原子燃料サイクルの今日

(原子力学会 岡山大学にて)

      平成16年3月30日   
         再処理リサイクル部会長(東電顧問)
  竹内哲夫      


サイクルの必要性議論に論点整理の必要性
 
原子力委員3年間を終え、古巣東電の顧問、いわば昔はお隠居さんと呼ばれる身になりました。私は前にも話したことがありますが、会社、社会にかかわり47年間、そのうち時間では3/4が火力、 1/4が原子力ですが、その時の責任、人生に熱中した疲労度も加え加重平均すると、火力と原子力が2対1になります。

 東電の別館におりますが、そこには火力、環境など、昔の古い仲間もおり、更に営業の最前線の方々と色々と話をしました。ここで委員時代には無頓着だった事も再発見しました。

原子力屋の議論、意見発表は特別な思いに囚われており、自然態でない。

 推進派、反対派、施政者、マスコミ、全てに関係者がなぜか原子力の話題になると強烈な偏光プリズムを嵌め、漬かり過ぎた古漬け沢庵を齧って、強烈な臭いの中で議論しています。これがいつもの定石化しているのです。

 原子力委員時代は、特に、この強烈な臭いを保つ面でも厚い保護膜の中に居たため、この雰囲気から一寸も抜け出せませんでした。

先ずは中国の躍進。石炭まで一挙に不足

 最近、我々の周囲では原子力トラブルだけでなくいろんな事が起こっております。21世紀のエネルギーの脅威です。

 2008年北京オリンピック、更に上海万博といった中国の国威発揮のイベント計画とともに臨海地の製鉄業が活性化し原料炭輸送の船が攫われて、バルクキャリアー不足、結果して火力用燃料炭を運ぶ船がなくなり、この1−2ヶ月に船賃が4倍に高騰。昔のオイルショック同様のコールショックが起きている、船の絶対数が不足、オーストラリアなどでは入港・着桟待ち。残存230年、使い道のないと言われた石炭ですら早くも大問題が起こっています。・・・

 我が国の原子力に対する彼らの意見:「地球環境問題などのグローバルな国際的縛り、世紀をかけた長期展望なんていうものは、中国にとっては至近の必要性、空腹を埋めるのが先である。逆から見ると、日本の原子力はその点羨ましい。核燃料は世界的に人気がなく、一般市場で発展途上国と奪い合いする心配がない。ましてやPuは更に汎用性がなく、日本みたいに技術、倫理(世界から公認される平和利用)からリザーブされている燃料こそ半世紀後でも使える。」と妙に叱咤激励されました。妙な気持ちになりました。

 21世紀のエネルギー・セキュリティの議論は.電力自由化の議論の前にすべし。 そこに原子力の位置づけをする。エネルギー基本計画には謳われているが、しかとした実行計画が見えない。

 電力自由化の議論が先行し、原子力が引きずり込まれています。この順序は本末転倒です。

 しかも再処理工場や長期的廃棄物のデコミにかかる費用は今の電力代でコスト試算していくらか?といったような議論が先になり、結果して19兆円といった一見巨大な数字が議論されています。

 この情報開示はあってよかったと思っています。高額かどうかは40年間の原子力による発電電力量 分母もこの様な20兆Kwhというオーダーになるので、一緒に並べて評価する必要があります。かような将来のエネルギー価格は化石系にはNobleUse、すなわち石油化学原料で高くなること必定、その頃でも特段に人気がでる筈もないウラン、Puとの格差は明らかです。またこういう時代にもU、Pu使用が国際容認されているはずです。これが、われわれ日本の生きる道であります。

 自由化の議論の及ぶスパンは現在の社会構造でなお且つ今の経営者が果たしうる期間(長くても10年程度)の短時限のものになる筈です。一方、原子力の存在意義として、電力供給のかたわら、資源・環境面から求められている特質が果たすスパンは遥かに長く、21世紀の中央から次の世紀をまたぐような長期的なものです。食料、エネルギー、防衛など、その国の安寧維持と生存基盤に関する議論は、「今月の電気代なんぼ」との議論とはおのずと重さが違ってしかるべきであり、これを何よりも優先されて行われねばなりません。過去の歴史でも、この結果が、平時には世界の貿易、経済の潮流をつくり、一旦軋めば戦争衝突の発端になっています。日本は、自国資源自給率は1桁(4%)の小資源国で、先進国並みの文化生活をエンジョイ出来たこと、これへの原子力の寄与、さらに将来、資源・環境問題に熾烈化が予想される中で原子力に期待される任務、付託の議論を先にもう一度国民の前で展開してコンセンサスを得ておく事こそ先であります。

