燃料サイクルの将来に向けて学会の皆さんへ

平成14年3月28日
    竹内 哲夫

 大震災直後の10日目に訪れ、戦後風景の再来に驚いたここ神戸に久しぶりに来て、今ではすっかり復興され、地震の片鱗どころか、桜満開のもと平和裡な日になりました.。学会で何を喋るか迷いましたが、神戸にちなんで「危機は喉もと過ぎれば忘れる」とか『危機は忘れた頃にやってくる』といった話をしようと思っていましたが、しばらく立てこんでいて十分な準備もせず、この演壇に立ってしまいました。今の新幹線は早すぎて、その中で作ったこの落書きキーワードが今日の話の脱線防止です。 核燃料サイクルと再処理を担務されている皆さんだけの、この小教室が会場、なじみの顔も多いので、率直に即興で荒ぽい話を気楽にしますが、こんな想いを部会長は日頃からもっている位の気持ちで気軽に聞いてください。

サイクルの必要性議論に論点整理の必要性

 私は電力会社在任中、新入生の最初の5年足らずは原子力、原電に出向し今は廃炉になった東海ガス炉、その後、実務年齢のほとんどの35年を東電火力で過ごした。火力は東京オリンピック(1964)の頃ほはさんで約10年で急成長し主力電源になったが、この途端にオイルショックの強力パンチに見舞い、燃料遮断(油断)におののき環境問題でたたかれました。いかに世界から見て、日本のエネルギー防衛(セキュリテイ)が砂上の楼閣だったか、働き盛りの世代はいかに世界見ずだったかを身をもって実感しました。この頃、火力用燃料(油やガス)は1~2年で4倍にはね上がり、発電原価の8割が燃料費、石炭は環境面からまったく使用不能の時代でした。

 この頃の原子力といえば、現場は難問山積、利用率も50%の悪戦苦闘ながら、新技術へのチャレンジ精神がみなぎり、世間からは、かわいい赤ちゃん同様、極めて暖かく受容され、『原子力はまだか?』と熱く期待されていました。 原子力現場は新技術の運用の定着に向け、SCC対策など稼働率向上に向けた必死の努力をして来ました。その結果、今日の姿ですが、発電部門では経年化対策、余寿命診断だけが残り、火力経験者の私の目から素直に評価すれば満点に近い優等生です。
 スタート直後心配された濃縮ウランの調達の問題も無く、原子力は発電と上流(アップストリーム)は全く完璧で、軽水炉発電はこれまでの30年の実績に加え、今後着工の新規電源も含め、約半世紀の間、発電の主役、王座につくことは確実です。また、これから受けた発電量の恵みからその存在意義を疑う人は少ない。にもかかわらず原子力と名がついているだけで、発電すら、NIMBY視されているきわめて異様な現実がある。この王座獲得の間に起こったチェルノブイリやJCO事故が民意形成へ与えた影響がいかに甚大であったが分かる。
 私はその後、最近の数年間に、火力から原子力発電も飛び越え、青森六ヶ所の核燃料サイクル事業に、そして今回、民から官へと、言ってみれば義経ほどでなくとも3艘跳びしました。本来跳躍力も無い不器用者を自認しながら、一般電力マン以上に変則かつ稀有な職場を体験し、馬齢が示すとおり、終戦の時が小6、少年時代が飢餓列島での体験を通じ、何といっても人生の最高の教材、意識形成は実体験しかないと思っています。だから、最近では、世間で通用する論評がおかしいと思ったり、若い人がただ『それ知っています』といって何もしない行動規範などがよく気になっています。老人のボヤキ癖、回顧談は始まったら止まらないので、今日は、歯止めのキーワードをかけて話をします。

21世紀のエネルギー・セキュリティの政策議論は.電力自由化の議論の前にすべし。

 今年は電力自由化の議論が日程に上がりかけており、この目的はあくまでも、世界的に高いといわれる電気代に競争原理を入れて安くしようという発想です。この競争原理導入こそ正義の審判だという世界的潮流に対しとやかく言う積りはありませんが、この議論に付随して、自由化に向いた制度改変(例えば発送配の運営ないしは会計分離など)議論されるでしょう。その関連として原子力もこの議論の俎上に乗ることは必至だと思うが、この議論以前に(ないしは議論の前半で)原子力のこれまでの実績評価と、将来、エネルギーセキュリチィ、地球温暖化対策に求められている役割等を再度十二分に評価しておいて欲しいということが、先ず第1点です。

 自由化の議論の及ぶスパンは現在の経済、経営環境のもとでなお且つ今の経営者が果たしうる期間(数年から長くても10年)の短時限のものになる筈である。一方、原子力の存在意義として、電力供給のかたわら、資源・環境面から求められている特質が果たすスパンは遥かに長く、21世紀の中央から次の世紀をまたぐような長期的なものである。食料、エネルギー、防衛など、その国の安寧維持と生存基盤に関する議論はおのずと重さが違ってしかるべきであり、こちらの議論は何よりも優先されて行われねばならない。過去の歴史でも、この結果が、平時には世界の貿易、経済の潮流をつくり、一旦軋めば衝突の発生原因になっている。日本は、自国資源自給率1桁の小資源国で、先進国並みの文化生活を果たしてこれたこと、これへの原子力の寄与、さらに将来、資源・環境問題に熾烈化が予想される中で原子力に期待される任務、付託の議論を先にもう一度国民の前で展開してコンセンサスを得ておく事が肝要だろう。

