JCO臨界事故に関する見解

日本原子力学会ヒューマンマシンシステム研究部会
JCO事故調査特別作業会  主査 古田一雄


1. はじめに
 東海村のJCO核燃料転換加工施設において本年9月30日に発生した臨界事故は,違法な手順書を採用していた組織と,その手順書すらも逸脱した作業員の行為,さらにこれを防止し得なかった事業者ならびに安全行政の社会組織要因が関与する典型的な組織事故である可能性が濃厚である。これに重大な関心を持ったヒューマンマシンシステム研究部会では,「JCO事故調査特別作業会」を設置して,主にヒューマンファクター(HF)の観点から事故原因の解明と再発防止策の検討を行うこととした。本作業会も含め,現在さまざまな組織が事故調査に取り組んでおり,事故の真相解明にはまだしばらく時間を要すると思われる。しかし現在明らかになっている範囲において,今回の事故を論ずる際の重要事項を整理しておくことは有意義であると考え,以下それら重要事項について述べることとする。

2. 事故調査の目的
 最初に述べたように,今回の事故は機器設備の故障や誤動作ではなく,作業員の行為とこれを許した事業者,安全行政の社会組織要因に起因することが次第に明らかになりつつある。したがって,今回のような事故の再発を防止するためには,何よりもHFに関わる事故原因の解明が不可欠であり,HFの考察なしに事故の本質を解明することは不可能であると判断する。また,すでに刑事,民事,行政などさまざまな方向から事故調査が開始され,主要な原因ならびに当事者の責任が議論に上っている。このような責任追求の社会的必要性を否定するものではないが,責任追求を目的としない,事故防止に本当に役立つ教訓を得ることを目的とした学術的で詳細な事故調査が必要である。
 今回の事故が原子力安全の常識では考えられない杜撰な規則違反によるものであることや,核燃料加工施設という原子力利用の中心からやや離れた部分で起きたことから,これは極めて例外的で特殊なケースであり,原子力全体に一般化することは適切でないとする意見がある。しかし我が国で起るとは予測していなかった事故が起ってしまった事実から考えて,原子力安全の盲点がこれ以外に皆無であるという保証はなく,また現在は問題がないとしても,状況の変化に適応できなかったために深層防護の原則が脅かされることが将来も起らないと主張することは合理的でない。したがって,すべての原子力関係者が今回の事故の教訓を謙虚に受取り,それを最大限に活用する努力を怠ってはならない。

3. 事故調査の観点
 事故発生には,事業者であるJCO社内の行為に加えて,これを見過してきた安全行政のHFが関与している可能性が高い。したがって事故調査は,事業者のみならず安全行政の問題も対象に行われるべきである。また事故発生に加え,今回も事故発生後の対応の不手際によって終息が遅れ,事故の影響を拡大したことが問題とされているが,その原因にも事業者,政府,地方自治体にわたるHFが関与していると考えられる。そこで,事業者と行政の各々に関して,事故発生以前の事故発生原因と,事故発生後の緊急時対応の不手際に関わる原因の両者を調査しなければならない。
 このうち事故発生以前に関する事業者側の調査では,さらに短期的観点と長期的観点の両方が必要である。ここで短期的観点とは,事故の直接の契機となった作業員の行為を問題とするもので,事故発生直前の比較的短い期間に起きた事象が調査の対象である。これに対して長期的観点の調査は,違法な手順書の作成と使用の経緯のみならず,会社設立以来の経営をとりまく状況や企業風土の変化,組織変更,人事異動などを長期にわたって経時的に追跡することにより,事故発生に関与した社会組織要因の醸成過程を解明するものである。
 以上の諸点を網羅する事故調査が行われて初めて,今回の事故の本質が解明され,再発防止のための知見が得られるものと考えられる。

4. 組織エラー
 安全性を損なうような人間の行為は,一般的にヒューマンエラーあるいは単にエラーと呼ばれるが,これらの中には不注意による単純ミスから判断・思考の間違い,違反行為や破壊活動に至るまでさまざまなレベルの行為が含まれている。今回の事故の直接原因となった作業員の行為は,許可された正規の手順を意図的に逸脱しているという点では,不注意による単純ミス(スリップ),記憶違いによる単純ミス(ラップス),判断・思考の間違いによる過誤(ミステイク)などのヒューマンエラーと一緒に論じることはできない。一方,違法性の認識はあったとしても,作業員の行為は悪い結果を期待してではなく生産効率を上る工夫の結果であることから,犯罪行為や破壊活動などのサボタージュと異なることも明白である。さらに,ヒューマンエラーが個人に帰属されやすい概念であるのに対して,作業員の行為には社会組織的な背景要因が深く関わっており,個人の問題のみに帰属できない。このように,今回の事故に見られる「組織エラー」と,他のヒューマンエラーとの本質的違いをふまえた上での議論が重要である。
 従来のHF研究では主に違反行為を想定しないヒューマンエラーを対象としてきたが,最近の組織事故では違反行為も含む組織エラーが問題になってきた。組織エラーを防止するためには,過去の事故事例の分析から組織エラーが起きる情況に共通のパターンを見つけ出し,組織エラーが起きやすい情況を検出できるようにするとともに,そのような情況の発生過程を途中で抑止する対策をとることが有効である。また,現場作業に関わる局所的な要因と,より包括的な社会組織要因との関連性を明確化し,さらに組織の安全性・健全性を評価するための指標と,それを恒常的に測定・評価するためのシステム,体制の確立を目指さなければならない。第3項に述べた観点から今回の事故を調査することは,このような組織エラーに関する知見を得るために不可欠な第一歩である。

5. 社会組織要因・安全文化研究
 今回の事故の主要な原因になったと思われる社会組織要因・安全文化については,チェルノブイル事故以来世界的にも重要性が認識されており,高信頼性組織の調査などの基礎研究が行われ,また国際会議でも重要トピックとなっている。しかし,まだ社会組織要因・安全文化の具体的分類,人間行動への影響,評価法などに関する実証的知見は乏しく,抽象的議論に終始する傾向がないとはいえない。また我が国では,社会組織要因・安全文化をとかく精神論的に議論・実践する傾向があり,欧米と比較すると科学的に解明して系統的に実践することを目指した努力が不十分であると言わざるを得ない。したがって,今回の事故を契機として,我が国でも工学的に作り込む対象としての社会組織要因・安全文化研究への本格的な取組みの開始が望まれる。