 例えば、オイルショックの後に国家備蓄として90日を目指し油備蓄の緊急対策を今も継続していますが、その後、量的にも急成長した原子力のこの面での貢献(2−3年分のインベントリーから大きく見ると10年くらいの効果にも相当)とか、益々顕在化した地球温暖化対策としてのCO2削減効果、将来のCDMへの期待といった議論を展開します。かような将来に向けた国の安寧維持のための原子力への期待、付託の議論をもっと前に、国民の前で囚われない形で公開討論をします。今の自由化議論の中で、関連事項の頭だし、特にお値段だけが議論されているのには落胆しています。

原子力政策の大転換はありえないが、強い後ろ押しがない。

 最近、珠洲、新潟巻地点の撤退が大きく取り上げられて、それが将来の原子力政策の大転換が起こったかのような記事もありますが、これは間違いです。

 原子力に限らず、今、電力会社の将来に向けた経営と供給計画に先に大きくのしかかっているのは自由化の問題です。社会全体がかつての成長はなく、少子化などを控えている上での電力自由化の進展で、今年からの500Kwからさらに50Kwとなると、外来の発電業者PPSの参画自由でフリーマッケット化し、少ない需要の伸びのいわばチッポケのパイを電力とPPSが取り合う図式、これが当面の設備計画に大きくのしかかっています。追加需要は新参PPSが石油基地の空き敷地にガス会社からのガスを購入して立ち上げるコンバインド・サイクルは、立地問題経費など過去分もなく、割安になり、単位も1−200万Kwとなると、小さなパイはたちどころに食い尽くされてしまいます。立地問題、資本投資と回収の短期見通しの不利、などは、原子力の国策的意義を十分知っていても、今の電力経営層でも独自の推進は重い重しになりつつあります。国の支援、後押しが不足しています。エネルギー基本計画には実行計画、実施主体の責任など、Implementationの明記がないからです。

ここで再処理リサイクル部会の皆さんに言いたいことは、

 明確なビジョンと現状認識を共有することです。いま運転中の軽水炉は運転し続けます。高経年化対策も見えて軽水路発電は、ここ2―30年依然、電力供給の主役である事には間違いありません。再処理、中間貯蔵、そしてPuのMox燃料供給は絶対的に揺るぎない必修のミニマムRequirementです。

 問題は、寿命延長で運転した原子力枠、2030年頃の交代期にさしかかる原子力枠に高速炉を入れる事、それまではPuバランスをプルサーマルでとります。中間貯蔵を進める事、この3点をはっきりと国是にして打ち出すことです。

 こういう点の議論がはっきりせずに自由化議論、いわば商いの道ばかりが先行しています。自由化の議論、施策だけの先行は国としての施策にひょっとすると取り返しが付かなくなる失態を起す可能性があります。

六ヶ所は一時棚上げすべきでない

 私の委員在任中から今の新委員会でも続けられている、「広聴ヒアリング」でよく出る意見は、「再処理事業、六ヶ所は一時保留して、それが必要とされる時に再開したら良い」という主張です。この意見は、絶対反対の反対派の意見よりもっと始末が悪く、世間を撹乱するものだと私は思っています。

 関係者が営々と準備し1/4世紀かけた事業は、これから半世紀後の日本に起こるエネルギーのセキュリティ問題に命運をかけた事業です。最近、日本のエネルギー情勢は何も好転してないのに、かような妥協案が出て来る事もおかしいのですが、強いて考えれば、長い一本調子の議論に飽きたための救済案でしょうが、これが一番の落とし穴です。「一旦保留」というかじ取りの急変は、国際的にわが国の再処理路線の断念宣言になります。

