1、2次受験体験

亀山 雅司


【受験の契機】

 私はこれまで主な業務として原子力機器の補修を担当してきました。また、ご縁で平成16年に学位を頂いたものの、それ以降「実践ではなく研究向き」と見られているような気がして、心中すっきりしないものがありました。加えて、機器の大きなトラブルや事故で、モチベーションの維持も困難に感じていました。そんなある日、社内の情報回覧で技術士の存在を知りました。法律を遵守しつつもその盾に隠れず、ユーザの要望を無視せず、現状の技術で最善を尽くす理念を持つ世界があることに感銘を覚え、ぜひ自分もその世界に参加したいと思ったのを覚えています。利害を冷静に考えると、現在の原子力を取り巻く環境では良いことより困ることのほうが多そうな気もしましたが、チャレンジしたい気持ちが勝ちました。最後は最も影響を受ける妻に(合格するかどうかはさておいて)了解を貰って、試験に取り組むことにしました。試験は平成18年から5年計画としました


【試験のアプローチ】

 業務は原子力分野とはいえ、被曝量を別にすれば補修技術自体は放射線の影響をあまり受けません。例えば、放射線によって溶接性に影響があるのは、PWRの原子炉容器でも極限られた一部だけであり、全体としてはむしろ機械分野に近いのが実態です。そこで、平成18年の年明け頃に1次受験科目を機械部門に決めました。2次試験は原子力・放射線部門とし、業務内容に最も近い原子炉の運転と保守を念頭に置くこととしました。


【効果的だった技術士会図書の購入】

 目ぼしい参考書もないので、技術士会の発行図書を数冊購入しましたが、これが技術士について全体を理解するのに役立ち、受験準備に対するブレが少なくなったと思います。

 また、「もし1次試験に合格したら」そこから2次の準備をするのでは間に合わないので、2次試験の準備を1次と平行で行なうことにしました。受験を意識して業務や関連資料を扱っている過程で、2次試験の準備は自ずと整ったようにも思います。


【試験準備】

○1次試験(18年度)
 試験勉強らしい時間はないものの、常に試験問題を鞄に入れ、出張の移動時間(東京までの約3時間)は集中して取り組むことにしました。分からない問題は頭の片隅に置いておいて、時々思い出しては考えるやり方で、だいたい試験一回分の過去問題を1週間かけて解く状態だったと思います。これでは本番の時間内に回答するのは難しいのですが、そこは追い詰められた状況で湧き出る気力に頼ることにしました。練習問題の数を多くこなすのは心理的に安心なのですが、試験当日は未知の問題がでることを考えると、数をこなすよりも思考方法を整えておく方がよいのではないかと感じます。

○2次試験(19年度)
 2次試験は広範な範囲に及ぶので、短期間に関連資料を揃え切るのは困難と感じます。

 日頃から社内回覧資料に注意し、コピー等を集めることが大切(1年間で10cmキングパイプファイル1冊になった)と思います。意識していると職場には様々な貴重な情報が提供されています。インターネットも使い慣れれば強い見方です。

 また、2次試験は参考書が欲しくてもない状態でしたので、キーとなる「自分なりの解釈」を持てるまで、入手した情報が何を意味しているのか考えることにしました。例えば、バイオエタノール(これは面接試験に出ました)については「CO2フリーである」「再生産可能である」等の利点があります。それでは人類の未来はバイオエタノールで乗り切れるのか?世界のエネルギー消費は石油換算で100億トンを超えていますが、食料は23億トンであることから、全食糧をエタノール化しても一桁少ないから食料と競合する方法では解決には遠い。また、人類の人口65億人で平均すると食糧は約1kg/人日となり、食糧からエネルギーにまわせる余裕はあまりないと考えられます。

 一方「だから原子力」と言えるでしょうか?原子力ルネッサンス(これも面接試験に出ました)は確かであるものの、現在の原子力の世界の1次エネルギーに占める割合は約6%でしかありません。原子力で十分なエネルギーをまかない、またCO2の増加を抑えるには現在より一桁多い原子力の利用が必要と思われます。軽水炉のままではプルサーマル利用が可能となっても高々20%UP程度の燃料の有効利用にとどまりますので、ウランの逼迫、高騰は避けられそうにないと思われます。私は、現技術で社会の継続的発展が可能なものは原子力なら高速増殖炉、それ以外は太陽光発電(ただし、地上では設備利用率が低いので宇宙太陽光発電)ではないかと考えました。

 以上のような解釈を再処理、高レベル廃棄物処分、廃炉処置など原子力の関連事項について整理していくことにしました。 意外な難関は試験方法が筆記ということでした。筆記試験はワープロのように前後の文書を見ながら構成を変えていくことができません。どうやれば数問を一連の回答として書いていく過程で起承転結を踏まえ、過不足なく解答用紙を埋められるのか?これについては解答用紙と同じ字数の○を記載した用紙を打ち出してイメージトレーニングすることにしました。試験では、まず全体を見渡して回答の骨子を組み立て、割付を考えます。最終的な長短は説明の深浅で調整しましたが、全体として書きたいことに対して記載欄が足りない傾向にあったと思います。


【技術体験論文】

 「万が一合格すると提出するまで時間がないから」と言う理由で合格通知される2ヶ月前くらいから書き始め、合格発表早々に送付しました。A4で2枚しか書けないので質を維持しつつ分かり易くするのに何度も書き直しました。最後は妻に読んで貰って校正しました。「技術的にはよく分からないが流れはいいと思う。「き裂」という単語が文章に埋まって読みにくい」とのことでしたので、あまり使用しないが間違いではない「亀裂」と表現するなどの訂正をしました。

 また、2次試験前にマーカス・エバンズ(英国マーカスエバンズグループ:国際会議等の企画会社)から原子力設備の補修についての講師依頼がありました。講師料代わりに他の人の講演も聞けるとのお誘いに出席させて頂くことにしました。資料の改訂は20回以上に及び随分時間がかかりましたが、この件は原子力業界以外の人に講演する滅多にないいい勉強になり、結果的に技術体験論文の作成に大いに役立ちました。


【口頭試験】

 経歴や技術士の責務等はQAを書き出して整理しました。インターネットでいろいろな体験談が紹介されており、大いにQの参考になりました。試験では原子力ルネッサンス、核融合の見通し、維持基準と地震の関係、新検査制度などの原子力の話題の他に、水素エネルギーやバイオエタノールの位置づけなど広くエネルギー分野に跨る質問がでました。

 たまの学会の講演などでは、毎度終了直後に「ああ言えばよかった。説明が不適切だった」と落ち込むのですが、12月14日の口頭試験は珍しく「実力は出しきった」と感じました。もっとも、終わって半日も経たないうちにやはり壁に向かって落ち込んでいましたが・・・いつもながら取り返すことのできない過去の存在は重いことを痛感しました。

 合格発表の3月7日まで長い日々でした。家族には「万が一合格するとスムーズに手続きしたいから」と言って技術士登録の手引きを取り寄せる一方、次回の再チャレンジに向けて心の準備をしていました。 結果は幸運なことに5年計画より随分前倒しで合格することができました。


【合格後】

 試験に合格しても劇的に何かが変わるわけではありません。しかし、形に残せるというのは自分にも区切りがつくし、議論の際にいろいろ手間を省いてくれるメリットもあります。また最近では帰宅して技術士の登録証を見るたびに、これに相応しい水準に到達しなければ、と襟を正す思いをするのも楽しいものです。

 これからはCPDが待っています。また、現状は企業内技術士ですが、社内の業務との連携をどうとって行くのか、前例がほとんどないだけにしばらく手探りの状態が続きそうです。


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