分場」問題の解決の必要条件として取り入れています。日本では新しい法律ができても、地域ぐるみの「高レベル放射性廃棄物処分場」反対運動が依然として続いています。「原子力コミュニケーション」が「NIMBY」症候群に効く良薬になるかどうかが、今後の鍵となるのではないでしょうか。
質疑応答
宮崎座長
予定した3つの講演が終わりました。約30分時間がありますので、これから質疑の時間に移りたいと思います。質問やご意見のある方は、挙手の上、所属とお名前を仰ってお話ください。
(質問者A)地方にいるものだが、高レベルの問題も含めて立地問題に係わることが多い。立地の真っ只中にいると、紙爆弾は来るわ、戸別訪問はあるわ、で、原子力に関する情報が大量に与えられる。こういう状況になると、明らかに中央より地方の方が情報レベルが高い状況になる。ところが、最大の利益享受者は中央にいて、中央でのコミュニケーションが進んでいるかと言うと全く進んでいない。こういう地方と中央のコミュニケーションギャップを今後どのように解決していくのか、田中先生にお聞きしたい。
(田中)仰るとおりかと思う。NRCのヤッカマウンティンに遂行の初期の失敗例が参考になると思う。最初彼らが地方に対して説明会を開いた時にはNRCは何をやりたいのか、というNRC側の一方的な説明だけで、受け入れるあなたがたはどう感じているの?という質問は一切NRCから出なかった。それで、聞いている方はしらけちゃって見事に失敗するわけだが、NRCがこれを後に分析して、二つの対応をまとめた。一つは、説明に行くところについて事前によく調べ、把握した上で出かける。聞いてくれる人が抱えている問題点は何なのかをよく知った上で出かける、ということ。マスコミについてもいえることだが、語る(あるいは読んでくれる)相手がどんな人が全然知らないで語ろう(書こう)とするのは、コミュニケーションの法則に合っていない。二つめは、地層処分という極めて科学的なことをいかに素人に分かるように説明するか、その説明の仕方である。固化体そのものの安全性にしても、健康に対する影響評価にしても、地層の安定性にしても、科学者の言葉で喋ったら、地元民は、わざと分からない言葉で喋って煙に巻く気かと、怒ってしまう。そこで、コミュニケーション部というものを作ってどういう説明をすれば分かってもらえるかを研究させた。日本でも同様のことがある。「ひばく」という言葉に「被爆」と「被ばく」の二通りの意味があるが、聞いている限りではどっちを意味するのか分からない。放射線を受ける方の「被ばく」は、もともと英語の「exposure」が元なので、さらされるという表現に変えてもいいと思うのだが、前例主義の日本ではなかなかそうならない。
以上のことはNRCのガイドラインに反映されているが、さらにこの中で参考になるのは、NRCとは何のためにあるのか、それをNRCの職員の意識に徹底させたこと。原子力の様々な現象から国民の安全を守るためにNRCはあるのだ、ということを再認識させて、それを国民と接触する際の基本に据えるようにさせたこと。もう一つ、NRC内部のアンケート調査の結果、仏丁面でにこりともしないで原稿の棒読みをするような話し手が多いとの指摘が出てきて、話しをするときは相手の目を見て自分の言葉で話しをするというような基本的なこともガイドラインには書いてある。
NRCも合衆国の法律にしばられることがあるので、国民にその立場や法律の考え方を説明しなければならないときがある。そういった時にはガイドラインを遵守して懇切丁寧に説明する。NRCは、説得ではなくて、説明とそれによる納得がコミュニケーションの基本であるとの認識の上にコミュニケーション活動を展開している。
(質問者B)土屋先生のお話の中で、東海村の環境と原子力安全について提言する会の紹介があった。この会のメンバー構成について、全部で16名だが、男性が14名、女性が2名と紹介された。男女半数がよいと思うのだが、女性が入りにくい環境があったのか、どうすれば女性を増やすことができるか、ご意見を伺いたい。
(土屋)男女の比率は気になることの一つかと思う。この会がある程度活動して、メンバーに男女のバランスが偏っていたか聞いてみた。するとみな、偏っているとは思わない、という返事であった。つまり、参加した人が一人一人自分の意見を述べる場であることが大事で、男女の比率はそんなに大事なことではない、ということだった。
原子力は基本的に技術的なことが多いので、女性は参加しにくい。自分自身、高校まで理系にいたが、理系の女性は疎まれる環境の中で育つ。それが日本の実態。東海村でも原子力に対して不安を述べるのは女性の方が多い。そして不安を語ると反対派だと言われる。だからますます女性は身を引いてしまう。男性の方が多かったということは特徴ではあるが、どこの立地地域でも共通している。私も女性を増やしたいとは思っているが、必ずしもそれが問題ではない、と今回の経験で確信した。
プロジェクトが終わってNPOになったが、NPOになって自発的な活動が求められてくると、女性の方がいろんなアイディアを出すという特徴が出て来ている。今では男性の皆さん、頑張ってください、という状況になっている。
(質問者C)漠然とした質問で恐縮だが、田中先生に伺いたい。日本では、安全とか安心とか言って、安全と信頼とは言わない。NRCの文脈は信頼が基本になっていると認識した。この文脈の中で安心というキーワードはどのように扱われているのか?