 六ヶ所再処理プラントはプール問題などで世間から色々と非難を受けましたが、やっとウラン試験への道が見えて来ました。フランスでの実物実習も終えた運転員が既に配置されています。またフランスやサイクル機構からの支援体制も万端の準備が出来ています。これからも、試験開始すればこまごまとしたトラブルは出るでしょう。このトラブル・シューティングこそ試運転であり、完全、完璧な施設にするための試技であります。スポーツで「血」のにじむような訓練をする選手の姿、結果してオリンピック出場が叶ったサッカー22をたたえて、逆に何も練習なしに完璧演技を原子力に求めている感覚も分かりません。勿論、当事者側から練習の意義、何を確認したいのか等、これ程世間が気にして貰っているのですから関連情報は予めもっとオープンに必要十分に、勇気を持って開示しなければなりません。

 六ヶ所の成果、これは技術の達成による国際評価が1ランク上がることを意味し、日本は再処理、Pu利用を自力で出来る国で、技術、核疑惑の両面からの世界の公認を得る事が(今の日本全体がこういう危機意識の議論に鈍いのですが)、すぐに迫り来る事必至のエネルギー危機におけるバーゲニングになる事は必定です。

 「いったん保留、好機到来即再開」これは技術屋の言う事ではありません。中断は国際的に放擲を意味し再開などおぼつかないのです。技術屋として、技術は難関にトライし続けるところに技術があるのです。全てが仕様どおりに全部動くのは、自動車みたいな汎用商品だけです。

 サイクルは発電から30年ずれ、やっと今実用化への道の第一ステップに入ろうとしています。今この段階で発電並みの精度でコストとリスクで自由化議論の俎上の載せるには、まだ無理があります。だから自由化の議論の早期決着を急ぐあまり、コスト評価を俎上に乗せるような行為は大局観がないのです。「木を見て森を見ない」議論だと思います。私の持論ですが、再処理リサイクルが求められる時期には、コスト比較ではなく相方の資源は人類のために保存(石油化学系産品のために)、希少価値(NobleUse)だから今現在のお値段の比較論は通用しないのです。

春は確実に到来している

 今プルサーマル、もんじゅも含め長い凍結の冬に、新しい動き、芽生え、再開の動きが見え出してきました。それに、東電の全台運転再開、六ヶ所のウラン試験が続く。中間貯蔵もしかりです、早くまともな春になってほしいものです。

再処理・リサイクル路線は21世紀原子力と一体になって、資源枯渇化時代に日本を守る。サイクル技術屋は半世紀先の社会を考えよ、そして備えよ。

なぜ世間でこんな類の正論、正鵠が語られぬか? これが問題である。

○ 裕福ボケで、危機は知識だけで意識になっていない。

○ 世代間には技術のみならずモラル(意識)のリレー伝承が必要だ。

○ 原子力屋、正鵠の信奉者は分かりやすく多くを自分から語ろう。

 原子力の進展、特に再処理・リサイクルに向けての開発、事業化に時間がかかり過ぎたため技術のみならず意識までが世代を跨いで風化してしまいがちであり、世論形成どころか、皮相な考え方のほうが目先の批評に使いやすく、NIMBYの逆風が社会全般に吹きやすい状態です。原子力批評家(決して反対派ではない)は及ばず、一般の論調もこのドグマにはいりやすいのです。

 日本中の圧倒的な国民世論形成が皮相な報道情報で進められ、またとる施策も世間受けするものが多いです。最近の鳥インフルエンザなども、鶏卵の卵など、私のように戦後飢えをしのいで、進駐軍から卵黄色パウダーをせびった世代から見ると、卵も鶏も戦後の物価高騰時代に低価格で粘ってきた優良な国産企業です。一斉廃棄、埋設といった処理は贅沢過ぎます。即時通報の義務化、処罰対策ばかり走って、本当にかような国産企業が成り立つための施策もセットに考えないといけないのではないかと思っています。みんなリスクをおそれ事業を止めても、外国でもかような事態も発生するでしょうし、これに禁輸措置だけでまかり通るとは思えません。鶏も牛も同じ議論に乗っています。自給率40%の食品の話です。

 冒頭に中国発進で急に起こっている石炭パッションを紹介しました。これに、安閑とのんびりしていたら、40%の食料とちがい4%と更に自給率の低いエネルギー問題に迫り来る危機は早く、かつはるかに深刻な事は論を待たないでしょう。常日頃に国家の安定を願う、真剣な議論をせねばなりません。

 春は近いです、花粉症の時期は終わりました、物言えば唇寒しではない、マスクを外し、大声ではっきりと正論、正鵠を語ってください。  

(竹内・04.03.30日 原子力学会)