 例えば、オイルショックの後に国家備蓄として90日を目指し油備蓄を緊急対策として実施して今も継続しているが、その後、量的にも急成長した原子力のこの面での貢献(原子力は運転稼動中に2?3年分のインベントリー備蓄になる)とか、益々、顕在化した地球温暖化対策としてのCO2削減効果、将来のCDMへの期待といった議論を展開する。かような将来に向けた国の安寧維持のための原子力への期待、付託の議論を展開して置く必要がある。さもないと、自由化議論の中で、関連事項の議論の都度に、一部頭だし方式で原子力を取り上げるだけでは済まされないと思う。

 サイクルは発電から30年ずれ、やっと今実用化への道の第一ステップが進められようとしています。今この段階で発電並みの粗密でコストとリスクで自由化議論の中に入れるにはまだ無理がある。だから.自由化の議論を早期決着をあせって、発電とリサイクルは分けてしまえというような極端な意見には首をかしげてしまう。
毎回の長計でも十分議論し尽くしたが、大綱的な日本の進路は、ここ20年くらい、言葉、単語の使い方は若干変わっても、Mox燃料(使用側からプルサーマル)から始めて最後は高速(増殖)炉でのPu、Uの再利用といった大綱的な路線は今回長計でも踏襲されており余り変わっていない。政府はじめ原子力関係者の言ってみれば永年の国是でもある。問題は、余り早くからこの道一筋で来ているのでは、話題性、アッピール性にかけ、世代が替わった人には真髄が見えない経典みたいに写っているかも知れない。原子力のような余にもり超長期テーマで、尚且つ、完成への変化のテンポが極めて遅いものは、世代交番ごとに伝承しなおさねばならない。原子力委員会が見えないと言われている一因とも思うが、問題の危機意識を訴えて辻説法した日蓮のような体力もなく、真似も出来ずに悩んでいる.。
 

再処理・リサイクル路線は21世紀原子力と一体になって、資源枯渇化時代に日本を守る。

サイクル技術屋は半世紀先の社会を考えよ。そして備えよ。


 問題の発端は、再処理・リサイクルが30年経って、あたかも遅れて原子力に無理やりに入籍しようとしている様に見え、そういわれることである。世間も世代が変わり、原子力担当者も分業化し、若い担当者には根本的な国是議論など日頃している暇もない。従って、意義やモラルの伝承も世代を跨ぐといつもリフレッシュしておかねいけないと思う。日本の原子力にとってリサイクルは最初から正妻であり、結婚適齢期まで成長に時間がかかっただけで、これとの別居や離婚は我が国に限っては許されない。21世紀を見通す将来の資源枯渇化に備えたナショナル・セキュリティの議論では、発電とサイクルとの分離、すなわちOnceーthrough論は滑稽であり無意味である。
 今単に「高い安い」の議論に照準を合わせすぎて、原子力が最新鋭コンバインドサイクルやIPPにかなわぬ原因は再処理リサイクルの所為だという、短視眼的、せっかちな議論は、国家百年の大計を見ていない、「木を見て森を見ない」議論と言わざるを得ません。

 私の体験も踏まえ、若干話しをしましょう。
 21世紀、いつの日か、化石燃料の枯渇化が現実性を帯びるでしょう。それも50年後というような先の話ではありません。20世紀後半に、英国の北海油田における油とガスの発見と、これが即導入されたのは先進国側の快挙として、OPECの脅威を弱め、防衛になったのは記憶に新しい。その頃もう一方で、地味ながら、営々とした努力で原子力の、発電シェアが上がり、OPECからみて日本のような揺すぶりに弱い国がなくなり、第3次のオイルショックが続いておこらなかったといえます。
 ところが、この部会の今回のセミナーで先般、BNFLは、この北海油田とても2020年には枯渇すると発表しました。枯渇化が現実になれば、油は石油化学原料向けのNoble Useになり、30年前のオイルショック時のように4倍にも高騰するでしょう。忍び寄ること必至なエネルギー危機への準備が早晩必要です。無ければパニックです。その頃までに、新燃料フィード不要の夢の理想郷、高速炉リサイクルに手が届いていることが絶対的な精神安定剤になると思います。今日お集まりの皆さんの任務でもあります。どうか、長期的視野にたって、自分の任務、ミッションをもう一回確かめましょう。
 これに手を拱いていれば、先進国ほど文明生活とエネルギーとの相関が深く、小資源の日本は一番早く衰微します。米国は今でも自給率50%で自立していますが、この頃の蓄えとして手をつけていないオイルシェールなどが後備役に登場じ安泰です。すでにオイルショックで経験した通り、エネルギー関連価格は上がる事よりも、これの国際間の格差が問題です。エネルギーと食料に日本は弱いアキレス腱があります。(工業製品で外貨を稼げたのはもう昔です。)云いかえせば資源、食料を買う外貨がその頃あるかが問題です。物作りで世界を凌駕した時代、輸出超過を指摘されていたのはつい10〜20年前でしたが、技術離れ、生産拠点、技術者流出も含め、世界に輸出過大といわれても、稼げた実力の時代どころか、今は逆に凋落の道を転げ落ちています。過去の隆盛の思い出、これが再現、ないしは続く筈だという錯覚だけでは腹は満たされません。