(田中)安心というのは、日本語独特のあるいは日本人独特の心理的状況を表す言葉のようだ。安心を英語、フランス語、ドイツ語の辞書で引いてみてもぴたっとした言葉がない。「feeling a peace−くつろいだ感じを持つ」が安心に近い英語かもしれないが、日本語の安心に対応する単語は他の国にかないのかもしれない。しかし、日本語の安心に対応した心理状況を表現する言い方はあるので、問題は、ある事象がその心理状態を保証するのかどうか、ということになる。
原子力で起きる事故は人為的なもので、不可抗力による事故というものはほとんどない。即ち、問題は個人の問題と制度的な問題にあると見ることができる。そして失敗を分析して失敗から学ぶことを明確にする。NRCがコミュニケーションに関連してやりなさいと言ってることには、どういうアクションを取ったかということも国民あるいはステークホールだ−に知らせなさい、ということがある。失敗の分析は日本でもやるが、往々にしてやりっぱなし、ということが多い。これには、役人が2年くらいで替わるということも関係している。即ちフォーローアップがないし、心配している人たちに安心してもらうことができない。こういうことをきちっとするためには、コミュニケーションの制度を設計しなおすか、それに必要な人材を養成することが必要。
NRCのコミュニケーション部では、そのリーダーにはジャーナリストの経験もあり、上院議員の演説草稿を書いたこともあるコミュニケーター行政官を当てている。この部分の人的資源が日本にはない。アメリカだけでなく、フランスやフィンランドでもコミュニケーションのディレクターはジャーナリズムや社会科学の博士号や修士号を持った人で女性が多い。ここらへんのところは日本としてどういう対応策を取るか、つまり、原子力の中からそういう人を見つけるか、外から引っ張ってくるか、じっくり腰を据えて考える必要のある課題である。
(質問者D)パブリックコミュニケーションが大事だということで、不十分かもしれないが、事業者もその方向に進んでいると思う。例えば立地では、ある程度住民全体人が分かったという状況にならないと進まないわけだが、そのためには、今日伺った手法を工夫する必要があるのか。例えば、会議を公開にするとか、繰り返し的な手法を使うとか、そういったことをすれば、全体としての理解に結びついていくのか。
(土屋)すぐに広い範囲に知らしめるということはしない方がいい。限られた人の間で理解の得られないものが範囲を広げても理解が得られるわけがない。限られた人にまず理解をして頂いて、東海村の場合で心がけたことは、住民から住民へという伝えてもらうということ。今は2年おきに問題が起きる世の中なので事業者や国に対する住民の信頼は回復不能な状況になっている。事業者がいくら頑張っても難しいが、仲間の住民同士で伝えるということは海外では行われている。口コミによる効果の方がパンフレットを大々的に配るより効果的。パンフレットは配れば見てくれるというものではない。関心のある人しか見てくれないし、書いてあることが理解されたというわけでもない。東海村の経験では、地道にやることが大事だと思っている。
(田中)土屋先生の仰るとおりだが、一言付け加えたい。日本のコミュニケーションは、メッセージを送る側が公衆の顔のないものという前提の上で語りかけている。平均値的な日本人というか、そういうものを作っている。これは絶対にまずい話で、だれの関心も引かない。この人たちに自分の思いを聞いてもらうのだ、ということを限定しないといけない。これを社会学では「セグメンテーション」と言っている。つまり、どういう属性を持つ人々かという分類をする。男か女か、都会の人か農村の人か、賛成の人か反対の人か、そういう人たちのグループに話しをする、つまりメッセージを作るというということを決めて作業をしなければいけない。今までは役所にしても事業者にしてもそういう発想がなかった思う。こういうことはコミュニケーションのイロハで、広告業界などに学ばなければいけない。例えば、自動車やアパレル産業は、若い人の色の好みはどうかとか形の好みはどうか、という市場調査を徹底的にやる。それに較べると同じ金を使っても飲み食いに使って肝心要のところに使ってないのが原子力だと思う。
それから、メディアの利用についてももっと工夫した方がいい。いまやインターネットで書き込みのできるブログが沢山あり、こういうものに書き込みをしていると、セグメンテーションができてくる。つまり、若い人たちの考え方とか、女性がセンシティブに感ずることとか、こっちも分かってくるし、それに対する対応の仕方も分かってくる。対象とメディアについてもうちょっと考えることがあるのではないか、というのが、感想である。
宮崎座長
時間も来たので、この辺で今日の討論会を終りにします。最後にご講演いただいた3人の講師の方々に拍手でお礼をしたいと思います。(拍手)社会・環境部会では、このような討論会を春秋の大会にもやっているので、今後ともご参加ください。
(了)