なぜ世間でこんな類の正論、正鵠が語られぬか? これが問題である。

○ 裕福ボケで、危機は知識だけで意識になっていない。

○ 世代間には技術のみならずモラル(意識)のリレー伝承が必要だ。

○ 原子力屋、正鵠の信奉者は分かりやすく多くを自分から語ろう。

 いま、バブル成長の後の不良資産解消に躍起になっていますが、意識は高度成長時代のまだ甘い残像に酔っています。アフガンの映像や国会論争も劇画のようで、実感になっていない。年齢の違いか、余齢のせいか私の属する年代の人間の方が、少年時代の飢餓体験のせいか心配性で、先行きのの見通しがつい悲観的になります。渡り鳥でも人工の餌場提供があるかどうかで、来年の雛鳥を随伴するかを考えるというのに、高等動物の長が20年30年先の危機に意識に見通せず、「ただ嫌らしいものは無いのに越した事はない」と単純にNIMBYだけを主張するのには合点できない。

 六ヶ所再処理、MOXも高くつくと、まるで発電コストの余計な増分のような議論もたまに聞きます。何に対して高いのか? エネルギー枯渇化時代の危機の評価はしていません。現行の発電コストに加えた将来セキュリティに対する構え分は、生き延びるための備蓄費用、保険代で今でも高くなるのはやむを得ません。おそらく、まともにコスト比較を真剣に行わねばならない時代には、評価の場と投入条件が違うでしょう。

 いまは潤沢に見えるウラン資源も、Oncethrough路線の国が増えれば、各国の使用上のシェアの議論から制約を受けるでしょう。これを避け、、それまでの軽水炉時代の使用済燃料を、極力全面的にリ再資源化するリサイクル路線こそが、日本でこの問題を凶から福に転ずる、将来に向けた最終的な解決策です。この完成の最後の鍵は高速増殖炉にあり、潤沢な中性子による自家燃料製造、そして超長期半減期核種の変換といった、これへ向けての道こそが、21世紀の日本が目指す王道でもあり、逆にいうと資源枯渇の恐怖から逃れるための今、一番の確実な脱出口ともいえます。わが国で原子力を平和利用に徹し登場した当初からこの考え、方策への道は変わっていません。これが実現の頃には、Noble Useの化石燃料と燃料フィード不要の自給原子炉とではコスト比較でも軍配は明らかです。

 原子力の進展、特に再処理・リサイクルに向けての開発、事業化に時間がかかり過ぎたため、技術のみならず意識までが世代を跨いで風化してしまいがちであり、世論形成どころか、皮相な考え方のほうが目先の批評に使いやすく、NIMBYの逆風が社会全般に吹きやすい。原子力批評家(決して反対派ではない)は及ばず、一般の論調もこのドグマにはいりやすい。昔の語り部は人数も少なく特化して、伝承に向いていたが、今は一般の人には情報が氾濫、多種多様で正論、正鵠すら選び出せない、見えない状況です。これを跳ね除けるには、この席にいる皆さんが、幕末に踏絵に耐えた信教者精神を見習って、我々は邪教ではない、救国宗教だと主張して欲しい。

 昭和20年代の戦後の荒涼とした飢餓砂漠から昭和30年代に入り、人形峠のウラン発見、鉄腕アトムの時代、私が原子力を希望して入社した頃には、小資源国日本への救世主到来と思い、職場も小さく皆で夢を語りました。ストレートに高速炉を目指した仲間は、あこがれの「もんじゅ」もこの状態で、夢の完成を見ずにリタイアした。しかしその理想追求の道筋、王道は少なくとも、私がここ40年間に出入りした日本の原子力界でなんら変わっていない。

 信念の形成とその維持には知識として知っている「know」で済まさずに、信念として知ったら即行動に移す、知覚する[perceive(名詞でperceptionn)]事が大切です。この言葉をわが国では使い分けていません。ついでに言うと、セキュリチィとこの文でも何遍となく書いた、この言葉が日本語に適訳がない。ましてや、この元になるsecureという他動詞に至っては、馴染む語源、も感覚もない。周辺海国、四季温暖、この国の祖先にはこの遺伝子ゲノムの発達が必要なかったのか?

 夢の実現へ向けシカとした前進が必要です。最近、逆説的に考えると、この原子力逆風の中で、今、本席にいる若い世代の皆さんは、世間から押し寄せるNIMBY旋風の中に職をえて、この悪い風邪にも既に免疫になっている皆さん!。これからは世間のインフルエンザ蔓延防止にむけて、フードの中で、もの言えば唇寒しと竦んできた首を出して、はっきりと正論、正鵠を吐いて、語ってください。    (竹内・記)